「謝りたい人はいますか?」
先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「謝りたい人はいますか?
謝るようなことはやらないにこしたことはありませんが、そうもいかないのが人間関係。「謝りたい人がいる」というbeモニターは、半数を超えました。設問にはなかったものの、「謝ってほしい人がいる」と答えた人も多数。この記事が、謝罪をためらっている人の背中を押すきっかけになれば幸いです。
■雨のち謝罪時々晴れ
謝りたい気持ちを長年かかえている人は多いようだ。きっかけになる出来事があった時期について、7割以上の人が「11年以上前」と答えた。 静岡県の男性(77)は、60年前のことを思い出す。家が貧しく高校進学をあきらめていた男性に、中学校の校長が進学を勧め、高校の学費も援助してくれた。
だが男性は、途中でふてくされ、大学受験にも失敗。「恥ずかしく、面と向かうことができないまま、先生は他界。感謝とおわびを言えなかったことが、今も心に澱(おり)のように残っています」
回答で目立ったのは、親不孝をわびるもの。自由回答に「孝行のしたい時に親はなし」と書いた人も少なくなかった。ただ、「親不孝」の内容は、「旅行に連れていかなかった」「恩返しできなかった」など、謝罪というより、感謝の気持ちを伝えられなかった後悔に近いものが多い。
自分が親になって親不孝に気づいたという大阪府の男性(59)。母に謝ったところ、「親にとって親不孝な子などいない、と諭されました」。
謝罪をちゅうちょさせるのは、今さら迷惑だろうとの思いや、勇気のなさ。では、相手はどう思っているか。昔のことを謝られた経験を尋ねたところ、2割近くが「ある」と回答し、グラフィックのように、どちらかといえば好意的に受け止めている。
「高校時代に私を避けるように遠ざかっていた友が、社会人になって突然電話をくれ、謝ってくれた。今では一緒に旅行する仲」(長野、59歳女性)のように、よりよい関係が築けたという人たちもいた。
ただ、「いじめられた心の傷は消えなかった」「忘れていたことを思い出して、嫌な気持ちになった」という人も。「許してほしいという気持ちで謝ってはいけないと思う。許す、許さないは謝られる側が考えること」(大阪、49歳女性)という心構えを忘れてはいけないだろう。
謝罪の相手は、直接傷つけた人とは限らない。
愛知県の女性(51)は20代のころ、アメリカのホームステイ先で、ホストファミリーに「家族で戦争に行った人はいますか」と聞かれた。祖父が爆撃でけがをしたと話すと、「申し訳なかった。いつか日本人と親交を持ったら、謝ろうと思っていた」と打ち明けられ、その誠実な姿勢に感動した。
謝罪の言葉の底にある真心だけは、通じるものと信じたい。」(中林加南子)
■関係深めるチャンス
人はなぜ謝罪しそびれるのか。目白大学の渋谷昌三教授(社会心理学)は「謝らなければ今の関係は保てるが、謝ると関係が大きく変化する。変化への不安があるからです」と話す。変化がよい結果をもたらすか、裏目に出るか分からないから踏み出せない。
そんなとき、付箋(ふせん)に「何を謝るのか」「なぜ」「どうやって」「謝るとどうなるか」など、思いつくことを1枚に一つずつ書き、眺めてみると、謝罪への道筋が見えてくることもあるという。
「謝罪は自己満足に過ぎない」といって謝らない人もいるが、「自分が傷つきたくないという気持ちの表れ。重荷は一時的におろすことができても、なくなったわけではない」と渋谷さんは忠告する。
「イチかバチかやってみるのも手。謝らなければならないことがあるのは、その人との関係を深めるチャンスがあるということです」。よい結果が出ると考えることで、謝罪しやすくなるのだそうだ。」(2013/10/05付「朝日新聞」b10より)
誰でも自分の過去について思い出したくないことはあるもの・・・。しかし数十年も経って、過去の出来事に対して、誰かに謝るか?というと、おいそれとは出来ないもの・・・。
ふと自分を顧みる。誰かに何かを謝りたいか?と思うと、あまり心当たりがない。これは良いことなのだろうか? 謙虚さの不足? まあ、誰も自分に対して謝って欲しいと思わなければ、それはそれで平和なのだが、どうも自分の場合、そうではないかも知れない。つまり、相手は自分に謝って欲しいと思うことが無数にあるのだが、こっちが謝らなくては・・・と思わないので、ここに不適合が生じる。でも知らぬが仏という言葉もある・・・
一方、自分が“しでかした”過去の出来事を、消してしまいたい、と思うことも無数にある。
ときおり自分の心に頭をもたげてくる過去の自分の失態・・・。これは思い出すのがイヤだ。1966年のある日の出来事。これは未だに日時を鮮明に覚えている。もちろんこれ以上は書けないが、自分の人生の大いなる失態だった・・・。
それ以外にも、苦い思い出は色々ある。たくさん思い出すと言うことは、結局それらを未だに乗り越えられていないのであり、だから苦く思い出す。でも考えようによっては、それらの苦い思い出、それこそが自分の人生の糧になっていたのかも知れない。
自分も還暦をとうに過ぎ、段々と高齢者の仲間に入って行く。そろそろ自分の過去にケジメを付ける時期なのかも知れない。さて、どうやってケジメを付けようか・・・(「謝って欲しい」と誰かから言われないことを祈りながら・・・。合掌・・・)
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