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2013年9月18日 (水)

「敬老政治」、40年の背伸び

先日の日経新聞に、なるほどな・・・、とうなずかざるを得ないような記事(指摘)があった。

「敬老政治」、40年の背伸び “票”でゆがんだ社会保障 本社コラムニスト 平田育夫
 今から40年前、厚生年金を一気に2.5倍の月5万円に増やし、70歳以上の医療費自己負担を廃止した。田中角栄内閣が1973年を福祉元年と銘打って進めた社会保障の拡充だ。
 若い人の敬老精神は薄れたが、政治家の“敬老意欲”は以後、ますます強まる。増える高齢者の票に期待し、経済の実力以上の医療・年金給付などを続けた。
 当然ながら社会保障と国家財政に黄信号がともったが、政府・与党は今回も本格的な改革を先送りする。

 「敬老政治」40年。無理な善政は続かない現実を選良たちはまだ直視しない。
 狭心症で心臓血管のバイパス手術を受け命を救われた。その費用304万円のうち自己負130918keirouseiji 担は6%の18万円強。原則は3割負担だが月々の支払額を一定限度に抑える高額療養費の制度があるので安い。角栄氏の置きみやげで、70歳以上の限度額はさらに低い。
 医療制度の充実を実感するが、その陰にはもちろんいくたの犠牲がある。
 例えば75歳以上の医療費の36%は現役世代の保険料で賄う。大企業の健康保険組合からみると保険料の実に46%が高齢者に回る。
 もっと憂えるべきは不足分を補う借金である。医療だけではない。高齢者医療と基礎年金、介護向けの国費(高齢者3経費)は今年度18兆円弱で、うち10兆円弱を国債で賄う。
 国債は原則60年償還だから、赤ちゃんや今後生まれる子にも、祖父母や曽祖父母が受けた医療や年金のツケを回す。これは罪深い。財政破綻を早めもする。
 明らかに無理な社会保障をしている。なぜここまで来てしまったのか――。

 国民皆保険・皆年金が確立したのは61年だが、60年代後半から政治色を強めた。美濃部亮吉・東京都知事ら革新系首長が高齢者の医療費を減免したのだ。
 この「革新のお株」を国政で奪ったのが角栄氏だ。伸びる経済と豊かな財政が許した大盤振る舞い。皮肉にも福祉元年に石油ショックがあり、高度成長が終わる。少子高齢化も重なって「実力を超える社会保障」の歴史が始まった。
 膨らむ社会保障費にまず警鐘を鳴らしたのは官僚。83年、吉村仁厚生省保険局長(後に事務次官)は、国民が保険で容易に医療を受けられるので「忍び寄る危機についての認識は極めて薄い」(社会保険旬報)とサラリーマン本人の定率自己負担導入に奔走した。
 だがその後、小泉純一郎元首相らを除き与野党とも動きが鈍く、医療や年金の改革は牛の歩みだった。
 その背景には高齢人口の増加がある。65歳以上の割合は70年の7%から最近は25%に上昇。しかも高齢者の投票率は高く、昨年の衆院選では60歳代が75%と20歳代の2倍だった。
 この大集団の機嫌を損ねたら怖い。そんなおびえもあろう。「高齢化社会では政界の関心が多数派の高齢者に向かう」。米社会学者サムエル・プレストンの29年前の指摘が耳に痛い。
 安倍晋三内閣は社会保障制度改革の骨子を決めたが、給付の抑制策は全体に小粒。消費増税と同時に厳しい抑制策をとりにくいとしても、中長期的な改革の方針もあいまいなので、社会保障制度の持続性と財政の安定にメドが立たない。
 事態は切迫している。大和総研の試算では、2030年ごろから公的債務の国内総生産比を下げて財政を立て直すには、消費税率を30年代半ばまでに25%へ引き上げるのに加え社会保障の「超改革」が要る。
 公的年金の給付額を3分の2に減らす。医療費の自己負担は70歳以上も3割にし、介護保険の自己負担を1割から2割へ引き上げる……。「30年代に団塊ジュニアが高齢者となる前に改革を終えたい」と鈴木準・同社調査提言企画室長。
 微温的な改革では済まないとなれば、手厚い支援を本当に必要な人に絞る考え方も大事になろう。
 「命にかかわる病気とそれ以外に分け、自己負担に差をつける」よう提案するのは印南一路・慶応義塾大学教授。心筋梗塞、脳卒中などの治療は自己負担を3割から1~2割に下げ、便秘や不眠などは負担割合を高くする案だ。
 また低所得者への医療などの優遇策を守るため「低所得でも資産は多い人」が使えないようにする必要がある。共通番号を使えば可能だ。さらに基礎年金の半分を賄う国庫負担を高所得者には少なくし給付額を減らすのもやむをえまい。
 高所得者や資産家に限らず、ある程度の蓄えや収入のある高齢者はもはや気前の良い社会保障に期待してはならない時代だろう。

 最大の問題は高齢者の反乱を警戒する政治家。「給付」と「票」をどう切り離すかの問いでもある。
 まず「1票の格差」の是正が要る。高知県、島根県など高齢化地域の多くは1票が重く、お年寄りの声が政治に届きやすい。1票が軽い埼玉県、東京都などで高齢化が進む前に票の格差を無くせば、現役世代の声もすくい上げられる。
 もっとも日本のお年寄りは柔軟だ。大阪市は財政窮迫を訴え、70歳以上が市営交通に無料で乗れるパスに自己負担を導入した。社会保障改革も、説明を尽くせば分かる人は多いはず。政治家のおびえこそが怖い。
 敬老の日。戦後を築いた方々を敬いつつ、今の0歳児が古希を迎える年のこの日にも思いをはせたい。」(
2013/09/16付「日経新聞」p4より)

「敬老政治」とはなかなかうまい表現だ。確かに高齢者の投票率は高く、選挙に大きな影響を与えているのだろう。それを政治が意識していることも分かる。でも、そろそろ限界かも知れない。
消費税増税も何とか国会を通ったのに、この期に及んで実施を躊躇している声もあると聞く。今更何だ!?

我々プチ高齢者も、孫子の世代まで、自分たちのツケを回すことには、後ろめたを感じている。よって、スジが通れば、増税やむなし、年金減額やむなし・・・、と考えるのではないか?
今日も、買い物に行って、幼児を連れた若いお母さんをみると、つい自分たちの孫の世代を考えてしまった。つまり、これから生まれる世代が、大きくなって老後を迎える頃には、世の中はどうなっているのか・・・。それらを思うと、このままで済むとは誰も思っていない。
上の記事にもあるように、「命にかかわる病気とそれ以外に分け、自己負担に差をつける」とか、「低所得でも資産は多い人」へは優遇策を適用しないとか、アイデアは色々ある。

政権が、自らの保身のために作るのではないかと揶揄されている「秘密保護法案」や、なぜ今?と思われている集団的自衛権の議論に時間をかけるヒマがあったら、孫の世代に多大な影響を与える財政再建の議論にもっと時間を費やすべきと思うのだが・・・。
高齢者は、スジが通る話には話が分かる世代なのであ~る。(たぶん・・・。きっと・・・。自分以外は・・・!?)

130918tanma <付録>「ジワジワ来る○○」より

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