「外国語「使われすぎ」52% 巧みな言い換え難しく」
だいぶん前の記事だが、日経新聞にこんな記事があった。
「外国語「使われすぎ」52% 巧みな言い換え難しく
暮らしのなかに外国語があふれている。「テーマ」「スピード」といった耳になじんだ言葉だけではない。最近は「サステイナビリティー(持続可能性)」「ダイバーシティー(多様性)」などという、まだちょっとこなれない新語も増えた。
そうした傾向が気になるという声をよく聞く。「NHKの放送番組で外国語が乱用され、精神的苦痛を受けた」。先月にはこんな理由で岐阜県の男性がNHKを相手に慰謝料請求訴訟を起こし、話題になった。 5年前に比べ、日常生活で外国語を耳にする機会は増えたかどうか。調査結果をみると「増えた」「どちらかといえば増えた」が計76%。使われ方についてどう感じるかを聞いたところ「使われすぎている」「どちらかといえば使われすぎている」が52%と、半数を超えた。やはり違和感は小さくないようだ。
「使われすぎ」と感じる分野で最も多いのは「新聞・テレビなどのニュース報道」で、70%に達した(複数回答)。報道機関として真摯に受け止めたい指摘だ。役所や企業が発信する外国語を吟味し、日本語への言い換えも考える必要がある。
もっとも、巧みな言い換えはとても難しい。国立国語研究所は「インフォームドコンセント」を「納得診療」、「ノーマライゼーション」を「等生化」などとする案をまとめたが定着していない。言い換えると、逆に意味不明になることもある。
幕末から明治にかけて、日本人は外国語をさまざまに翻訳した。「フィロソフィー」を「哲学」、「ソサエティー」を「社会」などその数は膨大だ。それでも追いつかなかった言葉は多いし、外国語は格好いい、文章や会話が豊かになるという気分も現在まで抜きがたくある。
日本語と外国語の折り合いをどうつけていくか。新しくて古い難問と向き合わなければならない。(編集委員 大島三緒)」(2013/7/22付「日経新聞」p13より)
実は、自分は外国語の使用はあまり賛成ではない。これは、自分が“英語大嫌い人間”だからかも・・・
とにかく、言う言葉にせよ書いたものにせよ、言葉は相手に伝わることが必須条件。よって、相手に伝わらないかも知れない言葉はダメ。逆に相手に伝わる言葉なら大いに結構・・・。これは外国語に限らず、難しい日本語の言い回しも同じだ。
昔、現役の時、会議で色々な外国語やアルファベットの略称が飛び交った。その時に、自分は周りの人に「**って何だっけ?」と聞けなかった。それは、「こんな言葉も知らないのか・・・」と、自分の無知がバレてしまうことにもなりかねないので・・・。
一方、アルファベットの略称も世の中に蔓延している。「TPP」「GDP」「OECD」・・・幾らでもある。これらも、世の中に良く知られているかが問題。
あるとき、上司がある企画の議論をしているときに、「略称を新たに付けよう」と言った。つまり「TPP」のような言葉だ。そして企画会議の時に、さっそうとその略称を使った。当然「**って何だ?」と聞かれる。そして格好良く答える。(もちろん略称の正式綴りと意味を書いておくことは必須だが・・・)
つまり幾ら中味が無くても、外国語やアルファベットの略称は、格好を付けるには役立つのである。
自分は外国語大キライ人間のこともあり、書く外国語には必ず括弧書きで日本語も付けることにしている。そしてアルファベットの略称には、別の欄に、必ずそのフル綴りと日本語訳を・・・。あくまでも、相手に内容が伝わることを念頭に・・・
「セレブ」という言葉がある。何度意味を聞いても、自分の頭に入ってこない。
wikiによると、「セレブ=日本のテレビや雑誌メディアはセレブと略し、金持ち、優雅な、高級な、などの意味合いで使用している。」とある。
なるほど、分かった! 自分に縁のない世界の言葉(金持ち、優雅な、高級な・・・)は、永久に自分の身に付かないのだ・・・。
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