田上・長崎市長の2013年「長崎平和宣言」
今日は、長崎原爆の日。先の広島に続いて、長崎の平和宣言を読んでみよう。
<田上・長崎市長の「平成25年長崎平和宣言」>
「平成25年長崎平和宣言
68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7 万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。
日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。
核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。
核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。
2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久」
日本の、NPTの共同声明不参加について、広島市長よりも、さらに踏み込んだ指摘をしている。
この宣言についての解説は、「核兵器のない未来のために〈平成25年 長崎平和宣言 解説書〉」(ここ)に詳しい。
ところで、日本政府が世界の期待を裏切ったNPTの共同声明とはどんなものか、ざっと読んでみよう。
「2015 年核不拡散条約(NPT)再検討会議第2回準備委員会
核兵器の人道的影響に関する共同声明
アブドゥル・ミンティ在ジュネー国際連合南フリカ政府常駐代表
2013 年 4月 24 日
<暫定訳>
議長、
私は、核不拡散条約(NPT)加盟国であるところのアルジェリア、・・・・、ザンビア、そして我が国南アフリカを代表し、発言しています。
私たちは、核兵器使用のもたらす壊滅的な人道的結果について深く懸念しています。このことは、核兵器が最初に開発されて以来認知され、さまざまな国連決議ならびに多国間条約に反映されてきた一方で、長年にわたって核軍縮及び核不拡散の協議の中心に据えられることはありませんでした。それはまさにNPTの存在理由であり、NPTがそのなかで「核戦争が全人類に惨害をもたらすものであり、したがって、このような戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払い、及び人民の安全を保障するための措置をとることが必要であること」と警告を発しているにもかかわらず、この問題は核兵器をめぐる言説のなかで一貫して黙殺されてきました。
しかし、核兵器の実際の使用ならびに実験は、これらの兵器の持つ甚大かつ制御不能な破壊力、そしてその無差別性がもたらす受け入れがたい惨害を十分に示しています。核兵器爆発のもたらす影響は国境で食い止められず、よってこれは誰しもにとっての重大な懸念事項です。爆発による即死や破壊のみならず、それは社会経済的な発展を阻害し、環境を破壊し、次世代から彼らの健康、食料、水、その他死活的なリソースを奪うものとなります。
近年、核兵器のもたらす人道的影響は、核軍縮・核不拡散をめぐるすべての協議の中心に据えられるべき根源的かつグローバルな懸念としてますます認知されています。この問題はいまやグローバル・アジェンダにしっかりと位置付けられています。 2010年のNPT再検討会議は、「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念」を表明しました。同様に、国際赤十字及び赤新月社運動代表者会議の2011年決議は、核兵器の使用に起因する計り知れない人間の苦痛と、国際人道法との関係を強調しました。
2013年3月にオスロで開催された核兵器の人道的影響に関する会議は、核兵器爆発のもたらす影響についての事実情報を基盤とする議論のプラットフォームを提供しました。会議における広範な参加は、一発の爆発のもたらす壊滅的影響が誰しもにとっての懸念事項であり、関係しているという認識を反映しています。専門家及び国際機関が発した主たるメッセージは、いかなる国家あるいは国際機関であっても、核兵器爆発がもたらす短期的な人道上の危機に対処しえず、被害を受けた人々に十分な支援を提供できないというものです。この問題に対する理解を広め、深めるためのフォローアップ会議を開催するとのメキシコの発表と、核兵器の人道的影響の問題を取り上げることへの国際社会の決意を私たちは心より歓迎します。
核兵器が二度とふたたび、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかっています。核兵器爆発の壊滅的影響は、それが偶発的であれ、計算違いによってであれ、あるいは計画的であれ、十分な対応を行うことは不可能です。すべての努力はこの脅威を取り除くことに割かれなければなりません。核兵器が二度とふたたび使用されないことを保証する唯一の方法は、それらを全面廃棄することでしかありえないのです。 NPTの目的を満たし、その普遍性を達成することを通じたものを含め、核兵器の使用を防止し、それらの垂直的・水平的拡散を防止し、核軍縮を達成することはすべての加盟国に課された共通の責務です。よって2010年行動計画ならびにNPTの目標達成をめざした過去の成果の完全な履行がこれ以上先延ばしされることがあってはなりません。
核兵器の人道的影響の問題を取り上げることにはまったくの妥当性があります。 NPTの基礎を支える要素の一つとして、今回及び今後の再検討サイクルにおいて、人道的結果が私たちの作業や行動を特徴づけるものとなることがきわめて重要です。
これは政府に対してのみならず、この相互連関した世界において一人一人、すべての市民に影響を与える問題です。政府がその責務を果たすと同時に、市民社会は、政府と連携しながら核兵器の壊滅的な人道的結果についての意識を啓発するという死活的役割を担います。核兵器が呈する脅威を取り除くために協働するという責務を、私たちは次世代に対して腦っているのです。
ご清聴有難うございました。
(暫定訳:長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA))」(ここより)
こんな重たい声明に、blogとしてのコメントなどあるわけもない。
我々は、これらをただただじっくりと読んで、これからの日本の姿勢が世界に通用するよう、“祈る”しかない。
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コメント
長崎市長の宣言の途中、今の政権への不信を述べている間、阿部総理の顔をカメラが捉えていました。困った様な顔が写りました。心の中の良心が疼かなかったのでしょうか。この宣言は誰にでももわかりやすく若い人にも世界の未来を考えさせる素晴しい宣言だったと思います。心に刻み込んで選挙にのぞみたいものです。
【エムズの片割れより】
広島でも、安倍首相の顔が映っていましたね。本音は隠して、何とか建前でここだけ乗り切れば良い、と考えているのだろうな・・・と思いつつ、首相の顔を眺めていました。
投稿: 白萩 | 2013年8月10日 (土) 09:31
ろくよん も良いですが、安部総理には、コリーニ事件 も読んでほしいものです。
投稿: kmetko | 2013年8月10日 (土) 15:33