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2013年6月 7日 (金)

「気持ちが悪い日本語 ベスト20」

先日の朝日新聞に「気持ちが悪い日本語」という記事があった。

<気持ちが悪い日本語 ベスト20>
1000円からお預かりします(845票)
コンビニやファミリーレストランの会計のときによく言われる表現。「から」と「預かる」両方とも言い方として奇妙に感じる。
全然似合いますよ(840票)
「全然」の肯定形で、かなり一般化した言い方。服装を気にする相手にこう言うのなら、「まったく問題なく」の意味がこもる。
ギターの音が耳ざわりがいい(796票)
漢字だと本来は「耳障り」。何かに振れた感触を表す「触り」の言い方も生じ、「耳に触れる感覚」のように使われる。
来年もよろしくお願いしておきます(726票)
年末のあいさつなどで使われることも。何か起きる前に、事態を見込んであらかじめ支援をお願いするという厚かましさが出る。
わたし的にはOKです(707票)
「的」に「としては」の意味を込め、頻繁に使われる表現。「気持ち的には若い」などの「的」と同じで便利な言葉でもある。
受付でいただいてください(663票)
パーティーで司会者が客に言う「いただいて」。「もらう」の謙譲語で「お受け取りください」が適切。
以上でよろしかったでしょうか(658票)
ファミリーレストランなどで注文時に多用される表現。過去形を使うことに違和感。
コーヒーで大丈夫ですか(656票)
 「コーヒーでいいですか」という単なる確認の場面で「大丈夫」を使うと、相手が返事に困ることも。
やばいよ、この昧(623票)
若い世代が、そもそもマイナス評価を表す「やばい」を肯定的な意味で使って刺激的な表現にする。
わからないじまいです(609票)
「食わず嫌い」「負けず嫌い」の「ず」と同じで「ない」には置き換えることができない
役所のほうに勤めています(580票)
それは間違つてるっぽい(576票)
普通に頭に来たんだけど(568票)
昔そこで遊んだときがある(555票)
おビールをお持ちしました(551票)
今日ひまだったりする? (511票)
わけわかんないしー(505票)
うたわさせていただきます(498票)
おめでとうございました(485票)
二個上の先輩がいました(479票)
21)この店の安さは半端ない
22)ご負担をいただく形になっております

23)患者さまはこちらへどうぞ
24)お土産をいただきましてすみません
25)お名前をいただけますか

「(beランキング)気持ちが悪い日本語
お釣りあると「~から預かる」?
 【中島鉄郎】読者の方から、「リストの言葉の一覧を読んでいて気分が悪くなりました」(東京、55歳女性)とのご意見もいただきました。すいま……いえ、すみません。ただ、刻々と変化している言葉は生き物。時には「誤」が「正」になるケースもあり、一筋縄ではいかないことがよくわかりました。

130606nihongo  選択肢のリストは、「明鏡国語辞典」の編者で、新潟産業大学長の北原保雄さん(76)の「問題な日本語」シリーズ(大修館書店)から選んだ。
 1位の「1000円からお預かりします」は、レジで勘定をするときによく聞く言葉遣いだ。
 北原さんは「まずは1000円から、仮にお預かりします」というようなニュアンスを込めて使われ始めた表現ではないかとみる。
 実際のレジでは、客の出した紙幣をすぐにレジに入れずに一回「預かって」、お釣りを出して渡す場合もある。「そういうとき、『1000円(を)お預かりします』なら表現として問題はない。ただ、お釣りのない場合、『1000円ちょうど(を)お預かりします』と言うのはおかしい」
 「レジを打つ立場になって、この表現はありだ、と考えが変わった」という兵庫県の女性(36)がいた。「お釣りのある会計で、千円札を出されると『1000円から』と言いたくなる。なぜなのか。推理した結果、その『から』には『お釣りがありますよ、まだ帰らないで』という意味が含まれているためだと思う」
不要を意味する「それ大丈夫です」
 2位の「全然~肯定形」も日常的によく使われている。
 北原さんは「『全然』は規則的に否定表現と呼応する、との考えが強すぎるのでは」と言う。
 「場合によって、例えば、否定的な状況や懸念をくつがえすような『まったく問題なく』というような気持ちで言う『全然~肯定形』はおかしくない。夏目漱石や芥川龍之介の作品にも使われています。明治時代には、全然おかしくなかったんですね」。服装を気にする相手への「全然似合いますよ」は誤りとは言えないのだ。
 語感に対する好みは個人差が激しい。「気持ち悪い」と感じる表現はランキング外にも多く、さまざまな感想をいただいた。
 「水道業者が何でも語尾に『です』をつける。『なるほどです』『~と思いますです』。仕事は出来ても、その人のランクが私の中では落ちた」(東京、50歳女性)、「私は学食のおばちゃんですが、不要なものを『それ大丈夫です』っていう学生が多い」(東京、52歳女性)、「『地味においしい』。なぜその修飾語なのか、理解できない」(東京、48歳男性)、「『こちらハンバーグになります』。じゃあ俺は間違ってカレーライスを頼んだのか、と言いたくなる」(千葉、65歳男性)。
 一方、同じ選択肢で「私も使う」「どこが悪いの?」という表現を選んでもらった結果、(1)台風が上陸する可能性がある(2)理由は特にないです(3)違和感を感じる(4)すいませんでした(5)ネコに餌をあげて、の順に多かった。
 (1)は本来、実現する見込みを表す「可能性」よりも、「おそれ」のほうがぴったり来るが、今では違和感がない。(2)の「ないです」も「ありません」が適切だが、「形容詞+です」は会話の中では自然な表現。(3)は、「『ノーベル賞を受賞する』と同じケースで、重言でも問題にならない」(北原さん)。(4)は「み」が「い」に転じたくだけた言い方で、(5)の「あげる」は「やる」の美化語となっており、動物だけでなく花や草木にも使われている。
 北原さんが最後に、最近気になる言葉として挙げたのが10位の「わからないじまい」。「ない」は「ず」の口語形だが、「食わず嫌い」の「ず」と同様、「ない」には置き換えられない。ところがネットにはさらに「わからないじまい」の進化形「わかりじまい」も出てきた。「意味は同じで、『ない』も『ず』もとっているのです」。「結局、わかりじまいだった」と言われたら、さすがにそれは気持ち悪い。
     ◇
 調査の方法 朝日新聞デジタルの会員に登録していただいた方を対象に、ウェブサイトで5月上旬にアンケートを実施した。回答者は1301人。」(
2013/06/01付「朝日新聞」b2より)

実は自分も、このblogを書いていると、言葉には注意が行く。明らかな間違いは、Wordが指摘してくれる。しかし、これら現代っぽい言葉に、Wordは追いつけない。
確かに言葉は生き物で進化する。でも、言葉は人と人との伝達の道具でもある。だから双方で通じるなら、何でも有りである。一方、全員が分からなければ、一般用語としてはNG??

先日、NHK第2の「NHKカルチャーラジオ 人間を考える~心をはぐくむ~ 金田一秀穂氏講演」(2013/05/19放送)を聞いた。
それによると、我々人類=ホモサピエンスは、この5万年でアフリカから世界に広がったが、他の原人たちが滅んだのと対照的にホモサピエンスが驚異的な発展・繁栄を享受できたのは、言語(会話)を取得できたことが理由だと言っていた。それまでの人類は、経験は自分だけのもの。それが言葉を得ることによって、他人の経験を自分の経験(知識)にする事ができた。「あそこに美味い食い物がある・・・」とか。そして5000年前に出来た文字で、無数の人の体験(知識)を自分のものにする事が出来たのだとか・・・

言うまでもなく、意志や知識の伝達の道具の言葉は、相手に伝わることが第一。よって上のベスト20のような独りよがりな、あまりに現代っぽい言葉は、自分のような田舎のじいちゃんには通じないので(!)、それはやはり言葉として失格なのであ~る。自分的には・・・!?

●メモ:カウント~440万

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コメント

民主党政権の元首相は「・・させていただきます」という言葉を不必要に連発しましたが、それはそれとして、最近は「・・・させていただく」という言葉に乱れが生じていますね!「何々をやらせていただく」というところを、「何々をやらさせていただく」といったりします(「やる」のところにはいろいろの動詞がはいる)。というより、それがむしろ普通になってしまっている気がします。なぜこんな言い方になってしまったのでしょうか?

【エムズの片割れより】
日本語の乱れは、若者だけではないようで・・・

投稿: KeiichiKoda | 2013年6月20日 (木) 17:02

上のコメントへの追記です。先日、ある女優が鎌倉の有名寺へ行って、住職・僧侶にインタビューするテレビ番組がありました。鎌倉が好きなので、見ていたら、ある有名なお寺の老僧が出てきて、インタビューの中で「・・・を気付かせる」ではなく、「・・・を気付かさせる」などという言葉を使っていました。女優ではなく、このお寺の高僧と思われる僧侶がです。日本語も正しく話せない人の、「有難い」お話などは聞きたくないと、テレビを切ったことはむろんです。カエサルではないが、ブルータスお前もか!という心境でした。

投稿: KeiichiKoda | 2013年10月 3日 (木) 09:40

「~いたします」という謙譲語がすたれて「~させていただきます」に取って変わられたのは、“出る杭は打たれる”からだと思います。
 「~させていただきます」と勝手に相手と連携して、自分に掛る責任を薄めて、その安心感で、よく考えることもなくこの表現を多用しているから、ご指摘のような、不必要な「さ(せ)」をつけてしまうのだろうと思ってます。
情けない限りです。

投稿: Tamakist | 2013年10月 4日 (金) 10:30

日経新聞の2017/2/28の朝刊に「さあ準備、会社デビュー」という記事があり、「新入社員が就職後にまず悩むのが「敬語」」とあり、4つのポイントをあげられています。この4つ目のポイントに「さ入れ言葉」があり、「書かさせていただきます」「帰らさせていただきます」では、「さ」が余計になり、それぞれ「書かせていただきます」「帰らせていただきます」が正しい、と注意しています。文化庁の「国語に関する世論調査」によると、「さ入れ言葉」が気になるという人が増えているらしい。さしずめ、私などはその「気になる」一人にちがいない。上の私の、2013/6/20と10/3のコメントをご覧ください。「さ入れ言葉」という用語があるということはこの日経新聞の記事を読むまで知らなかったのですが、投稿したコメントを読み返してみると、どちらも「さ入れ言葉」に対するコメントです。昔、ある会議の席上で同僚が「さ入れ言葉」をしきりに連発するので気になってしかたがなかったことを思い出しました。

【エムズの片割れより】
上の用語とは違いますが、1年前まで居た小さな会社で、新入社員が「**先輩に・・」と、上司を「先輩」と呼んでいたのにはビックリしました。
大学では1学年先輩はそう呼ぶのでしょうが、会社でも、1年先に入った先輩は、「**先輩・・・」。
そんなワケの分からなくなった世界から離れて、今はホットしています!?

投稿: KeiichiKoda | 2017年3月 6日 (月) 11:15

現在放送中の朝ドラ「ひよっこ」はご覧になっていますか?現在、昭和40年から41年ごろが舞台なのですが、ちょっと気になることがあります。先週だったか、行方不明になってしまった主人公みね子の父親を一緒に探してくれていた茨城県出身の若い巡査が父親が倒れたので、介護のために巡査をやめて地元へ帰ることになり、みね子に「父親を看れる人が自分以外にいない」云々と言っていました。昭和40年ごろにいわゆる「ら抜き言葉」はなかったはずですが、言葉遣いについても時代考証はしていないのでしょうか?
もう一つは、みね子が舎監の愛子と最後の食事をするとき、「いただきます」といって手を合わせていましたが、食事のとき手を合わせるという所作はたぶん現在の幼稚園や小学校ではそういうふうに教えこまれているのでしょう、最近のドラマではめずらしくない光景すが、昭和40年代には私の知る限りそういう習慣はなかったし、少なくとも昭和30年代の学校の給食の時間にそうやって食事をした記憶はありません。(ちなみに我が家ではそうやって食事をしたことはありません。)当時のホームドラマ、たとえば、「バス通り裏」(あるいは映画「男はつらいよ」でもよい)にはそんなシーンが出てきたことがあるでしょうか?
朝ドラというと、かならず昭和時代が出てきますが、当時は使われていないはずの現代の言葉遣い・習慣が持ち込まれていて、その時代を知っている私などには非常に違和感を覚えることがしばしばありますが、ほかの皆さんはどうなんでしょうか?

【エムズの片割れより】
今やっている朝ドラは、早々に見るのを止めてしまいました。
食事の時に「頂きます」と手を合わせるのは、自分は、昭和45年に入社したとき、2つ先輩がやっていて、奇異に感じました。
何かの宗教かと思っていましたが、単なる躾けだったことを後で知りました。
我が家も、感謝の意味で手を合わせよう。とカミさんと話すのですが、次の日には忘れています。

投稿: KeiichiKoda | 2017年6月12日 (月) 17:41

私は昭和20年代に子供時代を送ったのですが「ら」抜き言葉を使っていました。例えば「見る」を「見られる」ではなく「見れる」と話していました。地方によって違うのではないでしょうか。遠州地方より東の静岡あたりは言葉がもう少し丁寧ではないかと思います。
「頂きます」は家では言葉だけでしたが、よその家でごちそうになる時は手を合わせて「頂きます」と言いながら頭を下げていました。父親がご飯を食べる作法に厳しくて箸の持ち方から食事中にしゃべってはいけない、横を向いてもいけないと目を光らせて子供たちを見ていました。横を向くと頭を叩かれました。戦後のまずいご飯が父親の怒鳴り声でもっと不味くなったように思います。我が家の子供と夫の食べ方を父が見たら頭にコブがいくつ出来る事かと思います。

【エムズの片割れより】
懐かしいですね。自分が子どもの頃は、夕食の後は、兄貴と二人に親父の「お説教」の時間でした。
「心掛けの悪い人間は幾ら勉強が出来てもダメ」・・・
ゲンコツが飛んできた時には、何度「殺してやる」と誓ったことか・・・
“お説教”は、何の為にもなりませんでしたね。

投稿: 白萩 | 2017年6月13日 (火) 00:37

追記
「頂きます」と手を合わせて頭を下げるのは、88回手をかけてお米を作ってくれたお百姓さんに、お礼を言うのだと母が言っていました。母の実家は農家でしたので、機械の無かったその頃のお百姓さんの苦労を知っていたからだと思います。それと恵みをくれた神様にも感謝するのだと言っていました。食べ物を粗末にするなという教えがあったのだと思います。今の私のだらしのない食生活を見たら母はカンカンに怒るだろうと思っています。今日もゴミ袋に一杯残り物を出して捨てています。親の教えは身につかなかったようです。

投稿: 白萩 | 2017年6月13日 (火) 07:09

お二人のコメント面白いですね。ら抜き言葉をネットで調べてみると、大正末から昭和のはじめにかけて使われるようになったとあります。意外と古いんですね。本多勝一氏は、著書の中で、彼の育った長野県伊那谷ではむしろら抜き言葉が標準語だった、と語っているらしい。私は中学時代(昭和30年代)国文法はどちらかいうと得意で、もしら抜き言葉が周囲で使われていたら、すぐに「例外」に気づいていたはずですが、そんな記憶はありません。文科省(当時は文部省?)の国語審議会が「ら抜き言葉」を共通語(標準語)として認めない決定をしたのは1993-1995年だったようですから、逆にこのころにはら抜き言葉が広く使われるようになったんでしょうね。今では、NHKのアナウンサー以外にはほとんどら抜き言葉を使わない人を探すほうが難しいぐらいになってしまいました。
最初の子供が生まれたときは、松田道雄の育児書を読んでいたのですが、その中に、「子供に肉を食べろ、肉を食べないと大きくなれないなどと言ってはいけない、子供は肉を恨むようになる」というような面白い文章があって、私たちは食卓でお説教をしないようにしてきました。

【エムズの片割れより】
松田道雄の育児書・・・。懐かしい・・・

投稿: KeiichiKoda | 2017年6月14日 (水) 10:31

keichikoda様は私の年代よりずっとお若いと思われます。私の親は明治の半ばに生まれていましたから、物資の無い時代を10人近くの子供を育てていたのですからのんびり食事を楽しむことは無かったと思います。特に戦後の配給の時代は飢えとの戦いだったと思います。
お米の代わりにキザラと呼ばれるダニの湧いた砂糖がきたのです。子供はカルメ焼を毎日火鉢で焼いて食べていました。コーリャン、アワ、キビもお米の代わりにきました。皆栄養失調でした。今思うと恐ろしい時代でした。親は子ども守るために食料の調達に必死でした。昭和25,6年まで大変だったと思います。鶏肉はありましたが、卵は貴重品でした。病人が食べるものでした。私は両親に今のスーパーを見せてやりたいと思います。ご飯をこぼしてはいけないという躾が大事だったのですね。今は美味しいものを楽しく食べるのが当たり前になりました。良い時代です。

【エムズの片割れより】
そうカルメ焼き・・・
甘味料でサッカリンというのもありました。

投稿: 白萩 | 2017年6月15日 (木) 14:05

また朝ドラの中の言葉遣いの問題なのですが、今週のドラマの中で主人公みね子がTVのコマーシャルに出ることになり、「緊張した」という言葉を連発してるシーンがありましたが、たしかに最近の人はインタビューで感想を求められると、「緊張した」ということをよく言っています。しかし、ドラマの時代設定は昭和41-2年(1966-67年)です。当時は、「緊張した」ではなく「上がってしまった」という言葉を使いました。いま読んでいる本(立花隆「武満徹・音楽創造への旅」)の中に、武満の有名な「ノヴェンバー・ステップス」が1967年NYで初演されたとき、尺八を担当した横山勝也がそのときの心境を自著の中で語っている文章が引用されています。「しかし、いよいよ明日が本番ということになったとき、あと足りないのは精神力だと思いました。ぼくはアガリ性なんですね。しかし、尺八だけはアガッた息では吹けない。なみの演奏ならできるかもしれないけれど、ギリギリの演奏はできない。だけど明日は最高にギリギリの演奏をしようとしているわけです。だから絶対にあがるわけにいかないと思った。・・・」(529-530ページ)、と。いつの間にか、「あがる」という言葉は使われなくなりましたが、当時これが精神の「緊張」をあらわす普通の表現でした。言葉の時代考証はどうなっているでしょうね!

投稿: KeiichiKoda | 2017年7月29日 (土) 06:55

そういえば「あがる」という言葉はあまり聞かなくなってきていますね。緊張と多少意味合いが違うような気がします。「ひよこ」の場合は「あがる」でしょうね。でも、結婚する相手の親御さんに会うような時は「緊張」するになると思います。「あがる」ほうが「緊張」より軽い感じがします。
そういえば、レジの人が「千円からお預かりします」という奇妙な言葉がなくなりましたね。あれは気持ち悪い言葉の代表でした。誰が言い出したのでしょうね。
気になるのは最近の若い作家の文章です。読むのが嫌になってくるような、ぶつぶつ途切れた文章ばかりで、気持ちが伝わってきません。滑らかな美しい文章が無くなってきているように思います。明治、大正生まれの作家の文章は美しいと思います。きちんとした言葉や文章が消えていくのは勿体ないですね。言葉の美しさが無くなって人間の品性も低下していくように思われます。かく言う私も反省しなくてはいけませんが、流されていくのでしょうか。

【エムズの片割れより】
KeiichiKodaさんの影響で?、今放送中の朝ドラ「ひよっこ」に追い付いてしまいました。
先日放送された総集編・前編を見て、その後は各週の「20分ダイジェスト」(今はこんなのがあるんですね!)を見て、今週はそれぞれオリジナルの15分番組を見て、さっき追い付きました!
自分は埼玉生まれの茨城育ちですが、茨城がちょっと誇張されていていますね。
でも、平和が信条の朝ドラにしては、少々意外な展開で・・・・
「あがる」という表現は、今は使わないのでしょうか?
ヤバイもそうですが、言葉は生き物ですね。
もしタイムスリップしたら、言葉が通じないだろうことも、分かります。

投稿: 白萩 | 2017年8月 4日 (金) 21:13

日経新聞の夕刊に「明日への話題」というコラムがあり、先日(2017/9/20)のコラムにはノンフィクション作家の悌久美子さんが、身近なものの呼び名が変わっていくという話を書いていました。「ニガウリ」がゴーヤーに、「衣文掛け」がハンガーに、「コーヒー茶碗」がコーヒーカップに、「ジーパン」はジーンズで、さらに最近の若い人はデニムというようです。そして私は知らなかったのですが「マニュキュア」という言葉は死語に近いそうで、ネイルと言わなくてはならないらしい。これらに私が付け加えるとすれば、必ずしも身近なものではありませんが、「スチワーデス」がいつの間にかCAに、「司会者」がMCに、上でコメントしたように、「上がる」が緊張するに、「正反対」が真逆に、そして「ハンサム」あるいは「二枚目」という言葉は死語に近く、イケメンといわないと通じないらしい。

【エムズの片割れより】
いやはや、嘆かわしいというか、自分も既に“死に体”であることを認識しました。
完全に時代に取り残されている・・・
上の例では、自分の頭には旧語?しかありません。
(将来、たまに孫が来ても言葉が通じないのでは?とゾッとしました。新語の勉強?今更・・・!)

投稿: KeiichiKoda | 2017年9月22日 (金) 05:51

藤井聡太6段の最新の対局は大石直嗣7段との棋王戦ですが、これに勝って、高校生になって3連勝を記録したことは記憶にあたらしいところですが、この二人のことを将棋連盟のの棋士データベースにアクセスして検索してみると、名前にはローマ字表記が加えられていて、それぞれ
Souta Fujii
Tadashi Ooishi
と表記されています。これらの標記に違和感を覚える方はおられませんか?違和感がないとおしゃる方はパソコンの「ローマ字」入力にすっかり慣れてしまっておられるのです。たしかに、聡太、大石という漢字を「ローマ字」入力によって出力するためには、まずsouta、ooishiと入力し、そのあと漢字に変換する必要がありますが、これらは名前の正しいローマ字表記ではありません。正しくは、それぞれ
Sota Fujii
Tadashi Oishi
となるはずです。聡太、大石のふりがなはそれぞれ「そうた」、「おおいし」ですが、そのまま「ローマ字」に置き換えただけでは正しいローマ字(ヘボン式)にはなりません。これが正しいなら、TokyoはToukyou、KyotoはKyouto、OmiyaはOomiyaになってしまうでしょう。ローマ字をきちんと習った私たちの世代はこんな間違いをしませんが、現在はこうした「パソコン式」ローマ字(?)がネット上に氾濫しています。なぜ「パソコン式」ローマ字が問題なのかというと、まず、これでは英語のネイティブには正しく発音してもらえないからです。Soutaなら、おそらく「さうた」と発音されてしまうし、Ooishiは「うーいし」と発音されてしまうでしょう。これに対して、Sotaなら、飲み物のソーダ(英語の綴りはsoda)の英語の発音(発音記号で書くとsouda)からわかるように、「そうた」と日本語に近い音に発音されるでしょう!ヘボン式のローマ字は、英語の発音に近くなるように工夫がされているのです。(ちなみに、私の苗字のKodaは漢字にふりがなをつけると、「こうだ」となりますが、アメリカに10年以上住んでいましたが、「こうだ」と正しく、つまり私の日本語の名前に近い音で発音されていました。)
第2に、海外に行くためにはパスポート申請をしなくてはなりませんが、Souta Fujii、Tadashi Ooishi等の「パソコン式」ローマ字では、パスポート申請に通りません。パスポート申請のためのローマ字表記のサイトから引用しておきましょう。

「氏名の中に長く伸ばす音がある場合、また、長く引き伸ばして発音する音の表記は、母音は重ねずに一つにまとめます。「こうの」は「KONO」、「さいとう」は「SAITO」と表記し、「OO」や「OU」は使用しません。ただし、「おお」という発音に限っては「O・OH」のどちらでも選択が可能なため、「おおの」は「ONO」もしくは「OHNO」のどちらでも表記が可能です。自身の名前がヘボン式ローマ字でどのように表記されるか調べ、申請書を記入しましょう。」

とあります。

【エムズの片割れより】
確かに、野球の「大谷」はOHTANI、「王」はOHOですね。

投稿: KeiichiKoda | 2018年5月 2日 (水) 11:11

名前のローマ字表記の追記です。
野球の王さんのユニフォームにあるのはOHOではなく、OHではありませんか?王さんは中国籍だからパスポートに英語表記があるとすれば、WAN(WANG?)ですかね。
私の知り合いに伊藤という人が二人いますが、ローマ字表記はItoとItohで、漢字では同じですが、異なるローマ字表記(英語名)を選んでいます。
大野と小野ですが、ローマ字表記ではどちらもONOで区別がつきません(前者のほうはOHNOを選ぶことはできますが。。)ONOと書けば、英語のネイティブは「おうの」と発音し、「おの」とは呼んでくれないでしょう。O+子音+母音の形の英語で、Oを短音で発音する英語は少ないないからです。TOKYOも、KYOTOも、HACHIOJIも、これで自然に(つまり日本語に近い音で)発音されるのです。

【エムズの片割れより】
おっと失礼「OH」でした。奥が深いですね。

投稿: KeiichiKoda | 2018年5月 5日 (土) 07:47

最近気になることがあります。「かつて」という言葉、漢字で書くと、「嘗て」とか、「曾て」と書かれる言葉ですが、これを「かって」と促音で発音する人が増えている気がします。書き言葉では、真ん中の「つ」は、決して「っ」と書かれることはないので、この言葉を「かって」とは発音できないはずです。にもかかわらず、NHKのアナウンサーですら、「かつて」を「かって」と発音する人がたくさんいます(2人に1人ぐらいの割合で)。以前、この問題を質問サイト「教えて!goo」に投稿したことがあります。皆さんの回答は、それはお前の(つまり私の)聞き違いではないか、アナウンサーが「かつて」を「かって」と発音することはない、というものでした。それ以来、この言葉がどう発音されるのか注意してTVの番組を観ているのですが、私の大雑把な印象ではこの言葉は50%ぐらいぐらいの確率で「かって」と促音で発音されています。直近の例をあげてみましょう。NHKスペシャル「人類誕生第2集—最強ライバルとの出会い、そして別れ」(2018/5/13放送)で語り手をつとめた和久田麻由子アナウンサーは、番組の中で「かって、体は頑丈でも・・と考えられていたネアンデルタール人」云々と言っていますし、NHKBSプレミアムの番組「英雄たちの選択-日本史を斬る、刀剣スペシャル」(2018/5/10)ではこの番組の語り手をつとめる俳優の松重豊は「かって、手作りで栄えた村」云々と、同様に「かつて」を「かって」と促音で発音しています。これらの番組はたまたま録画してあったので、巻き戻して確かめることができたのですが、言葉というのは、こういふうに変化していくものなのですね!「かつて」が「かって」と発音してもよいとされるようになり、やがてむしろこちらのほうが正しい発音であるとされるのは時間の問題なのかもしれません。

【エムズの片割れより】
自分は「かつて」派。しかし確かに「かって」を言われても、「かつて」と捉えますね。
言葉は生き物だけに、どう変わって行くのか。
神のみぞ知る!?

投稿: KeiichiKoda | 2018年5月15日 (火) 22:39

ローマ字表記の話の追記です。私の5/2のコメントで、藤井聡太の将棋連盟のローマ字表記ではSouta Fujiiとなっていて、これでは名前ほうはネイティブに「さうた」と発音されてしまうでしょうと書きました。アメリカ人の有名な作曲家で、「星条旗よ永遠なれ」、「ワシントン・ポスト」を含む100曲以上の行進曲を作曲したスーザという人がいますが、英語ではSousaと書きます。John Philip Sousaです。これにならえば、Soutaはスータと発音されるかもしれません。Souta Fujiiはスータ・フジイ(笑)。

【エムズの片割れより】
確かに・・・
Sohta Fujii では??

投稿: KeiichiKoda | 2018年7月14日 (土) 08:06

最近は英語をカタカナのままで使うことが多くなりましたが、それはそれで仕方ないとしても、カタカナにした英語が日本読みで違和感がある場合が少なくありません。日本語読みの典型的例はオーブン(oven)、食器棚のカップボード(cupboard)ですが、これらは英語に近い発音で書くと、アブンだし、カバードが正しい。最近知ったのですが、アカデミー賞の賞のawardは日本ではアワードというらしい。アカデミー・アワード。それなら、映画「スターウォーズ」(Star Wars)は「スターワーズ」というのか、といいたくなるのですが。。これらを指摘すると、英語とカタカナ語は違うので、あれはあれで日本語になっているのだからいいのだという反論が返ってくる。しかし、外国留学生が日本語を学ぶうえで苦労しているのはカタカナ語だと聞いたことがあります。外来語だから覚えやすいのではと思われるかもしれませんが、日本語化しているので聞き取りにくいし、場合によっては言語とはまったく意味が違う場合もあって難しいというのです。たとえば、テニスでサービスゲームを守ることを日本では「キープする」といいますが、昔アメリカにいるころ実況放送を英語で聴いていたことがありますが、keepという言葉は使われません。holdするというのです。「スルーする」とか、「フォローする」とかわけのわからないカタカナ語が氾濫していますが、たぶん、throughとか、followから来ているかと思うのですが、英語では決してそういう使い方はしません。
ところで、完全に定着した英語・カタカナ語にビジネスという言葉があり、誰でも知っているように、英語のbusinessから来ています。このbusinessを正確に(原語に近く)発音すると、何と発音するかご存知でしょうか?大部分の日本人は「ビズィネス」が正しい発音だと思っているのではないでしょうか?日本語には「ズィ」という発音はないので、代わりに「ジ」が使われている、と。村上春樹の長編小説に「羊をめぐる冒険」というのがありますが、この本(講談社文庫(上)の90-91ページ参照)に「「・・・あくまでビジネスの話です」男は「ビジネス」ということばを「ビズィネス」ときちんと発音した。おそらく日系の二世か何かなのだろう。」という文章があります。村上春樹もbusinessは正確に発音すると、「ビズィネス」だと思っていることがわかります。しかし、これは正しくないのです。英語の辞書を手元に持っている方はぜひ辞書を開けてこの語の「発音記号」を見ていただきたいのですが、原語に近いカタカナで書くと「ビズネス」が正しいのです。この日系二世らしき登場人物が本当に日系二世なら、こんな発音はしないいはずです。村上春樹は英語に堪能で、英語の小説もたくさん翻訳していますが(たとえば、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」(早川書房))、やはり日本人なんですね!(ちなみに、私はbusinessが正しくは「ビズネス」と発音されることは高校の英語の授業で教えられていたので知っていました。)日本でも最近気づいたのでしょうか(?)、昨日観たTVドラマのタイトルは「ドラマBiz「ラストチャンス再生請負人」」でした。このBizはBusinessのことで、ビジネス・ドラマの意味でしょう。最近はBusinessの省略形をBizと書くようです。日経新聞のコラムにも「ビッグBiz解剖」というのがあります。

投稿: KeiichiKoda | 2018年7月24日 (火) 09:37

大リーグで投手としても打者としても大活躍する大谷祥平選手を形容する言葉に「二刀流」があります。この表現、よく考えてみると、奇妙な言葉です。野球選手は打撃だけでなく、守備をしますが、誰も「二刀流」とはいわない(笑)。イチロー選手のように、打撃に優れ、毎年3割の打率を記録する(2度の首位打者)一方、守備でも毎年ゴールドクラブ賞(すぐれた守備をした野手に与えられる賞)をとった選手でも「二刀流」の選手とはいわない。確かに、投手というポジションは特殊で、守備の最重要なポジションであり、毎試合野手とはくらべものにならない体力・エネルギーを使う。指名打者制をとっているア・リーグ(日本ならパ・リーグ)では、投手は打撃につかなくてもよいことになっている。代わりに、打撃のときは打撃専門の打者(指名打者)が打順にはいる。大谷選手のように、投手として活躍する一方、投手非番のときにも指名打者としても活躍する選手はこれまでいなかった。(ベーブルースが引き合いに出されますが、ベーブルースの時代には「指名打者制」はなかったでしょう)。では、投手としての役割に専念する通常の投手は「(投手)一刀流」と呼ぶのかというと、誰もそのようにはいわない(笑)。当たり前すぎるので、わざわざ「一刀流」と呼ぶ必要がないからでしょうか?でも剣術(そこから派生したスポーツとしての「剣道」)の世界では、刀は一つ用いるのが普通ですが、「一刀流」とはいわない。「一刀流」とは伊藤一刀斎が創始した流派の名前(固有名詞)です。一刀を用いる剣術の流派としては、この「一刀流」の流れをくむ小野派一刀流、北辰一刀流、、、のほかにも、上泉伊勢守が創始した新陰流、その流れをくむ栁生新陰流もあるし、塚原卜伝の新当流(卜伝流)もあるが、これらは刀は一つしか使わないが「一刀流」ではない!同様に、 刀を2本使うから、「二刀流」なのではない。「二刀流」とは宮本武蔵が創始した「二天一流」の通称です。大谷選手が打者兼投手として活躍することとは何の関係もない。剣術のことは何も知らないメディアが、剣術の世界では刀を一本つかうのが「一刀流」、2本使うのが「二刀流」だと誤解したところから始まっている気がします。

【エムズの片割れ】
なかなか奥深い考察で、恐れ入ります。

投稿: KeiichiKoda | 2021年8月22日 (日) 06:09

これは「気持ちが悪い」というより「気になる」ことですが、最近新聞(日経)を読んでいると、中国の習近平国家主席の名前が出てくるたびに、習近平(シー・ジンピン)という風に、中国語読みに近いフリガナがかっこ書きではいっている。たとえば、本日(2021/9/7)の日経朝刊のOpinion欄(7ページ)の菅野幹夫氏の記事から引用してみましょう。「・・・中国は強権度を増す習近平(シー・ジンピン)国家主席のもとで、ハイテクでも安全保障でも・・」という具合です。TVのニュース等でも、習近平は「シー・ジンピン」と呼んでいるのかというと、そうではなく、「シューキンペイ」と通常の(?)日本語読みで発音しているし、中国人の論客が参加するBSフジの「プライムニュース」のような番組でも中国人の論客は「シューキンペイ」国家主席と発音している。毛沢東、周恩来、鄧小平といった人たちが新聞に登場するときは、わざわざかっこ書きの「中国語読みのカタカナ」は挿入されていません。普通の人は「モータクトー」、「シューオンライ」、「トーショーヘイ」のように日本語読みで発音しているはずです。私が、新聞では「習近平(シー・ジンピン)」と書かれていると気が付いたのは最近なんですが、遡って過去の新聞を読んでみると、かなり以前からそうなっていることがわかりました。ほかの新聞でもそうだと思いますが、どうしてそのようなフリガナが付くようになったのでしょうか?

【エムズの片割れより】
自分的には「シューキンペイ」ですね。
TVで「シー・ジンピン」と言われても、「だれ??」と・・・
もし変えるなら「モータクトー」、「シューオンライ」も一緒に変えないと合わない。
それとも、「シー・ジンピン」と読むように中国から圧力があるのかな・・・
最近特に、芸能界まで強力に手を入れている中国共産党なので、何でも有り!?

投稿: Keiichi Koda | 2021年9月 7日 (火) 08:58

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