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2013年5月 6日 (月)

オランダの安楽死について思う

だいぶ前の記事だが、先日の朝日新聞に、少々ショッキングな記事があった。オランダで実施されている安楽死についての記事である。曰く・・・

「(世界の老後 最期は)オランダ 安楽死、自分貫きたくて
 「気が強くて、厳しい人でした」。オランダ・アムステルダムの自宅で、母アネカ・デネレさんの写真を手に次女ビレミンさん(54)はしみじみと語った。2010年3月、安楽死する母をみとった。89歳だった。
 独立心が強く、夫が亡くなってから十数年、一人暮らしを続けた。いったん「やる」と決めれば、絶対やり遂げる。そんな母が、亡くなる2年前、安楽死できる「薬」を集めるよう娘たちに指示した。突然だった。
 持病こそなかったが、75歳ごろから耳が遠くなり、視力も衰えてきた。家中、手探りで物を捜しながら「どうして見えないのか」といらだった。人生の一番の喜びだった読書もできなくなっていた。「もうこれ以上、このような形で暮らし続けたくない」
 その言葉にショックを受けたが、気が強い母には、「そのうちに」とお茶を濁すしかなかった。1年以上たち、「認めるわけにはいかない」とはっきりと告げると、アネカさんは激高した。
 家庭医との面談が始まった。アネカさんは「非常に苦痛を感じる。この人生はもう完了した。この先も治る見通しはない」と訴えた。
 目や耳が悪くなったという理由だけで安楽死を認めてもいいのか――。医師の間でも意見は割れたが、最終的に家庭医が引き受けた。
130506ankrakusi  安楽死予定日の1週間前まで英語のレッスンを受けた。 最後の3日間。海外で暮らす娘たちも訪れ、親子4人ですごした。厳しかった母が、ほっとした表情を見せ、初めてリラックスしていた。おしゃべりしたり、散歩したり。
 「母とこれほど楽しいときを過ごしたことはない」
 娘それぞれに「遺品」が手渡された。ビレミンさんには婚約指輪だった。死ぬ前に聞いておきたかったこともすべて聞けた。「安楽死だからできた特別なこと」だった。
 その日。時間きっかりに家庭医が訪ねてきた。夫の書斎があった思い出の部屋にベッドを運び、医師から渡された薬を飲んだ。娘たちが見守る中、徐々にしゃべるのが遅くなった。
 「横になったら?」と声をかけると、「私はまだまだ逝かないわよ!」。母らしい最期の言葉だった。20分もかからず終わった。
 ビレミンさんは、母には死んでほしくないと思っていた。だが、安楽死に至るまでに過ごした時間の中で、かたくなだった母から、思うように生きられないつらさを聞かされるうち、その思いも理解できるようになった。死期が分かっているからこそ、向き合う機会も出来たと思う。
 慎重に実施する必要があるとは思うが、今、「安楽死には大賛成」と話す。
 ■11年は3千件超、死亡者の3%弱
 オランダの安楽死の報告数は、安楽死法が施行された02年は1882件だったが、11年には3695件に増えた。全死亡数の3%弱を占める。
 国民の支持も高まった。
 1970年代から安楽死の合法化を推進してきたオランダ自発的生命の終結協会(NVVE)によると、70年代の世論調査では支持は75%程度だったが、近年は約95%に達した。同協会のデヨング事務局長は、宗教離れと個人主義の台頭を指摘する。
 「教会に行く人は減り、命は神から授かったものという意識は薄れてきた。一方で、全てのことに自分で選べる選択肢があるべきだ、という考え方が強まっている」
 安楽死を求める声も広がっている。「目が見えなくなった」「人生に疲れた」などを理由とする安楽死の要求が相次ぐ。
 ただ、痛みに苦しむ末期がん患者などと違い、こうした要求に対しては、実施を拒む医師も多い。
 これに対し、同協会は昨年、「生命の終焉(しゅうえん)クリニック」を始めた。安楽死を家庭医に拒否された人のもとに、医師らのチームを派遣。法的に問題がないか調べ、要件を満たせば安楽死を代わりに実施したり、拒否した医師に働きかけたりする。開始10カ月で約600の要請があり、81人が安楽死したという。
 ■「生活改善が先」反対論も根強く
 一方で根強い反対も残る。
 キリスト教系団体、オランダ患者協会の政策担当エリーゼ・ファンフックさんは、「順番が逆。まずは、よい緩和ケア、QOL(生活の質)の改善を徹底的に模索してから、安楽死の議論が出るべきだ」と強調する。
 緊縮財政が続く中、福祉予算のカットも相次ぐ。「QOLの低下した人が『自分の人生に疲れた』と言って死んでいく。それこそ社会の破産だ」と警鐘を鳴らす。
 91年に安楽死を繰り返し求める女性の自殺を助けて自殺幇助(ほうじょ)罪に問われたバウドワイン・シャボット元精神科医は、「大切なのは高齢者に尊厳ある死について選択肢を与えること」と話す。現在は、自ら食事や水を断つなどの「自己安楽死」を提唱している。
 ただ、シャボットさんは、安楽死法を他国へ導入することには慎重だ。
 「この法律は国民の30年以上にわたる徹底した話し合いの結晶。安易に採り入れられる制度ではない」
 実際、ベルギーやスイスなどで一部認められている以外、世界的には広がっていない。日本でも裁判で安楽死が容認される要件が示されたことはあるが、法制化に向けた動きはない。 (中村靖三郎)
 ◆キーワード
 <オランダの安楽死法> 世界に先駆け、安楽死を明文で合法化する法律を制定し、2002年から施行。「苦痛が耐えがたく、改善の見込みがない」「自発的で、熟慮されている」などの要件を満たし、医師が決められた手続きに従えば、安楽死させても刑事責任を問われない。対象は、医師が致死薬を注射する「積極的安楽死」と、患者に薬を与えて自分で飲ませる「自殺幇助(ほうじょ)」。延命治療の中止などは、通常の医療行為とみなされている。
 1970年代から数々の安楽死事件をめぐる裁判があり、ルール化が進んだ。」(
2013/04/18付「朝日新聞」p34より)

自分も、いわゆる高齢者の仲間入りをすると、どうも生と死について考えざるを得なくなる。そんな中で、実際に行われているというオランダの安楽死の例は少々ショッキング・・・。

改めてwikiで世界の安楽死について調べてみると、世界の6カ国州で積極的安楽死を認めているという。つまり
・スイス- 1942年
・アメリカ(オレゴン州):1994年「尊厳死法 (Death with Dignity Act)」成立
・オランダ:2001年「安楽死法」可決。
・ベルギー:2002年「安楽死法」可決。
・ルクセンブルク:2008年「安楽死法」可決。
・アメリカ(ワシントン州):2009年

日本においては、安楽死は法的に認められていない。つまり、自殺幇助罪または殺人罪に問われるという。
「東海大学安楽死事件」の判決では、積極的安楽死の4要件として、
1.患者に耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
2.患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3.患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
4.生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
が示されたという。

結局、医師は殺人罪に問われる可能性があるため、安楽死という言葉は医療の現場からは消えた。そして、残されたのは、患者と家族・・・。
詰まるところ、命は誰のものか・・・ということに行き着く。
安楽死のwikiの記事によると、東海大学安楽死事件判決の問題点として「判決は、患者の自己決定権を前面に掲げながら、患者の治療拒否権をきわめて限定的にしか(具体的には死期が迫ったときにしか)認めていない。これは、今日西欧諸国で一般に認められている、治療における患者の自己決定権の水準を満たさない。」とある。

ここで恐ろしい言葉がある。「患者の治療拒否権を認めていない。」とは、医師が「まだ死期が迫っていない」と判断すれば、患者は治療を拒否出来ない。幾ら苦しくても、瀕死の患者に医者が「もっと我慢しろ!」と、強いることになる。
何とも“珍妙”と言うか、“恐ろしい”この状態が、今の日本の現実らしい。

家族の“その時”はいつ巡ってくるか、誰も分からない。でもその時のために、日頃から家族間で良く話し合っておいて、その時に家族が、医師に対して患者の思いを実現させる楯となる必要がある。
何?我が家?とっくに話し合っているさ・・・。もう耳にタコができるくらい言われている。「私は痛いのは絶対にイヤだが、その処置で早く死んでも良い・・・」と。まるで自分が先に逝くみたいに・・・。どう考えても、自分の方が先なのに・・・ね。

130506byouin <付録>「ボケて(bokete)」より

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