「一票の格差 議員ごとの持ち票制で解消」
先日の朝日新聞に、国会の一票の格差について、面白い提案が載っていた。
「(私の視点)一票の格差 議員ごとの持ち票制で解消
団体職員 高野克則
この3月、昨年末の衆院選について、二つの高裁が選挙無効の判断を示した。格差是正への国会の取り組みの遅れに業を煮やし、ついに伝家の宝刀を抜いたといったところであろうか。
「一票の格差」の是正を巡り、これまで国会の動きが鈍かったのは分からないでもない。是正には選挙区の区割り見直しが必要で、見直し対象となる選挙区の現職にとっては死活問題である。身内の議員にすればドライになり切れない面があろう。
確かに区割りを頻繁に変更するのは弊害が大きい。支持議員が区割り変更で別の選挙区に移れば、それまで培ってきた有権者と議員のつながりが断ち切られ、市民の参政意識の低下につながりかねない。選挙区割りは行政区を基本とした地域的なまとまりを大事にし、一度決めたら、あまり動かさないほうがいい。
そこで、選挙区の区割りを変更せず、「一票の格差」を解消するアイデアを提案したい。一言でいえば、議会における議員の「一票の格差」を認めるのである。
選挙区ごとに有権者数は正確に分かっている。各議員は自分の出身選挙区の有権者数を「持ち点」とし、議会で議決する際には議員ごとの「持ち点」を集計して多数決をするのである。こうすれば、選挙の際に「一票の格差」は小数点のレベルでも生じない。
議決の際の集計が煩雑になるという指摘もあるだろうが、そこは各議員に「持ち点」の情報を埋め込んだカードを付与し、議決の際にひな壇上のカード読み取り機で集計するようにすればいい。
これだと、同じ議員バッジをつけている議員の間で「一票の格差」は生じるが、有権者のそれに比べれば、本質的な話ではない。株式会社の総会の議決権が、株主数単位でなく保有株式数単位で付与されるのは資本主義のルールだ。これにならい、国会の議決権が議員数単位でなく出身選挙区の有権者数単位で付与されるなら、有権者の平等に、より配慮した間接民主主義だと言えないだろうか。
市民の参政意識が高まる効果にも期待したい。たとえば国会のテレビ中継で「賛成有権者数○○○○人、反対有権者数△△△△人。よって本法案は可決されました」といった議長の声が、お茶の間に届くようになったらどうだろう。有権者一人ひとりの一票が国会の場に漏れなく反映されていると、国民が実感するようになるはずである。 (たかのかつのり 団体職員)」(2013/05/09付「朝日新聞」p17より)
これは“妙案”である。と言うより、究極の“名案”である。
この案は「各議員は自分の出身選挙区の有権者数を「持ち点」とし」とあるが、当選者1名の小選挙区ではそれで良いが、死票の少ない究極の方法は、やはり中選挙区ではないか?
そして、当選者の投票率に合わせて、有権者数を割り振る・・・。
もし2名の中選挙区で、当選者の得票率が30%と20%だとしたら、10万人を6万人分の代表と4万人分の代表とする。もちろん比例区は無し。こうして、今と同じように人口比格差を2倍以下に抑えれば、一票の格差は限りなくゼロに近付く。そして各議員は、自分が何人分の有権者の代表かを、常に意識することになる。
しかし結果として、国会での全ての投票が記名投票になってしまう。でも、これはこれで良いこと。自分の投票に責任を持つ、という点で、投票の説明責任が生じるのは良いことでは?
昔、会社で市議会議員選挙の活動をしたことがある。今は流行(はや)らないが、昔は地元のそれぞれの会社が候補者を立て、得票数を競ったもの。その時を思い出すと、目標は“当選”ではなく、“トップ当選”だった。もちろん会社間の競争の側面はあるが、何票取っての当選、という数字が、その後の市議会での発言権、力の源だと聞いた。今考えると、得票数は、何人から支持された代表か、という意味で重いのは当然だった。
そんな気持ちで今の選挙制度を見ると、選挙区で落選した候補者が比例区で復活当選しているという現在は、一度、国民からNGを突きつけられた人が何で復活する??という奇妙な制度に見える。
まあこの提案は、ホントウに実現するとは思えないが、自分は○○人の代表、という数字を念頭に活動する国会議員の姿・・・。こんなことを想像すると、実に楽しいではないか・・・!?
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