城山三郎の「男子の本懐」を読む
会社に常駐している外注さんで、Sさんという男がいる。自分とは若い頃からの付き合い。
先日、Sさんの机の上に文庫本が積んであった。見ると皆城山三郎の小説。「Sさんは城山三郎が好きなのか?」と聞くと、「ぜひ読んでみろ」と『男子の本懐』を貸してくれた。
Sさんは事情により、5月いっぱいで居なくなる。その整理で、机の上に置いてあったらしい。よって、今月中に返さねば・・・
考えてみると、他人から小説を借りるのは、学生時代以来かも知れない。必要な本は買っていた。図書館で小説を借りたのも、数十年ぶりに読もうと思ったが手に入らなかった石川達三の「青春の蹉跌」くらいしか覚えていない。
Sさんが貸してくれるという話に乗ったのは、実は別の魂胆があった。つまり自分で買うと、なかなか読まないの。しかし今回は、5月いっぱい、という期限付きなのである。つまりリミットが決まっているので読書が進むかな・・・と思って。その魂胆は当たり、余裕を持って読み終わり、今日その本を返した。
実は城山三郎は「そうか、もう君はいないのか」(ここ)しか読んでいない。たぶん・・・
色々な小説の題は知っているが、読んだのは今回が初めて。
「男子の本懐」は、浜口雄幸首相と井上準之助蔵相の生涯を描いた1979年の作品。読んでみて、小説というよりドキュメンタリー。全て実在の人物が描かれているため、発言も出典がある。事実に基づいたこのような伝記は、史料を調べるのが大変だろう・・・と思っていたら、本の最後に出典がズラリと並んでいた。これだけの文献から二人の人物の生き様を描いた苦労は大変なもの・・・
世の中では、電子書籍がはやりだしたらしい。ダウンロードした小説を、スマホや電子ブックリーダー等で読む・・・。しかし、久しぶりに小説を読んで、自分は絶対に電子書籍は買わないな、と思った。なぜなら、本を読むとき、もう半分読んだ・・・、あと1/5で終わる・・・、という本の厚さに対する読み終わった達成感は格別。アナログの時計と同じで、あとどの位・・・という読んだ分量が、電子書籍では分からない。
そろそろ自分も人生の林住期。小説を読むには格好の時期。これを機に、たまっている読みたい小説を、読書時間を決めて、順に読んで行かなければ・・・と思っているこの頃。(この記事も自分へのプレッシャーのつもりで書いているのである・・・)
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