衆院選「一票の格差」の違憲判決
昨年(2012年)12月の衆院選の「一票の格差」についての高裁の判決が出そろった。自分が唯一興味のあった「無効」判決は2件だった。少ないと思うが、まあ“出ただけマシ”と言うべきか・・・
いつものように、各紙の記事や社説を読み比べてみた。どの新聞も「・・・べきだ」論で、面白くない。朝日新聞の社説が一番過激かな??
「一票の格差 異様な政治が裁かれた
あらためて、この国の政治の異様をおもう。
違憲の選挙で議席をえた国会議員が法律や予算をつくり、違憲の議会が選んだ内閣とともに国のあゆむ方向を決める。これを異様といわず何といおう。 一票の格差をめぐる高裁判決がそろった。最高裁から「いまの議員定数配分は法の下の平等に反する状態にある」と指摘されながら、1年9カ月後に同じ配分のまま行われた昨年の衆院選に関する一連の裁判だ。
この期間では国会が対応できなかったのもやむを得ないとして、なお「違憲状態」にとどまるとした判決が2件あった。
いかにも手ぬるい。立法府の明らかなサボタージュを、司法が追認してどうするのか。
残る14件は、是正のための時間はあったと述べ、一歩進んで「違憲」の結論を導いた。うち2件は、論理の積み上げがやや乱暴なのは気になるが、はじめて「違憲・無効」に踏みこみ、選挙のやり直しを求めた。
決着は今秋にも予想される最高裁判決を待つことになる。
憲法がかかげる「正当に選挙された国会における代表者」とは何か。国民主権とは、民主主義とは、法の支配とは。
裁判をとおして根源的な問いが突きつけられているというのに、政治の側の認識の浅さ、危機感の薄さは驚くばかりだ。
あいもかわらず、どんな仕組みにすれば自党に有利か、政局の主導権をにぎれるかといった観点からの発言がなされ、「裁判所はやりすぎだ」と見当違いの批判をくり出す。
「国権の最高機関」であるためには、民意をただしく反映した選挙が実施されなければならない。この当たり前のことが、なぜわからないのか。
0増5減に基づく新区割り法を、まず成立させる。そのうえで、これは緊急避難策でしかないとの認識にたち、最高裁が違憲の源とした「1人別枠制」を完全に排する抜本改正をする。
それが政治の当然の務めなのに、自分らに都合のいい制度を続けるために、憲法を変えてしまおうという動きがある。
自民党の憲法改正草案には、「各選挙区は、人口を基本とし、行政区画、地勢等を総合的に勘案して定める」とある。
考慮する要素を増やすことで国会の裁量の幅をひろげ、司法によるチェックが働きにくいようにしよう――。そんな思惑がすけて見える条文だ。
政治は、選挙制度は、だれのためにあるか。もちろん国民・有権者のためにある。この原点をとり違えてはならない。」(2013/03/28付「朝日新聞」社説より)
だいたい自分は、「・・・べきだ」論で国会が動くとは思っていない。そんな事で政治家が動くのなら、とっくに自浄されている。それが出来ないのだから強権発動以外には無い、と思っている。裁判所が「選挙無効」判決をしても、どうせまた政治は無視をするだろう。
では強権発動はどうしたら良いのか?
先日の新聞に「一人一票実現国民会議」なるものの「意見広告」があり、どうもそれが“現実的”らしい・・・。
「(1)最高裁判所が、「憲法は、人口比例選挙を要求している」と明言する違憲判決を下したとしよう。それにも拘わらず、国会議員が人口比例選挙の立法をしない場合、この『国会議員の立法不作為』は、「違法」である。有権者は、これを理由として、国家賠償訴訟を提起できる。
(2)ところで、平成17年最高裁大法廷判決は、在外邦人選挙権訴訟で、選挙権を行使できなかった在外邦人に1人当たり5000円の慰謝料を認めている。
この先例からみて、有権者は、次回選挙で、人口比例選挙の投票を行えない時は、1人当りの慰謝料(5000円)の損害を被るといえよう。
(3)有権者は、1億400万人強である。2000万人が原告となれば、1人当りの慰謝料・5000円として、総額1000億円請求の大訴訟となる。
(4)国が、敗訴して、賠償金を支払った場合、国は、故意に『立法不作為』をした各国会議員個人に対して、求償権を持つ(国賠法1条2項)。」(2013/03/27付「朝日新聞」p11より)
そうなのだ。国会議員の個人一人ひとりに、損害賠償が請求されない限り、日本の政治家は、皆知らん顔・・・。それが現実!?
しかし先進国を謳っている割に、国際的にもなんともみっともない。こんな事を論じられるほど、日本国民の代表は厚顔無恥で私利私欲の塊なのだろうか?何とも残念なニッポン国ではある。
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●メモ:カウント~410万
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