「時計を見るのを止めた!?」~急がない誓い
昨夜、少々ショッキングな話が入り、心を入れ替えた。(たぶん・・・)
昨夜、カミさんのある友人から電話があり、いつものような長電話をしていた。その後に、カミさんが来て言うには、「○○さんが事故にあって、顔面がマヒしたんだって・・・!」。
聞くと、一月ほど前、その友人が田舎に帰ろうと、息子さんと駅で歩いている時に、おしゃべりをしながら歩いて来た女性の二人連れとすれ違った際、足が引っかかったらしく、転倒して顔面を打ったとか。荷物も散乱して、周りの人が拾ってくれたほど。その時、二人連れの女性も当惑していたとか・・・。
そのまま田舎に帰ったが、顔の腫れがひどく、目も充血してひどかったとか。3日後に帰京してから病院に行った所、脳と目は何とか大丈夫らしいが、顔の三叉神経が切れたらしく(?)、頬と唇の感覚がないという。ちょうど歯医者で麻酔を打ったときのように、唇も半分知覚がないので食べる時に困る・・・と。驚いたことに、三叉神経は一度切れると治らないようで、医師はどうしようもないらしい。
電話で本人は明るい声を出していたというが、これからのQOL(生活の質)の低下は甚だしく、聞いている方が、愕然とする。
この話を聞いて、カミさんが言うには、「いつ何時、何が起きるか分からない・・・」。
自分も知っている彼女に起こったこのショッキングな話は、自分の生活においても大きな教訓を与える。つまり自分の(誰の)身にも、これと同じような事が、いつ起きてもおかしくないのである・・・。交通事故と同じで、全ては偶然・・・
自分の場合を考えてみた。例えば、会社から帰る時、就業のベルが鳴るや、脱兎のごとく会社を出ている。目的は、つながりの良い電車に間に合うこと・・・。つまり、○分後に発車する電車に乗れると、後が実にスムーズに家に帰れるのだ。早歩きで駅に着くと、息はハーハー、心臓はドキドキ・・・。でもその電車に乗れると、次の乗換駅でも乗り継ぎの電車に乗るべく、人の流れを縫うように、次のホームへ。その電車が着いた駅でも、同じように次の乗り継ぎの電車に乗るべく、人をかき分け、エスカレータを早歩きで登って、やっと目的の電車に乗る。すると20分ほど早く家に着くのだ。なぜなら、乗り換え時間のロスがほとんどゼロなので・・・。
帰り道での、毎日のこの流れ。自分は、一日に一度位は早歩きで心臓に負荷を掛けた方が良いのでは?ナンテ思っていたが、カミさんに言わせると「それが何なの? 数十分家に帰るのが早いのが何なの? そんなに慌てていて、階段を落ちたり、人とぶつかって転んだりして、取り返しが付かないケガでもしたら、それこそバカバカしい・・・。もう体は若くは無いのに・・・」
そう言われてみて、スゴ~く反省・・・。この20分の短縮の為に、毎日気が焦っていたことは事実。危ない歩き方をしていたのも事実・・・。よくまあ今まで事故に遭っていなかったもの・・・。
こんな事もあった。カミさんが繰り返して言う、我が家で大事件!? だいぶん前の話だが、親戚の葬儀に行くために、新幹線の予約を取っていた。東京駅でカミさんと待ち合わせ、一緒に新幹線のホームに行こうとしてはぐれた。自分が“ホームはこっちだろう・・・”と、標識を見ながら歩いて行ったのだが、ふと後ろを見るとカミさんの姿がない。人混みの中で、自分のスピードに付いて行けなかったのだ。携帯で連絡は付くが、何処にいるのか分からない。場所の説明が出来ない。幾ら待っても姿が見えない。時間はどんどん過ぎていく。やっと巡り会った時には、新幹線の発車直前。階段を走って登って、何とか新幹線のドアにたどり着いたが、遅れて走ってきたカミさんは、階段を上ったところで、転び、後で調べたら手の指を捻挫したらしい。確かに、やっと通夜には間に合った。しかし何と危険な場面だったか・・・。指定券を取っていたので、3時間座るためにも、何としてでも乗らなくては・・・と焦った。でも所詮お金と時間の問題だ。もし乗り遅れても、次の電車で行けば良いこと。通夜に遅れても、まったく取り返しが付かない、という事態では無いだろう。それによって被る身体の危険に比べれば、幾らでも取り返しが付いたのだ・・・。
場違いだが、ふとこんな事も思い出した、昔、弟と車に乗った。運転をしていた弟は、首都高で、中央道への道に行き損ねた。すると、弟は堂々と直進した。「一回りすれば、(首都高環状線は)また元に戻るから・・・」。自分だったら、急ハンドルでも、気が付いた瞬間に、ハンドルを切っていたかも・・・。結果、事故を起こしたかも知れないが・・・。そんなスタンスの弟は、長い間、無事故無違反を続けているとか・・・
おっと話がそれた。まあそんなワケで、昨夜自分はこう決心した。会社の帰りは、もう腕時計は見ない。そして、走らない。急がない。自然体で歩いて、その時に来た電車に乗る。もう何時に着こうが気にしない・・・と。
自分ももう高齢者の一員。この“誓い”を自分自身に言い聞かせるために、ここにメモしておく。
それにしても、カミさんの友人は、何とか治る手立ては無いものだろうか・・・。何とも心が痛い・・・。
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