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2013年2月19日 (火)

「生まれ変わって怨みを晴らす女達の話」~経典「真理の言葉」より

雑誌「大法輪」(2013年2月号)に、あの有名な“怨み”についての解説があった。自分はこの言葉が好きだが、背景にあったこの物語は知らなかった・・・。

 「いま、仏教を学ぶことの意味~なぜ人を殺してはいけないのか
    東洋大学名誉教授 菅沼 晃
生まれ変わって怨みを晴らす女達の話
「相手の怨みに対して怨みの心をもって報いるならば、怨みはいつまでも止むことがない。怨みは怨みを離れることによって止む。これは永遠の真理である」(『真理の言葉』 五)
 これは、仏教徒なら誰でも知っている言葉ですが、イスラエルとパレスチナの抗争に当てはめれば、次のようになるでしょう。
「敵側の怨みにもとづく攻撃に対して、こちら側も怨みの心によって反撃を加えるならば、怨みによる暴力行為は果てしなく続くことになり、ついに停戦はできず、和平は実現しない。双方が歴史的な事情を知って、相手の立場をよく理解すれば怨念はひとりでに消える。これは、どのような紛争の解決にも通ずる、変わることのない法則である」
 『真理のことば』の注釈書には、この詩句が説かれた因縁が次のように記されています。昔、コーサラ国の都サーヴァッテイーに、子供の産めない女性があり、夫のために子供を産める若い女性を自分で家に連れてきました。しかし、夫が若い女性に執着して自分をのけ者にするのではないかと思い、若い女性が妊娠する度に食事に毒物を混ぜて流産させ、これをくり返すうちに、三度目にはついに胎児とともに若い女性をも殺してしまいました。死ぬ間際に、彼女は「あなたは私の三人の子供を殺したうえ、私まで殺した。次の世では人食い鬼に生まれ変わってあなたの子供を喰い殺してやる」と叫びました。
 この怨念がもととなって、二人の女性の間に、相手がニワトリに生まれ変われば自分はネコとなって喰い殺す、さらに次の世で相手が牝鹿に生まれれば自分は雄ヒョウとなる、相手が長者の娘に生まれて子供を産めば、自分は人食い鬼に生まれて彼女の子供を喰い殺すという、三世にわたる何ともすさまじい報復バトルが行われました。
 三人目の子供が人食い鬼に喰われそうになったとき、母親はブッダの滞在する精舎に駆け込み、ブッダに助けを求めました。ブッダは人食い鬼をも精舎に招き入れ、「お前たちはヘビとマングースのように、カラスとフクロウのように、永劫に憎みあうのか」と厳しく誡め、上記の詩句を説いたと伝えています。
 「カラスとフクロウのように」とは、夜は目が利かないカラスと昼間は目が見えないフクロウが互いに憎みあい、いがみ合った末に、カラスは巧妙な策略を使ってフクロウの巣に入り込み、火を付けてフクロウの群れを皆殺しにした、という話です(『雑宝蔵経』)。
 それにしても、三度も生まれ変わって互いに怨みを晴らそうとするどす黒い情念には驚くばかりですが、怨みの心は人間の情念の中で最も消し難く、鎮め難いものであることがわかります。
 また、互いに憎みあい報復をくり返すうちに、ついに一方が敵対する側の本拠にのり込み、火を放って敵を皆殺しにするという話しには、現代のテロ事件を連想させる不気味なほどの現実感があります。」雑誌「大法輪」(2013年2月号p144より)

こんな物語を読むと、2500年前のブッダの時代から、人の営みは何も変わっていないな、と思う。2500年前というと、日本では縄文時代。それ以来、文化はもとより何もかもが変わっている現代といえども、人間の本性は変わっていない・・・。怨み、などの感情が・・・。
つまり、人間も自然界における動物のひとつ、ということなのだろう。理屈では御しきれない、ただの動物・・・。

この怨みという感情。これを乗り越えるためには、何が必要なのだろう?
坐禅による修行?? それとも、勉強による鍛錬??
いや、それより、果たして乗り越えなければいけないのだろうか?
今日も裁判のニュースが流れていたが、被害者家族は最高刑を望む。それは当然・・・!?

最近、この「怨み」という暗黒の感情を乗り越える一つの道は、“齢(よわい)”かもしれないな・・・と思いだした。
人間、還暦くらいに達すると、人生における自分の可能性も能力も、だいたいが分かってしまう。つまり、自分はこの位の人間だ、ということが分かってしまう。すると自然に肩の力が抜けてくる・・・。背伸びはもうしない。すると、怨んだりすることが、おっくうになってくる。
肩の力が抜け、日常で「足るを知る」ことが少しでも分かってくると、誰に何を言われても、あまり怒らなくなる。あまり恨まなくなる。そして、心は自然体・・・
まあこれは、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という希望的スタンスだが、困難がやってきても、受け流すことを覚え、段々と力を抜いていく。そんなことがこれかっら必要かも知れないな、と思うこの頃である。

(関連記事)
「恨みを捨てれば敵は消滅する」~ブッダの教える発想の転換(1/5) 

130219tora <付録>「2012年ナショナルジオグラフィックフォトコンテスト受賞者」の写真集は(ここ
boston.com/bigpicture 2013年1月7日より
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コメント

嫉妬と恨みがなかったらもう少し平和に暮らせるかもしれませんね。私の友人に素晴らしい人がいます。その人が家を建てた時、隣の強欲で有名なお爺さんが無理難題を押し付けて意地悪をしました。家を建てるにはお隣の印鑑が必要な事があります。農地だったのでお隣にかなりのお金を使ってやっと家が建ちました。友人はあまりの悔しさに泣きましたが、どうすることも出来ませんでした。あのお爺さんの孫の時代になったら仕返しをしてやろうと決心したそうです。今、孫の代になりました。仕返しはどうするのと聞いたら隣の孫は良い子だし、40年も経ったから恨みも消えて仲良く暮らした方が良いと思うと言いました。私はこの友人を尊敬しています。

【エムズの片割れより】
我が家も昔、色々あったので良く分かります。臥薪嘗胆という言葉がありますが、時間が全てを癒してくれますね。

投稿: 白萩 | 2013年2月20日 (水) 00:02

土地問題というのは、本当に執着しますね。
亡くなった私の父は、お人よしで、土地境界争いで大幅に遠慮して判を押しました。
後でそれを父は私に話ました。相手が縁戚なので遠慮したと。ばつの悪そうな顔をして。未練がありそうでした。
それを聞いて、馬鹿な親父らしいと呆れましたが、そのときはまあ仕方ないと思いました。
父親が亡くなった後で、相続関係で法務局で登記を確認したときに、その土地の新旧の図面も見ました。
そうしたら、古い図面では我が家の土地になっている部分が、父親が同意した新しい図面では、そのほとんどが隣接地の所有者のものになっていました。
それを見た瞬間、父親に対する怒りと、隣接地の所有者に対する怒り、怨みの感情が湧き上がりました。
その土地を見るたびに、その感情が起きます。
他の親戚から、あの土地はおまえの家のものだったのに、と言われるたびにも、その感情が生じます。
その土地は海のすぐ近くで建物が建てられていますが、父親が亡くなったときに、ふと、父親が津波でも起こして建物を壊すかも、なんて思いました。
その数年後にあの津波です。その建物は大破しました。
ああ、やっぱりと思いましたが、でも、我が家も浸水して母屋は残りましたが離れが駄目になりました。
それにあのとんでもない規模の津波ですから、まあ、亡くなった父親が悔しくて怨みで起こしたというのは、ちょっと違うなとは思っていますが。
それにしても、その土地に起因する自ら感情に自分でも驚いています。
その当時の隣接地の所有者は、いかにも狡猾そうな爺さんでした。私の父のお人よしの性格に付け込んだのは想像が付きます。
今は、その人は亡くなって孫の代で、その孫は私より年下で子供の頃は遊んだ仲です。気の優しい子供でした。
その孫とは子供のとき以来は話をしていません。
話す機会があったら、私の馬鹿な父親が、法務局に証拠があるにもかかわらずに、およそありえない遠慮をしたことを話そうと思っています。
そのとき相手はどんな反応するか、すまなそうな顔したら許すんだろうなあ、でも、開き直られたら、私はどう対処するかなあ、怒りを押さえられるかなあ、その怨みを持ったまま死んでいくかも、なんてことを考えたりもします。
また、仏教的には、悪因悪果でしょうから、相手のその行為が悪なら、私が何かしなくても、悪果があるだろう、なんて考えたりもします。
それにしても、土地への執着心って、すごいなあと思っています。
というより、父親への怒りなのかな、とも思います。

【エムズの片割れより】
ウチは相続の土地がないので、その点では気が楽です。

投稿: たかはし | 2013年2月20日 (水) 12:11

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