「いま毋に会えるなら」~親との付き合いに思う
昨日、カミさんが懇意にしていた近所のおばあさんが亡くなった。90歳を超えていたとはいえ、何とも心が痛む・・・
先日、カミさんが「どう思うか?」と読み上げた新聞の一文がある。曰く・・・
「いま毋に会えるなら
友人を見舞った病院のエレベーターで、年老いた母と息子らしい2人と乗り合わせた。入院姿の母親が「忙しいんでしょう」と50代ほどの息子に言うと、「忙しい!」と厳しい口調の一言。「同じだ」と、何ともやり切れなくなった。
昨年、母は92歳で亡くなった。約20年前に父が亡くなってから一人暮らしだった。阪神大震災での仮設住宅でも、再建した家でも自立して生活していた。
私は盆と正月には神戸へ帰省し1、2泊した。母はうれしそうな顔をしてしゃべり通しだった。少しは黙ってテレビでも見てもらいたいと思っていた。近所の叔母は「あんたが帰っているときだけよ。あんなに元気なのは」と言っていた。数年前から耳が遠くなったが、帰省すると相変わらず近所の話をしたり、私の家族の様子を聞いたりした。私は聞いているふりをして、相づちをうっていた。
昨年、入院した母を見舞うと、「百まで生きるから心配はいらんでぇ」といつもの調子で話していた。その2週間後に亡くなった。「廊下を人が通ると、あんたが来たんじゃないか、といつものぞいていたよ」と叔母に言われ、うなずくしかなかった。(会社員 男性63歳)」(2013/02/10付「朝日新聞」より)
この話は、母親対息子の姿である。なかなか付き合いが難しいという母親と息子の関係。それを如実に表しているこの一文・・・。
前に見た、あるテレビドラマの一シーンを思い出した。壇ふみが病牀の父親の看病でベッドの横についていると、(兄か弟か忘れたが)男が見舞いに来てひとこと、「痛いんか・・・」。
このひと言を聞いて、女性は怒る。男はなっていない・・・、と。
またまた話は飛ぶが、前に、すぎもとまさとが歌った「吾亦紅(われもこう)」(ここ)という歌があった。
死んだ母親を慕って歌うこの男の姿をどう見るか・・・だ。これは(女性が理解出来ない)“男の美学だ”という・・・
しかしそれは、現実的な女性の価値観から見ると、「何で死んだ後に謝る?」「なぜ生きている内に、してあげないのか?」・・・と映る。
実はウチのお袋から何度も言われていることがある。「何かをしてくれるのなら、今してちょうだい。死んだ後で何を思われても、嬉しくない」・・・
言われてみれば、そりゃそうだ。でも男は、立派な墓を作ったとか、立派な葬式や立派な法事を行ったとかに、価値を見出す?? でも死者にとっては、それらはもはや何の意味もない・・・。
「そんなことをする位なら、生きている内に顔を出せ」「生きている内に、優しいひと言でも言え」・・・。まっ・・・ネッ。
それは中には、忙しい中、来てくれただけで充分、という母親もいるだろう。でも果たして、上の投稿にあるような「忙しいんでしょう」「忙しい!」という会話が、病牀の親の心を癒すものかどうか・・・
そして、男女の価値観について思う。形に囚われる男の価値観。より現実的でリアルな女性の価値観・・・。
そんな価値観で考えて行くと、墓や墓参りはどれほどの意味があるのか・・・、とも思う。生きているうちの付き合いが全て・・・。死んだ後は、墓などの形に囚われない“故人を偲ぶ想い(心)”だけで充分な気もする。
「親孝行 したいときには親はなし」「石に布団は着せられず」・・・
まあ、親との付き合いは、生きている今のうちに“心して・・・”かもね。
<付録>「空」の写真集は(ここ)
boston.com/bigpicture 2013年2月4日より
~リンク先をクリックして、当サイト推薦の素晴らしい写真をぜひご覧下さい!
| 0
コメント
親というのは、なんであんなに頭に来る存在なのかなあ、と思います。
父親はもう亡くなりましたが、母親の一言一言に、ムカっと来て怒鳴り返すことがあります。
そのたびに、いい歳して俺はまだまだその程度かと思い知らされます。
【エムズの片割れより】
ホホホ・・・。まあ同じ土俵に乗らない・・・というのが年の功なのでしょうか・・・。
投稿: たかはし | 2013年2月15日 (金) 07:05
先達曰く「親の小言と冷酒は 後になるほど効いてくる」そうです。両親は他界しましたが、自分がその親の立場になりました。果たして、子供達には伝わるでしょうか。無理のような気がします・・・。
【エムズの片割れより】
まあ「時代が違う」と言ってしまえばオシマイですが・・・・
今の団塊のシニア世代は、親に尽くして、子に尽くされず、という損な世代だそうです。これからの世代は、尽くさず、尽くされず、でプラマイゼロですが・・・
投稿: メメント・モリ | 2013年2月18日 (月) 20:40