「妻の最期」~突然やってくる死をどう受け止める?
実は一昨日、2年ぶりに1時間余の不整脈に陥った。自分の最初の不整脈の発症は9年前。紹興酒の飲み過ぎによる脱水が原因。・・・だとばかり思っていたら、一昨日の場合は、自宅で何もしていない状態での発作なので、ビックリ。
別に死ぬほどのことではないのだが、こと心臓に関する現象だと、心細くもある。こんなことで、突然死ぬこともあるのかな・・・ナンテ。
先日、日本尊厳死協会に入っているカミさんのもとに送られて来た会報「リビング・ウィル」に、こんな投書が載っていた。曰く・・・
「妻の最期
(男性)岩見沢市(59歳)
ずっと元気で、今年2月の人間ドックでもどこにも異常がなかった妻が、数日前から体をだるそうにし、休日に病院に連れて行こうとしたときには車のシートに半身を預けて崩れ落ち、救急車を呼んだ。車内では酸素マスクなどの懸命の措置。到着した病院では「黄疸(おうだん)が出ている。血圧も低い。入院して検査をしましょう」と言われた。それでも、病室で目覚めた本人にも私にも危機感はなく、頼まれた本や身のまわりの品を家に取りに戻ったついでに献血カードと臓器移植の承諾書と尊厳死協会の会員証を一応まとめて持って行くのに深い意図はなかった。
所要で1泊旅行に出た私の代わりに付き添っていた娘によれば、翌日もとりとめない話をし、昼食も取ったという。が、その数時間後、トイレに行こうとして倒れ、容体が急変する。「苦しい。助けて助けて」を娘はふざけているのかとさえ思ったそうな。けれど、家族の聞いたそれが妻の最後の言葉だった。
家族に連絡をと言われた娘が会員証を示すと、医師は、裏面の宣言書を(初めてではないにしろ)興味深けに読んでいたという。私には、よって、無用な延命措置はしませんでしたときちんと説明してくれた。急性循環不全。気丈な娘の冷静な判断と、故人の意志を尊重してくれた誠実な医者。本人も私たち家族も死期を覚っての別れの言葉一つを交わせなかったのは無念だ。けれど、生前から「長生きなんかしたくない。ぽっくり逝きたい」と語っていた妻には、そのとおり本望の生き方であったろうと思う。享年61歳。」(日本尊厳死協会・会報「リビング・ウィル」(2013年1月1日号)p13より)
先のアルジェリアのテロに限らず、まさに人間はいつどこで死ぬか分からない。だから、常にそれを前提に生きるべき・・・、なのだろう。でもそれは、言葉では簡単だが実際には・・・!?
理想は“いつ死んでも可”という生き方なのだろうが、それは一体、どのようなものなのだろう・・・?? 自分的には、それには物理的なものと精神的なものとがあるような気がする。
物理的なものは、遺書の作成や遺産の処理、遺品(自分の所有物)の整理、葬儀への準備等々、自分が死んでも、残された人が困らないように処置しておくもので、これは自分でやる気になればいつでも出来る。
それに対して精神的なものは、自分の心の整理。自分で生きているときにやりたいことは何か。それをいつ実行するのか・・・。そして“もうこの世でやりたいことはない”と思えたとき、初めて“いつ死んでも良い・・・”と思える(のかな???)。
先日、NHKラジオ深夜便で、「今年にかける、80歳でのエベレスト挑戦~冒険家・プロスキーヤー…三浦雄一郎」(2013/01/03~04放送)(ここ)を聞いた。
三浦さんは、年齢が高くなっても元気でいるためには、常に目標を持つことだ、と言っていた。80歳でエベレストに登る、という目標のもとに、着々と体を鍛えて行った三浦さん。それを始めてから、いわゆるメタボ系の病気は皆飛んで行ったとのこと。高齢者が誰でも持っている持病たちが、ある目標の下で三浦さんのように20キロのリュックを常に担ぐ、といった方法で体を鍛える過程で、皆飛んで行ってしまう・・・
でも人間はわがままな存在。これを達成したらもういつ死んでも良い、ナンテ思っても、それを達成した途端、次の欲望(煩悩)が生まれる。
実は自分も、昨年ある目標を理想的な形で達成したのだが、今はもうそんな事は忘れて、次の煩悩(欲望・希望)にうなされている。
まさしく自分は“足る”を知らない存在。まあこれは、自分の人間性の問題だけど・・・
自分ももう高齢者。少しずつでも、物理的な準備から始めてみようかな・・・
(何? 自分は、今死んだら後悔するかって?? そりゃあもう・・・。**を見るまでは死ねないさ・・・。ホントに、いつまで経っても勝手なものさ・・・)
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