ベートーヴェンの作曲料
昨年の大晦日に行った「ベートーヴェンは凄い2012」コンサートのプログラムが、何とも面白い。まさに“ベートーヴェンあれこれ”・・・・
その中に、ベートーヴェン時代の著作料についての記事があり、面白く読んだ。曰く・・・
「ベートーヴェンの生きた社会と音楽
恫朋学園大学教授・音楽学 西原 稔
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献呈と出版との問題
19世紀のウィーンでは貴族は音楽家を率先して支援した。当時の慣行として、作曲家が作品を貴族に献呈すると、貴族はその見返りに献呈料を支払うのが常であった。ベートーヴェンはその作品の多くを貴族に献呈しているが、それぞれにおいて献呈料がベートーヴェンに支払われている。この献呈料はベートーヴェンだけでのことではなく、シューベルトも作品を貴族に献呈して献呈料を得ている。たとえば、シューベルトは、《糸を紡ぐグレートヒェン》(作品2)をモーリツ・フォン・フリース伯爵に献呈して、200フロリン※(1フロリンは現在の日本円で1万円程度)の献呈料を受け取っている。この200フロリンという額は、彼が助教師を務めていた時期に得た年収80フロリンの倍以上であり、下級公務員の年収の半分に相当する。ベートーヴェンの場合、交響曲1曲のあたりに献呈料は500フロリンが相場であった。
献呈された作品に関しては、一定期間、貴族はその作品を独占的に使用する権利を得るのが通例であった。貴族は、芸術家を支援し、また芸術を愛好するということを内外に示すことで社会的な尊敬を得ることができ、作曲家は貴族の支援を得ることで、経済的な安定を図ることができた。
ナポレオン戦争のさなかであったにもかかわらず、何故にウィーンの貴族は音楽家に高額の献呈料を支払うことができたのであろうか。それは皮肉にも戦争のおかげであった。この戦争はオーストリアの場合、徴兵で集められたフランスの軍隊と、ハプスブルク家との戦争であった。ハプスブルク家は王家であるが、オーストリア市民に従軍の義務はない。そのために同家は多くの傭兵を募って戦争に備えなければならなかった。そのためにハプスブルク家はボヘミアやハンガリーなどの貴族から傭兵を募り、その結果、周辺の貴族は経済的に豊かになった。その一方でハプスブルク家は資金難に陥り、そこで紙幣を乱発し、1811年に通貨の大幅切り下げを余儀なくされる。
貴族に作品を献呈し、献呈料を得るものの、作品は作曲家に帰属することから、作曲家は出版することで収入を得た。ベートーヴェンは交響曲第5番と第6番、それにハ長調のミサ曲、チェロ・ソナタ(作品69)の出版に際して、総額900フロリンで出版社と交渉に臨んでいるが、交渉はまとまらず、最終的に600フロリンで妥結している。また、19世紀の前期ではベートーヴェンの場合、ピアノ・ソナタ3曲の出版料は100ドゥカーテン(450フロリン)程度が相場であったらしく、彼は1810年、この額でブライトコップフ・ウント・ヘルテル社と妥結している。
当時は、印税という考え方は取り入れられておらず、出版ということは、出版社が作品を買い取ることを意味した。つまり、作品を一度出版するとその所有権は出版社に移ったのである。さらに、一つの国の内部では、著作権が保護されていたが、国際法がまだ未整備であったために、国際著作権も確立されておらず、ウィーンで出版された楽譜が、廉価で外国で出版することは当然のビジネスとしてみなされていた。この海賊版は作曲家にとって頭を抱える非常に大きな問題で、そのためにその後、ショパンが行ったように、ドイツとフランスとイギリスで同時に初版を刊行するということも、自衛策として取られたのである。・・・・
※注 フロリンの価値
当時の物価と現在の物価を比較するのはなかなか難しいことと、パンやワインなどの値段の比較となるとさらに難しいために、1820年代~1830年代のウィーンの人々の年収と家賃等を示す。
歌劇場の主演歌手 4500~4600フロリン(推定4500万円~4600万円)
宮廷楽長 2000フロリン(推定2000万円)
宮廷の官吏 400~500フロリン(推定400万円~500万円)
ブルク劇場の楽長 560フロリン(推定560万円)
歌劇場の首席奏者 1080フロリン(推定1080万円)
中等学校の教師 450~900フロリン(推定450万円~900万円)
小学校の教師 120~250フロリン(推定120万円~250万円)
(日本の公立小中学校教師の推定平均年収650万)
ベートーヴェンの1823年の冬の薪代 100フロリン(推定100万円)
ベートーヴェンが通っていたレストランの食事代 24クロイツァー(1フロリン=60クロイツァー):およそ4000円
3~5部屋のアパートの年間家賃 250~600フロリン(地域によって異なる):およそ250万円~600万円」(“ベートーヴェンは凄い2012”プログラムp57より)
交響曲1曲の貴族から貰う献呈料は500万円ほど。そして出版社に著作権を売る場合は、「運命」「田園」が他の2曲と合わせて600万円ほどだったとは、何とも安い・・・・。
そして献呈料だが、「ラズモフスキー」のように、弦楽四重奏曲の愛称として後世に名が残るとすると、その費用が数百万円は安いかもね・・・・。
しかし、こんな記事、上のような給料表を見ていると、ふっとその時代にタイムシフトしたような不思議な気分になる。
しかし天才の姿格好は、生活態度を同じく、何とも“品”からはほど遠かったようで・・・
このプログラムには、ベートーヴェンの色々な肖像画の写真も載っているが、楽譜を持った有名な写真は、“こうあって欲しい”という願いで書いたような・・・。つまり、他の肖像画に比べて、あまりに好青年!?(この写真のPDFはここ)(写真はクリックで拡大)
ともあれ、現代に残っているのは楽譜だけ。つまりどんな生活態度であっても、その作品は不滅・・・
このところ、「ベートーヴェンは凄い2012」コンサートのプログラムを片手に、ベートーヴェン研究!!?の日が続いている。
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