「ベートーヴェンは凄い!2012」で、本邦初演!マーラー版の「第九」を聴いた
2012年の大晦日、「ベートーヴェンは凄い!2012」を聞いた。このコンサートについては(ここ)に書いた。今日は、そのコンサートの目玉である、本邦初!というマーラー版「第九」に ついての話である。
実は、当日会場で、三枝さんの解説を聞くまで、そのことを意識していなかった。つまりマーラー版なる「第九」があることすら知らなかった。コンサートの合間の三枝さんの話で、今日の「第九」は“本邦初のマーラー版であり、記念すべき歴史に残る演奏会である”ことを知ったわけ・・・
早速買ったプログラムに、解説が詳しい。それらで、勉強していこう。(写真はクリックで拡大)
三枝さんも笑って言っていたが、N響の首席トランペット奏者・関山幸広氏も知らなかったというマーラー版。自分と同じ・・・。こんな大御所がご存じ無かったので、自分が知らなかったのも当然!?
「マーラー版のトランペット N響首席トランペット奏者・関山幸広
今年のベートーヴェン全交響曲連続演奏会での第九はマーラー版で演奏すると聞いて、僕は大変驚きました。僕ももう三十年近くオーケストラ奏者として活動してきましたが、第九にマーラー版なんてものがあるなんて初耳でした。演奏したこともないどころか、聴いたことすらないっていう。もう第九に関してはこれまでに何十回、何百回と演奏してきたので、まさかこの歳になって第九のCDを聴いてお勉強するなんてことになるとは夢にも思いませんでしたよ(笑)。
オリジナルと何が違うかというと、やはり一番の違いは編成の大きさでしょうね。木管楽器は倍管、ホルンは八本、ティンパニまで二人という、まさにマーラーの交響曲を彷彿とさせる大きな編成に編曲されていることです。もちろんトランペットも倍の四人です。これによってオリジナルの第九よりも壮大でパワフルな、それこそマーラーを聴いている感覚ですね。
もちろん編成を大きくしただけって訳ではないです。次に目立った違いといえば、旋律を金管楽器が補強しているところですね。より音に厚みを持たせたいっていうマーラーの考えなのでしょう。所々キツそうでソッとする場面もありましたけどね(笑)。
もう一つ大きな違いを挙げるとしたら、これはスコアを見ていて気づいたのですが、ダイナミクスの幅が増えていることですね。オリジナルの第九はpp(ピアニッシモ)からff(フォルテッシモ)までしかないんですが、マーラー版のダイナミクスはpppp(エストレマメンテ・ピアノ)からffff(エストレマメンテ・フォルテ)まで存在するんですよ。これもマーラーの曲などに多く見られますね。極度に弱く、極度に強くって意味なのですが、編成といい、旋律の補強といい、ダイナミクスの幅の増加といい、やはりマーラーらしい聴いていて圧倒してしまうような音楽にしたかったのでしょうね。・・・・・)(当日のプログラムp42より)
大幅に増やしたという楽器群・・・。その前に、そもそもベートーヴェンの交響曲の楽器編成はどうなっているのだろう?
同じく、プログラムに三枝さんの解説がある。
「巨大化するオーケストラ 三枝成彰
・・・オケの編成も時代を追うにつれて大きくなる。バロック時代、楽団員の数は15人ほどが一般的だったが、やがて人員を増やすところが現れた。ベートーヴェンも「パリには50人のオケがいる」とうらやましがったらしい。そして定着していったのが2管編成(フルート2、オー ボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ1、弦楽5部)であるが、ベートーヴェンは第3番で初めてホルンを3本にし、第5番でトロンボーンを3本、そして第9番で大太鼓やシンバルといった異教徒の楽器、そして声楽を大胆に取り入れた。この後は90~100名規模の3管・4管編成の作品も現われ、ときには5管編成、6管編成、7管編成、8管編成と、どんどんそのスケールは大きくなっていった。
また、それには楽器の進化にも一因がある。たとえばトランペットはベートーヴェンの初期の作品のころまで、機構上の問題から倍音しか出すことができなかったが、19世紀にヴァルヴやピストンといった新機能が本格的に取り入れられるようになってからは吹けるメロディーの幅が広がり、オケの中でも以前より大きな役割を担えるようになった。この機能の進化が、奏者の人数を増やす発想につながっていったのだと思われる。・・・」(同プログラムp43より)
なるほど・・・・
それでは、マーラーはどのように“編曲”した??
「分裂した歓喜―マーラー編曲によるベートーヴェン「第9」 矢澤孝樹(音楽評論)
・・・・ マーラーの「改訂」とは何か。それは、大きく分けて3つの角度からなされている。まずは楽器編成。2管編成で書かれていたオリジナル編成を倍管にし、ティンパニを2人に増強、さらに原曲に用いられていないテューバを加える。次に、弦楽器のプルトを細かく分割 したり、アーティキュレーションやボウイングに細かな指示をつけ加えたり、音色上のヴァラエティの多様化と表情の隈どりの強調。さらに、声部の補填や縮減、副旋律や新たなパッセージの付加といったテクスチュア自体への介入(1895年ハンブルクの演奏では終楽章にパンダ[別働隊の楽団]を使用したという)。
これら「改訂」の目的はマーラーによれば、ベートーヴェンの交響曲を、マーラー時代の巨大化したオーケストラと演奏会場において「適切に響かせる」ことにあった。しかし現代の私たちが実際に耳にしてその印象はどうか。
本日使用されるヨーゼフ・ワインベルガー版の新クリティカル・エディションを用いた、クリスチャン・ヤルヴィ指揮のCDがあるが(プライザー KKC-5119)、そこで聴かれるのは驚くほどマーラー白身の交響曲に接近した姿である。・・・・」(同プログラムp39より) (上のスコアのPDFはここ)
プログラムによる勉強はこの位にして、さてその演奏は??
まず、第九の舞台設営の間に、三枝さんが、管楽器を元に、オリジナルとマーラー版の違いを演奏してくれた。これが良く分かった。つまり、ベートーヴェンの時代には楽器で音が出せないために休符にした部分を、ベートーヴェンがもし音が出せたら、こう記しただろう・・という想定での音符の追加。マーラーはそれをこう編曲した・・・、という演奏である。そして、音符の補強・・・。
後ろで合唱団のための舞台設営が進むが、あんなきゃしゃな台で、数十人の合唱団の重量に耐えられるのかな・・と心配したり・・・
陣容は、指揮者1名+弦楽器61名+管・打楽器:39名+ソリスト4名+合唱230名(予定) =335名だという。
自分もこんな大規模な第九は初めて・・・・
演奏が始まって、なるほど・・・と思ったのは、音の厚みとゴージャスさ・・・。
さすがに違和感はある・・・・。第1楽章の第一テーマの2台のティンパニによる強打にはビックリ。ちょっとやり過ぎ??という感。
付け加えられた副旋律もさすがに違和感がある。特に第3楽章で、ベースのピチカートの伴奏に、ホルンで補強されていた部分は(たぶん)、耳を塞ぎたくなった・・・・。
確かに、マーラー的な、巨大交響曲にはなった。そうだ、プログラムにこんな解説もあった。
「〈第九〉における推理小説的現場検証 金子建志
作曲時のオーケストラの状況に合わせるべきか?
初演はベートーヴェンが生涯を閉じる3年前、1824年のウィーン。当時のオーケストラの状況は今とは全く異なっていた。「今」というのは曖昧な表現だが、例えばチャイコフスキー、ドヴォルザーク、マーラーといった人達の交響曲が誕生した19世紀の後半以後は、我々が普段接する近代オーケストラが、個々の楽器の構造としても組織としても、既にフォーマットとして確立されていたため、「今」と極端な違いはない。そうした近代オーケストラへのドラスティックな転換は、ベートーヴェンの死後、急激に進んだのだ。
作曲家・指揮者として近代オケ確立の先陣に立って時代を切り拓いていったのはベルリオーズとワーグナーだが、例えば新時代の夜明けを告げることになったベルリオーズの〈幻想交響曲〉が初演されたのが1830年だから、もしベートーヴェンがもう20年長生きして〈第九〉を最晩年に完成したとしたなら、ここで取り上げるような問題の多くは解決していたのである。ハイドンやモーツァルトの18世紀のオケをモノクロ・フィルム時代にたとえるなら、その最後の巨匠がベートーヴェン、カラー時代最初の天才映画監督がベルリオーズやワーグナーということになろう。
モノクロからカラーへというイメージの転換に最も寄与したのが、ベートーヴェンの死後、ホルンやトランペットに新たに組み込まれたピストン(ヴァルブ)だ。金管の原型は長い管をそのまま吹くアルペンホルンだが、その構造は水道管やゴムホースを吹いても全く同じで、物理的に共通な自然倍音①しか出ない。ベートーヴェンの時代までのトランペットやホルンは、基本的にその制約の中にあったため、〈第九〉の終楽章冒頭のトランペット②aのように書かざるを得なかったのだ。・・・・」(同プログラムp46より)
この解説を読むと、まさにマーラー編曲の音が理解出来る。そうだ、“モノクロの第九”が、“カラーの第九”に変身したのだ。いや、マーラーの場合は、“3D(立体映画)の第九”かも・・・。
それをどう聞くかは、聞く人の感性の問題。好き嫌いの問題・・・・
自分は、ピリオド楽器の演奏はあまり好きではないが、さりとてこのようなゴージャスな演奏をどう聞くか・・・。
三枝さんが薦めていた「ヤルヴィ指揮のCD」を一度聞いてみたい気もするが・・・・
ともあれ、ひょんな事で、人生初でたぶん最後のマーラー版の第九のナマを聞けた。実に良い大晦日であった。よってこのような大胆な企画に拍手・・・・
来年の「ベートーヴェンは凄い!」はどんな企画が出てくるのか・・・
当分、目が離せなくなった大晦日のイベントではある。
(このプログラムに「ベートーヴェンの履歴書」が載っていた。三枝著で中央公論から本が出ているらしい。早速買って読んでみよう・・・)
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コメント
はじめまして。私もこの演奏会会場で聴いてました。
この演奏会自体も初めて聴きに来たのに、滅多にないマーラー版ということでとても興奮しました。
凄かったけど、部分部分で違和感が‥笑
でも面白かったですねぇ。
【エムズの片割れより】
プログラムから引用した、金子建志さんの「ハイドンやモーツァルトの18世紀のオケをモノクロ・フィルム時代にたとえるなら、その最後の巨匠がベートーヴェン、カラー時代最初の天才映画監督がベルリオーズやワーグナーということになろう。」という表現がピッタリ。
そしてマーラーはカラーの次の3D映画では??
投稿: しか | 2013年1月 5日 (土) 20:48
エムズの片割れ様、遅くなりましたが、「あけましておめでとうございます。」
さてさて、マーラーエディションのベートヴェン第9ですが、当方、ピーター・テヴォリス(Piter Tiboris)指揮によるCD(BridgeBCD9033)を持っておりますが、どうもベートーヴェン時代の音とは異にする響きがしっくりせず、お蔵入りになっております。
同様に、シューマンの交響曲もアーノルド・チェッカート指揮によるマーラーエディション(BIS CD361・394)がありますが、上記同様の理由によりお蔵入りとなっております。(笑)
【エムズの片割れより】
聞き慣れた音楽がやはり良いようで・・・
その点では、ピリオド楽器による音楽も、自分にはどうもフィットしません。
違和感と言えば、ジンマンが「運命」のオーボエの旋律を変えていましたが、これも違和感・・・
https://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/21_106b.html
投稿: 杉ちゃん | 2013年1月13日 (日) 19:19
「マーラー版の第9」が本邦初演、というのは、三枝氏サイドの調査不足ではないかと思います。
1992年12月に、広上淳一指揮新日本フィルの演奏で行われた「第9」の演奏会が、「マーラー版」と銘打ち、実際にデトロイトから資料を取り寄せて行われています。
【エムズの片割れより】
そうですか・・・。Netで検索してみると、確かに1992年または1991年にあったようです。
http://c-music.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_3d6f.html
には、「■1991年12月27日(金)19:00
東京文化会館大ホール
指揮:広上淳一
新日本フィル
マーラー編曲版日本初演の演奏でした。」と・・・。
どちらかが勘違いでしょうが、何れにしても初演ではなかったようですね。
j情報、ありがとうございました。
投稿: フリッチャイマニア | 2013年6月25日 (火) 23:34