童謡「落葉の踊り」
もう本格的な冬。朝は氷点下。散歩している小山のいつもの道も、一面落ち葉で覆われている。体の小さい愛犬メイ子は歩きにくそう・・・・
こんな歌をご存じだろうか?
自分は結構童謡や唱歌が好きで、CDやFM放送から色々な音源を集めている。しかしこの「落ち葉の踊り」という歌は、昔から知ってはいるが、放送では出会ったことがない。そしてCDで手に入るものは、たぶん鮫島有美子だけだろう。
<鮫島有美子の「落葉の踊り」>
「落葉の踊り」
作詞:鹿島鳴秋
作曲:弘田龍太郎机の上にわすられた
赤い人形眼をあけば
冬の日ざしのさびしさに
庭の落葉が舞い踊る
机の上に迷い来た
庭の落葉の踊り子は
ねんねの唄もうたえねば
赤い人形見るばかり
Netで探ってもほとんど情報が無いが、この歌は、『少女号』大正9年(1920年)12月号に掲載されたという。
自分で探せた唯一の“文献”は、鮫島有美子のCD「ゆりかごの歌」のライナーノーツ。その記載にはこうある。
「鹿島嶋秋(1891-1954)は、大正7年7月に「赤い鳥」が創刊されて芸術的な香りの高い童謡を目ざす運動が本格化する以前から、明治時代の唱歌のスタイルを踏襲した童謡を子供雑誌に寄稿していた。やがて弘田龍太郎に作曲されるようになり、「浜千鳥」「金魚の昼寝」「お山のお猿」などが広く愛唱されるようになつた。
「落葉の踊り」は大正9年10月に作曲された。原曲はホ短調、曲のはじめに“速く且つ軽快に”と書かれている。とはいえ“冬の日ざしのさみしさに”の部分は、その前後に対して音価が2倍のゆるやかな旋律に転じ、同じ作曲者の「叱られて」を思い起こさせる。」(鮫島有美子「ゆりかごの歌」ライナーノーツより)
(音価=音楽において、ある音(または休止)に与えられた楽譜上の時間の長さをいう。~Wikiより)
さてこの歌、聞いてみると、実に “起承転結”がよく出来ている・・・!?
歌詞も分かり易い。でも「ねんねの唄もうたえねば」の意味は? “うたえねば”は、“歌えないので”という意味かな??
ともあれ、この歌も、大正・昭和初期時代の童謡がたくさん作られていた時代の作品らしい。
しかし、なぜこの名曲が、あまり歌われていないのだろ? 誰か歌った音源は??・・・と探って行くと、近藤圭子の歌が見付かった。「海ほうずきの歌」で有名な近藤圭子は、戦後の童謡歌手のひとり。
<近藤圭子の「落葉の踊り」>
なぜかもの悲しい季節の到来である。
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コメント
ずっと拝見していますが、コメント出来る
学識がありませんが、知っています
この歌は、たぶん近藤圭子さんのような、
子供の歌手でした。
そのころは子供の童謡歌手がたくさんいましたものね。
【エムズの片割れより】
昔の童謡歌手の時代は、自分は知らないので、この歌を覚えたのはいつ頃だったのか・・・。でもほとんど音源がありませんので、やはり近藤圭子さんの歌を聞いたのかも・・??
投稿: 兼太郎 | 2012年12月12日 (水) 15:46
この歌の懐かしさのあまり筆をとりました。
私のごく幼い頃、決して音楽が得意ではなかった父が歌ってくれた唯一の歌です。たくさんあったレコードの中にもなぜかこの歌はありませんでしたのできっと父から聞いたのを覚えているんでしょうね。長いあいだ「幻の歌」でした。70年以上経った今も歌詞もメロディーも忘れずにいます。ネットでもMIDIはありましたが歌はほとんどなく、ラジオでも1回くらいしか聞いた覚えがありません。
【エムズの片割れより】
本当にこの歌は良い歌なのに、なぜあまり歌われていないのでしょうね。
投稿: 雪爺 | 2012年12月16日 (日) 14:06
地域のデイサービスセンターへの歌の出前で、[落ち葉の踊り」を7年前から今頃の季節に歌っています。母方の叔母がJOAK唱歌隊に昭和3年から昭和12年頃迄所属していて、愛宕山放送所からラヂオ「子供の時間」で唄っていました。叔母のルーツを書き残しておこうと、「子供の時間」の放送内容を毎月紹介していた月刊誌「ラヂオ子供のテキスト」を探しています。NHKには閲覧可能なもの残されていないので。
【エムズの片割れより】
そうですか・・・
ところで「「ラヂオ子供のテキスト」ですが、ヤフオクに500円~1000円でたくさん出てますよ。
投稿: 三澤 洸 | 2012年12月18日 (火) 15:40