「国民皆保険、当たり前でない」
だいぶん前だが、朝日新聞に国民皆保険についての記事があった。曰く・・・
「現場から考える社会保障~国民皆保険、当たり前でない
中村秀一(医療介護福祉政策研究フォーラム理事長)
先般のロンドン・オリンピックの開会式をテレビ中継で見ていたところ、アリーナではイギリスの歴史をたどっていた。産業革命だ……とみているうちに場面の転回があり、乳母のような格好をした女性たちがダンスを始めた。大きな文字でNHSとある。第2次大戦後生まれたイギリスの医療制度(国営医療サービス)のことだ。進む開会式をよそに、私はすっかり考え込んでしまった。東京でオリンピックが開催されるとして、医療が取り上げられるだろうか?
NHSに相当するのが、わが国では国民皆保険だろう。1961年にすべての国民が医療保険制度でカバーされることとなった。現在、皆保険を否定する政党は皆無だし、ほとんどの有識者にも支持されており、皆保険を維持することは国民的コンセンサスと言ってよい。この制度によって、医師にかかりやすくなった。わが国民1人あたりの年間受診回数は13.1回で、ドイツの8.4回、フランスの6.7回、イギリスの5回、米国の3.9回、スウェーデンの2.9回に比べて断然に多い。わが国では医療をけなす言葉として「3時間まって3分診療」があるが、実は3時間まてば医師に診てもらえるということは、国際的にみれば褒め言葉だ。
米国では公的な医療保険制度が整備されていない。数千万人が無保険者で、経済的理由で医療をうけられないことが問題になっている。スウェーデンでは医療費は無料に近いが、1週間以内に医師に診てもらえるようにすることが医療政策の目標になっている。患者がどの医療機関にも飛び込める「フリーアクセス」も、わが国では当たり前と考えられているが国際的には少数派だ。筆者がスウェーデンに駐在していた時、日本人駐在員の不満は、病院には直接行けないこと、診療所は予約制で、看護師が間に入り医師にすぐには取り次いでくれないことだった。
また、わが国ではほとんどすべての医療が医療保険の対象になっている。67年に人工透析が保険の対象とされた。68年に215人であった透析の患者は、今日では30万人を超えている。25年を超えて透析をしている患者が1万人以上いる。これらの人々のまさに命綱となっているのが医療保険だ。
保険証をもっていけばどの医療機関にでもかかれ、たいていの医療が保険で提供されるということは国際的に高く評価されているが、わが国民には空気のように当たり前で「ありがたみ」が理解されていない。
わが国の医療を作ってきたのが、皆保険である。しかし、良いことばかり、というわけにはいかない。
保険財源が確保されたため、病院が多く作られ、病床数も大幅に増えた。国際比較すると、日本は人口当たりの医師数、看護師数が少なく、ベッド数が非常に多い。1ベッド当たりの医療スタッフが極めて少ない状態だ。わが国の医療は、病院スタッフの献身的な努力でかろうじて運営されている。近年短縮される傾向にあるが、入院期間が長いのもわが国の特徴だ。早く治すという医療が実現されていないのだ。
医師が自由に開業できる制度であったため、似たような病院が多く、相互の役割分担や連携もとれていない。医師の地域偏在や診療科間のアンバランスが生じているが、この調整は至難の業だ。小さな病院を統合して医療機能を高める改革も必要だが、住民も地元に病院の確保を望むため、なかなか進まない。現状維持に傾きがちな医療界も改革の足かせになってきた。レセプト(医療機関から保険者に提出される医療費の請求書)の電子化は、数年前から本格化し、現在やっと請求件数の9割を超えるようになったが、旧厚生省が電子化を提唱してから30年近くかかった。医療界との調整に手間取ったためだ。医療がますます高度化し、医療安全の確保、質の向上が求められている今日、医療提供体制の改革が焦眉(しょうび)の急であるが、この分野の政策の立ち遅れが目立つ。
私事で恐縮だが、私が医者になっていれば7代目という医者の家系だ。祖父は信州の田舎の開業医であり、皆保険がスタートした前年に亡くなった。医院には朝から患者が多く、診察を終えた祖父が夕食をとるのは夜遅くであった。高齢になっても自転車で往診をしていた。小学校の校医でもあり、地域医療を実践していた。盆、暮れに祖父の家に帰省すると、いつも金だらいに鯉(こい)が泳いでいた。皆保険以前のことであり、薬代の払えない人は、鯉や野菜を持って御礼にきていたのだ。
皆保険で医療は安くて当たり前だという錯覚を生んでしまった。医療は受けやすくなったあまり、その大切さへの実感が失われ、感謝の念が後退したことも大きな問題だ。医療保険の目的は患者支援だ。医療保険を収入源とする医療界は、患者本位という原点を忘れないでほしい。
私たち自身に「皆保険は自分たちの財産であり、大事に使う」という自覚がなければ、皆保険はいずれ崩壊してしまう。そこを改めて強調したい。
(なかむら・しゅういち 1948年生まれ。厚生労働省社会・援護局長などをへて内閣官房社会保障改革担当室長。医療介護福祉政策研究フォーラム理事長)(2012/11/16付「朝日新聞」p19より)
まさに、“当たり前のこと”の有り難さ・・だ。
しかし、この記事を読んでビックリしたのが、スウェーデンの医療。一番進んでいると想像していたのに、「1週間以内に医師に診てもらえるようにすることが医療政策の目標」とは・・・・。
1週間も医者に診て貰えなければ、治ってしまう? いや死んでしまう!!
今の日本の感覚からすると、信じられない・・・。特に脳梗塞など、発症後何時間以内に治療を開始するかで、予後が大きく変わってしまうのに・・・
しかし、治療を受けるのが当たり前の日本において、それに甘えて治療費を払わない人も居るらしい。前にある大病院の救命救急センターで、担ぎ込まれた患者について、ちゃんと金を払ってもらえるか・・という電話を、救命センターの医師自らがしていたという話を聞いた。
命が危ない人に、病院は何はともあれ、処置をする。しかし患者はのど元過ぎれば・・・で、金のことになると・・・・
病院も大変である。
しかし、最先端の医療が、粛々と行われて行く日本は素晴らしい。先日の息子の手術ではないが、患者が考えるまでもなく、教授自らが「手術を強く勧める」と迫って(?)来る。
この“日常的な風景”をどう見るか・・・。どう評価するか・・・
全ての制度は、国それぞれの歴史や文化、国民性に根ざしている。今回の衆院選ではないが、今の日本に閉塞感はあるものの、まだまだ良い国なのかも知れない。
今朝の新聞各紙によると、12月16日の衆院選の序盤情勢調査で、自民党が過半数を超える勢いとか・・・。まあ、これ以上悪くならない政治になるとよいが・・・
(2012/12/07追)
アメリカ在住の「名前?忘れた」さんから、コメントでアメリカの医療の現状を教えて頂きました(ここ)。
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コメント
こちらアメリカです。確かに「健康診断」のような物は1週間先、1ヶ月先と言う予約ですが仰る様な脳梗塞とか急を要する病状の時は大病院の「救急」に行くと云う事です。勿論救急車は有料です。最初に保険はあるか支払いは如何するとか細かく聞かれます。小児科などはホームドクターに連絡すると先ず看護師に症状を話しその後ドクターから指示が来ると言うようなのが普通だと思います。又大人の風邪のようなのもやはり電話で症状を話すと薬の処方箋を自分が決めたドラッグストアに送られ其処に薬を取りに行くと言うようなシステムが一般的かと思います。この国で保険無しと言うのはとても不安な事と思うのですが保険代も高く医療費はとてつもなく高い為医療とは無縁にせざるをえないと言う人も少なくありません。
【エムズの片割れより】
おっと今度はアメリカですか。(さっきライプツィヒへのコメントを書いた所・・)
アメリカの状況が良く分かりました。ありがとうございます。
しかし本人が訴える症状だけで薬が決まるのは、少し怖いですね。ウソでも良いから聴診器で“診て”くれると安心・・・・。“診る”と“見る”では大きく違いますが、“診る”“聞く”ではもっと違うような・・・・
でも医療費がとてつもなく高い、という状態が全ての原因かも。結局アメリカでは、命も金持ちだけがながらえる!?
それに比べると、日本は保険証だけ持っていれば、ほとんど平等に扱ってくれるので、やはり安心です。
投稿: 名前?忘れた | 2012年12月 7日 (金) 10:59
エムズ様、もう一つ忘れてました
診ると聞く(電話)では大違いですよね。
こちらでは保険(サラリーマン等は会社から)のある人はホームドクターを決めてます。救急で行くほどじゃあないけどの状態で電話した時にそのホームドクターによっては今時間が空いてるから来てください、と診てくれる時もあります。日本の健保はもう空気のような存在でしょうがこちらから見ると羨ましい限り。年金生活者でも夫婦で毎月2万円位(これは天引き)払いますが中にはその他に7,8万以上払う人までマサにこの国ではお金が無ければ命も永らえません。
【エムズの片割れより】
そうですか・・・。当方も先月から健保が全額自己負担になったため、1カ月2万4千円ほど払うようになりました。あまり変わらないのかも・・・
投稿: 名前?忘れた | 2012年12月 8日 (土) 23:01