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2012年12月18日 (火)

フクちゃんと米長邦雄氏の訃報

今日は、どうしたことか、フクちゃんと米長邦雄氏が亡くなったという話を聞いた。さてどちらから先に書こう・・・。ま、当然フクちゃんだな・・・

会社で、カバンの中の携帯のメール着信のアラームが鳴った。見るとカミさんから、フクちゃん(本名:福)が、今朝けいれんを起こして亡くなったという。フクちゃんとは、ウチの愛犬メイ子の、一緒に生まれた3匹姉妹のうちの一匹。
前に、愛犬について書いたことがある(ここ)。それによると(←だいたい自分は覚えていないのだ・・)、母親のベベちゃんが2007年に亡くなり、2011年4月に妹のシュクちゃんが雷に驚いて、誰も居なかった家で、風呂でおぼれて死んだ。そして今朝、姉妹のフクちゃんが、10歳の誕生日を前に、亡くなってしまった。そして3匹姉妹だったのが、ウチのメイ子ひとりになってしまった。
会社から帰って聞くと、昨日はちゃんとエサも食べたし、普通だったらしい。そして昨夜1時半ごろ様子がおかしくなり、午前2時に動物病院に連れて行って診てもらったが、血圧がどんどん下がり、亡くなったという。せめて、家族に見守られて、そして獣医さんに診て貰いながら亡くなったのは、良かった。家に1人にしておいて、帰ってみたら死んでいた・・・に比べると、よっぽど良い。
しかし午前2時に、電話に出てくれて、もちろん診療時間外だというのに、診てくれる獣医さんが世の中には居るのだ・・・。(ちなみにこの獣医さんは、多摩大橋・八王子側にある「かじはら動物病院」(ここ)とか・・・)
今日は、ウチのカミさんも、葬式?に行って、泣いたという。そして思うことはただ一つ。ウチのメイ子が死んだらどうしよう・・・・・・!

話は飛ぶが、日本将棋連盟会長の米長邦雄さんが、今朝(2012/12/18)前立腺がんのため亡くなったという。69歳。今年の正月に、コンピュータとの将棋を指して、まだまだ元気だったのに・・・
毎日新聞のサイト(ここ)によると、氏はblogに遺言ともおぼしき言葉を残していたという。
「・・・最近、自分はいつ、どのような形で人生を投了することになるのか考えるようになりました。一日でも長く、大いに笑い、健康な日々を過ごしたいと願ってはいるのですが、いつかは必ずその日がやってくることも覚悟しておかねばならない。・・・」(最後の時(2012.11.25)ここより)
「・・・人生は必ずいつか終わるもの。どのような形で投了するのか、あるいは投了させられるのか。最近はそんなことを考えるのが多いのも又事実です。痛みもなく苦しみもなく、寿命を全うできれば、これが一番幸せではないかと思い至るようになりました。
 悟りを開いた高僧になった訳ではありませんが、「人生すべて感謝である」これが今の心境です。私はガンを患っていますが、これもことの成りゆきで、人生はなるようにしかならないのだと達観しております。
 しかし、人生の達人にお会いして、それではまだだめだと教えられました。この世には無駄なことは何もなく、ガンになったことすら感謝すべきであると諭され、はっと氣づかされました。
 私自身の人生を振り返ってみると、60才までの勝負師人生、その後の経営者としての人生に分けられるような氣がします。60才までのことは大方の人が知っていることでしょうから、60過ぎからの会長職としての仕事の成果、内容、等々を書き綴ってゆきたいと思います。・・・」(
最後の時(2)(2012.12.2)ここより)

人生、なかなか思い通りには行かない・・・・。
しかし、家族にも、自身にも、死は必ず訪れる。そして悲嘆に暮れる・・・
でも、ブッダは言う・・・
 「いったん生を受けたものは死ななければならない。
 陶工の手から生まれた土の器が壊れるように。
 果実が熟して、樹から落ちるように。
 人の命は定めようがない。
 長く生きるか、短命に終るか、誰も知る由がない。
 そして若くあろうが老いていようが
 賢い人であろうが愚かな人であろうが
 誰もみな最後は死に至る。だからいくら嘆き悲しんでも死者は生き返らない。死者にわたしたちの手が及ぶことはない。したがって、いつまでも泣くは無益である。それどころか、かえって我が身をやつれさせることになる。
 悲嘆はまた、愛執と憂いという煩悩である。
 その煩悩の矢を自分の手で抜き去れ。
 すなわち、悲嘆を超え、心の安らぎに達せよ。」
 (「ブッダのことば」~スッタニパータ、中村元訳)

言葉ではそうは言うが・・・・

そろそろ年末。またひとつ歳を取る。先ほどのブッダの言葉ではないが、(自分も愛犬も含めて)いつ身近な家族に死が訪れるか分からない。でもその用意など、考えたくもない・・・!?
でも高齢者の仲間入りもした自分。そして愛犬メイ子もちょうど10歳。お互い、まだまだ“初老”なのだが、少なくても他人事でなくなってきた。
でも「メイ子!」と呼ぶと、さっさと自分の家にこもってしまうので、今日も元気。(←ウチのメイ子は体調が悪いと、自分から擦り寄ってくるので・・)
あいつぐ姉妹の訃報を前に、「メイ子が死んだらどうしよう・・・」とカミさんも自分も、猛烈な不安・・・。今備えることは?? かじはら先生にお歳暮でも贈っておこうか??

(関連記事)
「“かわいい”と思う犬」ベスト10~ウチの愛犬 

121218pet <付録>「ボケて(bokete)」より

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コメント

先日の小沢昭一さんといい、米長さんといい
ショックです。
この記事を読ませていただくと、米長さんは
病気と対峙して達観されていたのでしょうか。
病気であろうとなかろうと何時かは一線を引く時が有るわけです。
自分も同じことを考える時が良くあります。
私もこの両人と同じ病持ち歴8年。
告知時のPSA158.手術は止めようと言われ、ホルモン療法、投薬と注射で現在PSA0.00.「調子は良いですね。」(医師の言葉)。
何時かは終わるもの。痛みさえなければと念じている時分です。

【エムズの片割れより】
確かに、いつかは終わるのですが・・・
痛さだからだけは逃げたいですね。それ以外は仕方がない・・??
でも気の弱い自分は、まったく想像出来ません。怖くて・・・

投稿: 兼太郎 | 2012年12月20日 (木) 16:52

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