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2012年12月 7日 (金)

「メール冤罪事件 実相見ない家裁は猛省を」

先日の朝日新聞に、先のメール冤罪事件でこんな記事が載っていた。曰く・・・

<私の視点>メール冤罪事件 実相見ない家裁は猛省を
    宗内敦(都留文化大名誉教授〈教育臨床心理学〉)
 他人のパソコンに侵入して所有者になりすまし、そこから殺人・爆破の予告などのメールを発信する事件で、4人もの無実の人が逮捕された。しかも逮捕された人のなかには、当初は容疑を否認していたのに、引き続く勾留の中で自白までさせられた人もいる。慄然(りつぜん)とする事件である。
 だが、ここで私が最も驚いたのは、犯人として送致されてきた未成年の大学生に、有罪を意味する「保護観察」処分を下し、少年の人格と人権を著しく侵害した家庭裁判所のあり様である。自白に誘導するための脅しや強要を常とする警察などの捜査機関の態様は、今に始まったことではない。しかし犯罪少年の保護・育成を標榜する家庭裁判所が、無実の少年の人権を守れず、「保護観察」処分を下したことはまことに残念だ。
 家裁の使命は、明日を担う少年たちの人格のよりよき発展を期して、彼らが犯した罪を憎まず、罰をも許して、教育・保護に徹するところにある。それゆえ誰が見ても許されない大罪を犯した者さえ、世間や被害者側の感情を抑えて、教育の可能性にかけて刑罰を避け、「保護処分」に徹することが許されてきた。
 その家裁が今回、本来もっとも守られるべき冤罪少年の人権と人格を守れなかったのはなぜか。家裁が常日頃から真に少年の人格と向き合い、刑罰か保護か、葛藤の末に処分を決定していたなら、当初無実を主張していた少年の冤罪を晴らす道筋を見いだすことも決して難しくはなかっただろう。
 私は元家裁調査官でありながら、時に極端な保護主義に走り、社会感情、とりわけ被害者感情をまったく斟酌(しんしゃく)しないかのごとき家裁の決定を幾度も批判してきた。「少年保護」の錦の御旗に隠れ、少年の「事件と人格」の実相により深く迫ることなく、安易に保護処分に傾く体質が垣間見えたからである。
 皮肉なことに、今回の冤罪少年に対する安易な処分もまた、その延長線上にあると言って過言ではない。実相に迫ろうとしない姿勢が、錦の御旗に基づく「保護観察」なる「有罪決定」を招き、結局、その人格と人権を救済・保護するどころか、蹂躙(じゅうりん)してしまったのである。これは昨今、世間を震撼させた、いじめ事件の被害者が自死に追い込まれる過程に責任を持たなかった学校や教師の姿と、悲しくも重なって見える。
 教育とは何か。保護とは何か。学校・教師はいざ知らず、少年の人権と人格を保護し育成する最後のとりでである家裁には、その専門性とあり様に基づき、深甚なる内省と反省を促したい。」(2012/11/23付「朝日新聞」p15より)

この記事を読みながら、前に読んだ新聞の記事を思い出した。裁判所の関係者が、今の安易な裁判を嘆いていた記事。その切り抜きがどこかにあるかと探したが見付からない。

書いていたことは、検察が送ってくる事案は、公判に耐えられる事件ばかり。よって有罪率は99.9%。裁判所は、そんな現状から、検察調書に寄りかかり、求刑に対して機械的に(?)8掛けで判決している・・・という話。
さもありなん、と読んだ。つまりこの冤罪事件も、まさに該当!!

自分は死刑制度存続派。でも、こんな事件を知ると、もし冤罪事件だったら死刑は取り返しが付かなくなる・・・という死刑廃止論者の意見も、一理あるような気がする。
裁判は、結局は裁判官が“認定”するかどうか・・・。それは「事実」とは異なり、一方的に「判断」すること。
またまた、映画「それでもボクはやってない」(ここ)を思い出す。
事件の真実を知っているのは、犯人だけ。そして冤罪の被告人は、自分は無実だという真実を知っている・・・
先に痴漢事件で逮捕が“報道”されたNHKのアナウンサー。いつもあのアナの顔が頭に浮かぶのだが、このアナも、「それでもボクはやってない」のだと、視聴者も救われるのだが・・・

121207onnna <付録>~「週刊現代」(2012/11/24号より)

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