トスカニーニのラスト・コンサート
アルトゥーロ・トスカニーニは、フルトヴェングラー、ワルターと並んで、指揮者の三大巨匠と言われている。自分がクラシック音楽のレコードを買い出したのは中学3年の時。特に高校から大学の時に熱中した。買うレコードはもっぱら安いキズ物。高校に通っていた土浦駅前に、当時確か西武デパートがあった。そこで、時々レコードのバーゲンをやっていた。ジャケットの隅に穴の開いた“訳あり品”だった。それも含め、当時買い集めたのがトスカニーニのレコードだった。
もちろん聞き比べも出来ないので、ウワサでトスカニーニが好きになった。楽譜に忠実、NBC交響楽団はトスカニーニの為の優秀な楽団、という話を聞いて、何故か・・・。
そして何よりも、当時出始まったステレオ録音のレコードを聴ける環境に無かったので、どうせステレオを聴けないのなら、モノラル録音しかないトスカニーニを買おう、と思ったもの。
その後は、演奏のスピードが早いトスカニーニはカラヤンと同じく、自分としては距離を置く存在となり、CDも、フルトヴェングラーはたくさん持っているが、トスカニーニは持っていない。
それが先日、フトした事から、トスカニーニのステレオ録音が存在している事を知り、興味が湧いた。そして、「悲愴」と「ワーグナー」のCDを手に入れて、聞いてみた。
特にワーグナーは、有名な1954年4月4日のカーネギーホールにおけるラスト・コンサートの録音だという。
このコンサートのプログラムは、オール・ワーグナーの次の5曲だった。 1)楽劇「ローエングリン」より第一幕への前奏曲
2)楽劇「ジークフリート」より「森のささやき」
3)楽劇「神々の黄昏」より「夜明けとジークフリートのラインへの旅」
4)歌劇「タンホイザー」より「序曲とバッカレーナ」
5)歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第一幕への前奏曲
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
1954年4月4日 カーネギーホール ライブコンサート
このコンサートで、トスカニーニの指揮棒は止まってしまい、ついに引退を表明。その模様については、中川右介著「巨匠(マエストロ)たちのラスト・コンサート」に詳しいので、事実関係を箇条書きにして引用してみる。
・NBCのチョツィノフがNBC響設立の構想により、トスカニーニの米国復帰の説得に成功したのは1937年2月。
・NBC響は、もともとNBC内にあったオーケストラから31名、700人の応募者のなかから61名が選ばれた総勢92名のオーケストラ。17年間続いた。
・彼を悩ませたのは記憶力の衰えだった。指揮者が本番で楽譜を見ないようになったのは、トスカニーニからだと言われている。彼に暗譜での指揮を強いたのは、極度の近眼だった。それを真似したのが、近眼でもないのに、あえて目をつむって、暗譜で指揮をしていたのがカラヤンである。
・トスカニーニは息子のワルターに、RCAのサーノフ宛ての辞表をタイプさせた。87歳の誕生日を迎えた1954年3月25日、トスカニーニはついに辞表にサインをした。受け取ったサーノフが、トスカニーニの辞任を認めたのは3月29日だった。この手紙は、「4月4日まで発表しないこと」と書かれたファイルに入れられた。こうして、4月4日のコンサートが最後となることが決まった。
・前日のリハーサルでの混乱に打ちひしがれながらも、トスカニーニは本番に臨んだ。
・カーネギー・ホールでのコンサートは始まった。《ローエングリン》、《ジークフリート》、《神々の黄昏》は問題なく、終わった。そして、《タンホイザー》が始まった。バッカナールに 入り、曲が終わりに近づいたとき、トスカニーニは再び記憶をなくし、「約20秒ほど指揮台のうえで立ち尽くしたまま目頭をおさえて記憶を呼び戻すようなしぐさを見せた」。そして、放送局は、音楽の混乱を察知し、急遽、ブラームスの交響曲第1番のレコードを放送した。
・《タンホイザー》が終わると、トスカニーニは指揮台から下りて、ステージを去ろうとした。しかし、楽団員から、「まだ《マイスタージンガー》があります」と言われた。こうして、最後の曲が始まった。だが、またも最後近くになって、腕がグラつき、やがて動きが止まってしまった。トスカニーニはうなだれたままステージを去った。オーケストラは演奏を続けた。そして、「最終の熱狂的な絶叫のようなハ長調の歓呼を氏のうしろから響かせた」。チョツィノフには、あたかも「全世界の与える賞讃の声であるかのように聞こえた」という。放送は、「拍手が続いています。オーケストラは沈黙したままです。マエストロ・トスカニーニが再び現れるのを待ちましょう」というアナウンスで終わった。しかし、トスカニーニはついに聴衆の前には姿を現さなかった。
・トスカニーニとNBC交響楽団には、やりかけの録音の仕事が残っていた。《仮面舞踏会》と《アイーダ》が、部分的に録り直しを必要としていた。6月2日に《仮面舞踏会》、5日に《アイーダ》が録音され、それが、トスカニーニが指揮棒を振った、本当の最後だった。(中川右介著「巨匠たちのラスト・コンサート」(2008年)より)
さてこのラスト・コンサートのCDを聞いて、まず思ったのが、“録音が結構良い。正真正銘のステレオ録音だ”ということ。ワルターのステレオ再録音と違い、ステレオの初期の実験段階だったにもかかわらず・・・。もちろんテープヒスはとても商用とは思えないほどひどいが・・・・
ぞしてタンホイザーは、初めからアンサンブルがおかしい。酷評すれば、まるでアマチュアオーケストラのよう・・。各楽器がおっかなびっくり弾いているよう・・・。たぶん、オケのメンバーは、トスカニーニの棒に従うべきか、楽譜に従うべきか迷っていたのではないかと思う。しかし、途中でトスカニーニが20~30秒ほど指揮を止めたが、その部分をCDから聞き取ることは出来なかった。しかし、最初から異常にスピードが遅くなったり、尋常では無いように聞こえた。最初の2分~5分の部分を聞いてみよう。
<トスカニーニ/NBC響のラスト・コンサート:歌劇「タンホイザー」より「序曲とバッカレーナ」>(全曲25分はここ)~1954年4月4日
そして最後のマイスタージンガーだが、前のタイホイザーとは打って変わって、朗々とした演奏。楽団員も吹っ切れたのかな・・・と想像した。つまり、トスカニーニが変調を来していることを前提に、トスカニーニに恥をかかせてはいけない・・・と、途中でトスカニーニが指揮台を去っても、いつもの調子で指揮棒無しで堂々と演奏した。そんな風に感じた。
この録音も、どこでトスカニーニが指揮を止めてステージを去ったかは聞き取れない。しかし指揮者の居ない舞台で、まさにトスカニーニとの演奏の最期を(トスカニーニの為のNBC響は、解散の運命)、楽団員たちがどんな思いで演奏していたのか。指揮者の居ない舞台を想像しながら聞くこの最後の部分は、涙が出てくる・・・
その最後の《マイスタージンガー》の最後の3分弱を聞いてみよう。
<トスカニーニ/NBC響のラスト・コンサート:歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第一幕への前奏曲>(全曲9分はここ)~1954年4月4日
(なおNBC響は解散後に、再出発したシンフォニー・オブ・ジ・エアーの初演を指揮者無しで行ったが、このマイスタージンガーは、その前哨戦だったのかも知れない・・・)
これらの演奏は、1954年4月4日。それに先だって、3月21日のコンサートもステレオ録音されていた。しかしその「悲愴」の第3楽章のラスト2分のテープは、ステレオ録音の宣伝用に切り取られたまま行方不明だったらしい。よってこのCDでは、疑似ステレオの音でつないである、という。実に珍しい録音である。その部分を少しだけ聞いてみよう。
<トスカニーニ/NBC響のラスト・コンサート:「悲愴」第3楽章ラスト>~1954年3月21日
何にでもオワリはある。その中でも指揮者の活動期間は長い。それにしても、87歳という年齢での現役は驚異的。そしてトスカニーニは、90歳で死去。一方、フルトヴェングラーは、このラスト・コンサートの年(1954年)に68歳で死去。ワルターは1962年に85歳で死去。
(ワーグナープログラムの最後の2曲は、zipで上記に置きます。87歳のトスカニーニを思いながら全曲を聞いてみて下さい)
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