「我が子を叱れますか」
先日の日経・夕刊「女と男のいい分・イーブン」というコラムに「我が子を叱れますか」という記事があった。曰く・・・
「我が子を叱れますか
■婦唱夫随、つい忘れて 50代既婚頑固系(男性)
高校生の娘は近ごろ、交流サイト(SNS)で友達とつながることに夢中である。夕食もそそくさと済ませて端末を取り出す娘に、嫁さんが早速、「お皿を洗ってよ」「画面ばかり見てないで」「宿題が先でしょ」と小言の連射をお見舞いする。娘が少しかわいそうな気がして「友達とつきあいがあるんだよな」とかばった瞬間、部屋の空気が凍りついた。
「おこらすなママのいかりはパパにくる」(第一生命保険の第24回サラリーマン川柳入選作)。小言マシンガンはウィーンと標的を僕に移してきた。「どうして私が叱っていると、あなたはいつもそうなるの?」「一緒に叱ってくれないと私だけ悪者みたいじゃない」。もっともだ。しっかり教育しようとしているときに、横から正反対のことを言ってはいけない。
男親はふだん、子どもをこまやかにしつけることが苦手で「まあ、いいじゃないか」と適当にすませることが多いのでは。結果、子どもたちは、女親の方を気にするようになっていく。
「父に聞きその後必ず母に聞く」(第25回サラリーマン川柳入選作)。家庭内の政権交代が進むとすれば、その力学はわかる気がするなあ。
■私の気持ちも知らないで アラフォー既婚(女性)
今日も子どもを何度しかったことか。「服を脱ぎっぱなしにしない」「また出しっぱなし」――。昨日もその前日も、いや1年前だって同じことを言っていた。
子育て本の「しからずにほめて伸ばす」という文言を念頭に、初めは子の自主性を重んじている。どうもだめだと悟ったときは笑顔で「脱いだ服は洗濯カゴに入れようね」などという。
だが改めない。何度目かでつい「一体何回言わせるの」と雷を落としてしまう。
ベネッセ教育情報サイトが昨年小学1年~中学3年までの子を持つ保護者に調査したところ、子にやってしまった言動で後悔していることがある人は84%。「言い方が良くなかった」「感情的になりすぎた」「しかりすぎた」が上位3つ。いずれも3人に2人が挙げた。
そして4割弱は後悔したことについて自分の考えなどを子に説明している。こんな葛藤も知らず「ママはこわいねー」なんて夫にいわれれば、怒りの矛先が夫に移るのも当然だ。
それでも後悔したときに相談したい相手は「パートナー」が7割を占めた。家庭内の政権交代なんていわず、機能するパートナーになる努力、よろしくね。」(2012/09/10付「日経新聞」夕刊より)
そうなのだ。世の中、「夫唱婦随」ではなく「婦唱夫随」なのだ。言葉に惑わされず、この真理を忘れてはいけない。
話は飛ぶが、ラジオ深夜便を聞いていると、様々な人の人生が聞ける。自分はひとつだけの人生しか経験していないが、ラジオ録音の聞き流しで、色々な人生経験を垣間見るのも、また楽しい。
各界の著名人が、その世界に入るキッカケを話すが、よく聞くのが、「先生に褒められたのがキッカケ」というのが多い。つまり子どもの時の、何気ない先生のひと言が、その子どもの人生を方向付けてしまう。何と怖ろしいことか・・・。
しかしこの話は前向きの話。逆に“叱る”という行為は、ある意味後ろ向きなだけに、褒める以上に難しい。
NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」を“何となく(惰性で?)”見ている。自分はこのドラマに出てくる父親の下村建造(高橋克美)が好きだ。いつもしかめっ面しているが、存在感がある。息子の竹夫は、結局父親に褒めて貰いたい一心で、悩む・・・。まあ、親子とはそんな存在。よって、叱り方は難しい。
またまた話がまた飛ぶが、ウチの下の息子はとっくにタバコを止めたが、上の息子がどうもタバコを吸っているらしい。昨日、カミさんが息子と会うというので言づてを頼んだ。ひと言「死ぬぞ!」…。
もう、ダイの大人なのだ。一人前のオトナに、叱る事はもうしない。でも「死ぬぞ!」とだけは言っておきたい・・・。結局、(タバコ嫌いな!)親心とは、そんなもの・・・
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