滝本太郎弁護士の「なぜオウム真理教に入信したのか」
今朝の新聞各紙は、昨日(2012/09/24)の高橋容疑者の追起訴で、一連のオウム事件の捜査は全て集結した、と報じていた。捜査は95年から17年間に及んだという。
雑誌「大法輪」(2012年10月号)に「なぜオウム真理教に入信したのか」という、少々ショッキングな題名の特別寄稿が載っていた。曰く・・・
「なぜオウム真理教に入信したのか
日本脱カルト協会理事・事務局/弁護士 滝本太郎
一
立場上、伝統仏教の方々にはきついことを言わざるを得ず、ご容赦ください。それは、伝統仏教が宗教としてのエネルギーを回復して頂いてこそ仏教系の破壊的カルトの発生・拡大を防止できると思うからです。標題は「なぜオウム真理教に入信したのか」ですが、その要因の大きな一つが「日本の仏教に魅力がなかった」からです。日本仏教の問題点は、教祖麻原彰晃こと松本智津夫からも何度も何度も言及されていることだからです。
これらのことは、平成元年十一月に坂本弁護士一家が行方不明になってからオウム真理教を研究し、平成七年三月の強制捜査まで「話し合い活動」をして三〇人余りが脱会し、脱会者の集まり「カナリヤの会」の窓口となり、今年に至っても出頭・自首あるいは逮捕された元信者らと会話をしてきて、実に強く感じてきたことです。出家者の中には、伝統仏教の「出家者」からさらに出家した者もいました。脱会してから伝統仏教を訪ねたが対応してくれず、あるいは期待外れで離れてきた者もいました。
・・・・・・・二・・・
・・・・・・・五
六
「日本のお寺は風景でしかなかった」という言葉を覚えておられると思います。脱会者のことごとくは、聞けばそのように言います。というか、私自身にとっても、せいぜい子どもの頃に甘茶をもらいに行っただけで「風景」でしたから話題にもなりません。カウンセリングの際に話したのは、自分が悩んで考えてきた「まともかどうかの判断基準」や弁護士として見てきた人間模様でした。
もちろん今は、少なくない仏教者の方々が生きている社会とコミットしておられることを知っています。非行少年や登校拒否、引きこもりの人、自殺志願者との会話など実に多くの仏教者が努力しています。オウム真理教問題でも何人かの仏教者が努力されました。今、日本脱カルト協会でも、少なくない仏教者が努力して頂いています。
ですがまだまだ一部であり、まして若者が仏教を「生きる道」のよすがとして求めてきた時に対応できている伝統仏教者がどの程度いるのか、実に不安です。個別分断された若者に対しホームページやブログ、ツイッター等を通じて大いに応えているのは、むしろ危うげな寺や教会の方が多い状態です。
すなわち、伝統仏教は日本のカソリックと同様、実に「風景」なのです。大都市近辺ですと「檀家が増えると忙しくなるから」なぞと聞きますけれど、何をかいわんや、と思います。どうか悩む人たちとの対話、そして布教を志して下さい。宗教とは「死」と「死の認識」という根本的な恐怖からさえも「癒し」を図るものだったはずですから。まして日本での自殺者は年間三万人を超えています。
これらをせずに、仏教者だと言わないで下さい、とまで思います。日本のお寺仏教は明らかに衰退の道を歩んでいると感じます。「風景」のままで存続できるはずもないし、その必要もないと思います。
どうか、よろしくお願い申し上げます。」(雑誌「大法輪」2012年10月号p135より)
ドキッとするタイトルだが、オウムの経験者だからこそ、言葉が重い??
しかし「日本のお寺は風景でしかなかった」という言葉は、実によく言い当てている。自分としては、良い意味でお寺の“風景”は好きだが、ここで言う“心の拠り所・・・”という意味では、現代のお寺は“風景”で良いのだろうか?
それでは、なぜお寺は“風景”か・・・? 実は日本のお寺は、人気(ひとけ)を感じないのだ。だから人々を受け入れる雰囲気もなく、「風景」という言葉が似合ってしまう・・・。
6月に義姉の法事があったことは前に書いた(ここ)。そこで菩提寺の住職から聞いた言葉が、頭から離れない。つまり「葬式が少なくなって困った」と言っていたことが・・・・。
今のお寺は“死者の菩提を弔う”というより、まずお金・・・。その言葉は、単に儀式としての葬儀をしなくなった、というより、自分には「檀家で死者が少なかったので、お金が入らなくて困った・・・」と聞こえてしまう。我々の菩提寺への期待値は、「檀家の家々が、みな健やかで、死ぬ人も減って良かった、良かった・・・」という言葉ではないのか?
当サイトでも、今までに何度か、今のままでは大多数の日本のお寺は廃れる一方では??と書いてきた。そんな予感がどうしても払拭されない。
これからの時代、団塊の世代の高齢者化によって、死者の数は増える一方だ。しかしそれに比例して儀式としての葬儀が増えるとは、とうてい思えない。
現役の人の葬儀は、ある程度必要かも知れない。参列者と遺族の心のケジメのために・・・。しかし高齢者の葬儀は、どんな意味があるのか・・・が問われていく。
先の記事に対して、オウム真理教を論ずるつもりは毛頭ない。しかし「日本の仏教に魅力がなかった」という言葉は重い。
もし日本の仏教が、そしてお寺が、(もちろん他の宗教も同じだが)単なる風景ではなく、心の病める若者に活力に充ちた心の宿を与えられていたら、オウム事件はまた別の展開になっていたかも・・・
あれから17年。「二度とあんな事件は起こり得ない」と誰が断言できるだろう?
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コメント
鹿沼市出身48歳無職です
昔4琉大学の心理学修士で学びました
だけど私は頭が悪いので教授に捨てられました
そして清掃員などのアルバイトをしながら新興宗教にはまりました
その後派遣村へ行ったり浅草でホームレスをしたりしています
貧しい私を助けてください
【エムズの片割れより】
支援団体が色々あるようなので、まずそちらに相談されたらいかがでしょう?
例えば、NHKの格差社会の番組で紹介されていた「よりそいホットライン」0120-279-338(24時間対応)~一般社団法人 社会的包摂サポートセンターなど・・。
http://279338.jp/
対応は・・・
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仕事の悩み
例えば…
・就職したい
・解雇されてしまった
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例えば…
・所持金がない、食べるものにも困っている
・住むところがない
投稿: hirosi okabe | 2012年10月26日 (金) 17:01