「母におくれて」
先日の日経新聞にこんなコラムがあった。
「母におくれて 池田澄子
老人の施設に入った母を見舞った。去年の暮まで、近所に住む長男夫妻に護られながら、原則的には一人で食べ、一人で身の回りを整えて暮らしていた母だった。その母が今年に入って、がたがたと崩れるように衰えた。弟は慌てふためいているらしかった。母の老化を受け入れられないように見えた。毎朝、母の許を訪ね、電話があれば飛んで行き、そのたび母の老化を嘆いた。
結局、弟の家からも母の家からも徒歩で十分とかからない場所にあって、毎日見舞うことの出来る施設に入ってもらった。その上、長いこと信頼して通っていた主治医が、その施設と関わっていたので、母も子供達も不安が少なかった。もう少しの間は弟の家に移れば暮らせる程度とも思えたが、丁度、空きのある部屋が、その後も空いているという確約はないので契約した。
去年、将来慌てないようにと、その施設を子供全員で見学に行った。その頃、母は毎日、四人の子供にパソコンでメールを送ってきていた。私たちも何も話題が無くなってしまう程、毎日メールを送り合った。一日不精すると、風邪でもひきましたか?と母からメールが来る。
今年に入って、ある日メールが来なかった。二日に一度、一週間に一度になって、あらどうしたの? メール頂戴よ、などと励ましている間に日がたった。そして一層来なくなって、「皆さんに宜しく言っといてね」と長男に頼むようになった。入浴が面倒になり寝ていたくなった。
去年の暮に書いた今年の年賀状に母は、恒例の新春挨拶の一首の傍に、牟賀状は今年でおしまいに致します、と印刷した。本当に最後の年賀状になるのかもしれない。
急に衰えちゃったの私、と言う。食事もお八つも美味しいのよ、と言う。こういう所で働いてる人は親切で偉い、などと言いながら、かなり元気を取り戻した。規則正しい暮らしの結果なのか、心身ともにしっかりした。弟と手をつなぎ、スクワット(?)をさせられ(?)ている写真が弟からのメールに添付されて以来、私たちにスクワットが流行った。
はんかちや母におくれて
老いつつあり
思えば生まれた日以来、母と私は同じ年齢差で生きてきた。時には手本にし、ある時は性格の違いに驚いたりしながら生き合ってきた。その人が突然、老人になったのだ。私自身はまだ完璧に老いたと思ってはいないが、まさに日々「老いつつ」ある。「はんかちや」と唱えつつ老いつつ、これからの母を思い自分を考える。母に遅れて老いるという成り行きは万人の思いに通うだろう。
しかし、若くして戦病死した父は老いを見せない。父は永遠に若く、痩身で長身のハンサムだ。例えば去年の東北のような災難や、思わぬ病気で逝った人々も老いを経験出来ない。母の老いを嘆くことは、有り難い恵まれたことなのだ。
これは私の新しい経験である。老いは、せっかく現れてくる新しい天地だ。ならば、自分の老いを詠んでみようじゃないの、と思う。本当に老いたら、それを主題に書くことは出来ないだろう。若い人が老いを書くことも無理だろう。
そうか、今しかないということだ。老いを詠むには詠み盛りだ。と言いながら腹の据わらない私は、死よりも老いが怖ろしい。(俳人)」(2012/07/28付「日経新聞」夕刊p4より)
この記事は、まさに我が家のことを書いているかのように読んだ。昨年から今年にかけて、我が家も同じように大変化したので・・・・。
それはまさに母に忍び寄る“老い”のせい・・・・
昨年お袋は、90歳の独居生活から、玄関で転んだことで、上の記事と同じような動きに・・・
考えようによっては、90歳までよく一人で頑張った、とも言える。しかし、それ以降に入ったホームでの一人生活は、何とも刺激が少なく、頭の働きも徐々に劣化しているように見える。
この後、してあげられることは何が残っているか・・・
お袋の口癖は「もし親孝行してくれるなら、今してちょうだい。死んでから何をして貰っても嬉しくない」だった。だから家族での小旅行を何よりも喜び、「**に一緒に行く?」と聞くと、話の内容も理解する前に「行く~!」という返事が常。
しかし老いて、体の動きが思い通りにならなくなった今は、さてどうしよう・・・。
そして最近の、電話口での「元気?」「元気だよ!」の言葉の迫力の無いこと・・・・。いわゆるハリのない声・・・・。いつものチャキチャキさが消えてきた・・・
自分も含めて、“老い”と“その後”を考えてしまうこの頃。
そろそろ8月のお盆だ。それはまさに親父の命日にあたる。しかし何回忌かは、直ぐには出てこない・・・。(調べてみたら16年目だったけど・・・・)
この暑さに、親父の命日とともに、お袋の老いを感じるこの頃である。
上の話と関係無いけど、先日のロンドンオリンピックの女子柔道57キロ級。金メダルを取った松本薫選手の迫力には圧倒された。昔の貴乃花の鬼の優勝場面ではないが、同じような鬼のような気迫の顔と、メダルを取った後の笑い顔の違い・・・。この松本選手の戦いへの気迫は、このオリン
ピック一番の印象シーンとして語り継がれて行くような気がした。(写真はクリックで拡大)
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