いじめ~「黙認していれば共犯」
だいぶ前の話だが、休日の朝、先に新聞を読んでいたカミさんが、「あまり好きではないが、この記事は良い事を言っている」という記事があった。曰く・・・
「いじめを見ている君へ~美輪明宏さん
黙認していれば共犯
ずいぶん前から言ってますが、いじめは犯罪です。やってることは脅迫、暴行、傷害、殺人。実態をちゃんと表すために「いじめ」ではなく「犯罪」という言葉を使うべきです。
そしてあなたがそれを黙認していると、加害者は「やってもいいんだ」と正当化されたように感じます。黙ることは共犯なんです。「犯罪者の共犯」。そう言われると重大に感じてギョッとするでしょう?
自分が巻き込まれたくないからと、保身のために黙っていたい気持ちは分かります。いじめっ子に立ち向かうのは怖い? みんなでやれば怖くなんかありません。だっていじめっ子の方が数が少ないんだから。私は実際、小学生のときにそうしてやりました。
クラスにいじめっ子が4人いたんです。弱い子の机をひっくり返したり殴ったり蹴ったり。私は、やられている子たちを集めて「みんなでやっつけよう」と言いました。男女20人以上集まりました。帰り道に神社の境内で待ち伏せて、みんなで一斉にかかって、こてんぱんにやっつけました。
いじめを黙認することで、負い目を感じている人もいるでしょう。苦しめばいいんです。それが償い。どう償えばいいのか悩んで、進化していけばいいのです。責任逃れをする、卑劣な大人になってはいけません。
何もしないままだと一生後悔し続けます。たとえば、あの子は助けられなかったけど別の子は助けようとか。ボランティア活動をしたり、お年寄りに席を譲ったり、困っている人々に手をさしのべることも償いのひとつ。そうして徳を積めば、自然と自責の念は消えていきます。(みわ・あきひろ=歌手・エッセイスト)」(2012/08/08付「朝日新聞」p34より)
大津市のイジメ自殺事件を機に、イジメについての報道が続いている。高校生なのにタバコの火を押し付けられた被害者が、学校側から退学処分にされていた事件も明るみに出た。
大津の事件を機に、世のいじめっ子がこんな報道を目にしながらハラハラしているのは良いこと。この際、自分たちが何をしたのか、何でハラハラしなければいけないのかを考える良いキッカケとなったのではないか・・・
今、としごろの子供を持っている親は現在進行形だが、我々シルバー族にとっては、それらの話は思い出話となってしまう。
ウチの場合、大きな事件があったわけではないが、かと言って皆無でもなかった。幸いな事に、カミさんが何とか話をキャッチすることができたので対処できたが、もし事件が子供から聞けていなかったら・・・と思うと、今でもゾッとする。
しかし今、数十年か前を思い返してみて、子どもが思春期の頃、親に何かを相談できる雰囲気が出来ていたか?・・・と自問自答すると、どうも自信がない・・・。まあ何とかその時期を乗り越えて今に至るので、まあ結果オーライではあるものの、薄氷を履む思い・・・
ところで、ウチのカミさんの持論は、何かあったら“戦う”か“逃げる”か、または“我慢するか”……。しかし、持ち家を持っていながら、逃げる勇気が果たしてあったか・・・となると、自分としてはこれまた自信がない。
理屈では、子供が自殺まで考えるなら、家のひとつや二つ・・・なのだが・・・・・・
“逃げる”話はよく聞く。会社のある同僚も、先の3月末で社宅を移った。理由は学校でのイジメ。それから逃げるために、住居の移転と転校。会社からの補助は増えないで、実費は本人持ちだが、会社はそれを容認。借家はフットワーク良く出来るが、持ち家となるとどう考えるか……
まあ建前論で言うと、いじめは、如何に親がその事実をキャッチできるか……が勝負であることは、言うまでもない。しかし相手は思春期の難しい年ごろ。どの親も子どもとのコミュニケーションに四苦八苦する時期。
でも原則に戻って、親としては子どもとのコミュニケーション=信頼関係をどう保つか・・・に腐心するしか方法はない。非常に難しい問題ではあるが……
そんな時期をとうに過ぎて、今更ながらホッとしているシルバー族ではある。(何?ウチはどうだったって?? そんなこと企業・ヒ・ミ・ツ・さ・・・)
●メモ:カウント~320万
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