« 昔の機器の電解コンデンサを取り替えて失敗した話 | トップページ | 1997年発売のクラシックCDより(3) »

2012年7月20日 (金)

お江戸の“時間”・・・「お江戸と今」

先日の日経新聞の「プロムナード」というコラムに、江戸時代の時の流れについての話があった。曰く・・・

「お江戸と今  畠中 恵
 小説で江戸ものなどを書いていると、いにしえの時と、今の違いを大きく感じる時がある。
 私が今でも、不思議に感じているのは、時刻の違いだ。
 昔は、不定時法だった。つまり、今のように、一時間が一定の長さではなかったのだ。昼間は、夜が明けてから、日が暮れるまでの時間を、六等分する。夜も暮れてから明けるまでの間を、六等分する。つまり、一時間の長さが、季節によって変わっていくわけだ。
 時をもっと細かく区切ったり、数字や、酉(とり)の刻、亥(い)の刻などと呼んだりもする。今でも丑(うし)の刻参りという言葉が、馴染み深いものとして残っている。
 それにしても、一時間が延びたり、逆に短くなったりして、毎日の暮らしに、支障はなかったのだろうか。夏は、寝る時間が随分と短かった筈だ。暗い時間が短ければ、それを等分した一刻は、当然短くなる。
 対して冬は、七時を幾分過ぎてから日が出て、五時頃には早々に暮れてくる。その差は四時間ほどもある。
 今、夏だから夜の時間を四時開削りまーす、と言ったら大変な事になるだろう。
 まず、直ぐに困るだろうと思うのは、テレビ番組だ。季節の移ろいに従って、一時の長さが変わった場合、例えば連続テレビドラマの、実際の放送時間が、季節によって、長くなったり短くなったりする訳だ。
 別の季節に、再放送をするのは大変だろうな、などと思う。番組変更があって、放送日が伸びると、番組の放送時聞か合わないという、困ったことになる。
 もっと深刻な問題も、あれこれ考えられる。
 工場で物を作る場合、一つの品物を組み立てるのに必要な時間、これは季節にかかわらず変わらない。となると不定時法の場合、夏と冬では、生産性が違ってきてしまうわけだ。外科手術も困る。必要な時間を示すのが、難しいだろう。
 現在だと大いに困ると思われるのに、昔はどうして不定時法でやっていたのか。大きな理由として、日が暮れたら現代のように、簡単に明るくは出来なかった。随分とお金がかかったのだ。
 家々では照明器具として行燈(あんどん)を使ったが、余り明るくないそれを点けるのにも、結構金子がかかった。蝋燭は高級品だ。よって江戸のお店勤めの者達は、夜明け前に起きだし、支度をして、明け六つ、つまりお日様が出ると共に店を開けた。江戸の商店街は、今とは比べものにならないくらい、開店が早かったのだ。
 もっとも、暮れると共に店の大戸を下ろす店も多かった。今よりもぐっと、夜、終わるのも早かったのだ。
 もし今、不定時法だったら、テストは夏に受けたい。お説教は冬の昼間に限る。遊びに行くのなら、夏がゆっくり出来ていいと思う。あれこれ勝手な考えは浮かぶ。
 それにしても、江戸の時は鐘の音が知らせるものだが、皆、ちゃんと聞き漏らさず数を数え、時刻を承知していたんだろうか。
 腕時計もない上、そもそも毎日、時間は伸び縮みしていく。正直に言えば、適当に考えなきゃ、やってられなかったのではないか。秒や分など、意味を成さない時の流れが、江戸にはあったはずだ。
 のんびり、まったり。ちょっと羨ましい。(作家)」(2012/07/13付「日経新聞」p7より)

現代のように、照明が当たり前の世界から見ると、江戸時代の時刻制度は不可思議に感じるが、電灯が無い世界、と仮定すると、人の活動は日が在るうちに限られるのは理解できる。夜は寝るしかないのだ。すると、日の在るうちの真ん中が昼・・という定義は何か理解できる気がする。
しかし江戸時代は、何よりも時間の流れがゆったりしていたのだろう。秒刻みで動く必要も無く、時間に追われることもなく、“だいたい”なので平和・・・
時間に正確な日本人は、世界的に見ても少数派らしい。つまり、時間に対する感覚は民族によって大分違い、イスラムの世界ではもっと大雑把だとも聞く。すべてはアッラーの思し召し・・・。それも文化。

話変わって、この文を別の視点から眺めてみよう。現代の時間感覚から見ると、江戸時代の時間感覚は問題だらけなのは良く分かる。しかしこの文で面白いのは、他愛ない想像が次から次に出てくること。作家という商売はこれでなくては勤まらないのだろう。小説家は、頭に浮かぶシーンをどんどん文章にしていかないと小説にならない。それでこんな話題も、つい筆が走ってしまうのか・・・? 想像が想像を呼ぶ世界・・・

小中学校は、明日から夏休みらしい。夏真っ盛り・・・・
ところで、今頃の夏至の頃の昼は、一刻(いっとき)が約2時間40分だという。冬至の頃の約1時間50分に比べると、5割近く長い。
我々現役リタイア族も、夏休みの子供たちと同じく、昼を有意義に過ごしたいものだが、でもこんなに暑くては、なかなか・・・・
今日は暑さが一服しているが、もう秋が恋しいシルバー族ではある。

<付録>
関係無いけど、我が家の玄関と、玄関の飾り棚・・・。今、カミさんは“花の乾燥”に忙しい・・。(写真はクリックで拡大)

P10001361 P10001381

|

« 昔の機器の電解コンデンサを取り替えて失敗した話 | トップページ | 1997年発売のクラシックCDより(3) »

コメント

冬の朝、暗くて寒い中を出勤する時、昔の「時間」なら年中同じ明るさの中で出かけられるのか! と思った事があります。その方が良かった!と、その時は思いました。

【エムズの片割れより】
その話、乗った!
自分も冬の暗い6時出勤には閉口・・・。
でも今頃の日が昇った6時は清々しい。いつもこのくらいに日が昇った時に出勤できれば、暗い(!?)気持ちにならないで済みますよね。

投稿: Tamakist | 2012年7月22日 (日) 13:45

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 昔の機器の電解コンデンサを取り替えて失敗した話 | トップページ | 1997年発売のクラシックCDより(3) »