NHK「100分 de 名著」の「パンセ」
NHKの「100分 de 名著」という番組を録画しておいて、たまにまとめて見ている。先月(2012年6月)はパスカルの「パンセ」(ここ)。
パスカルという名は、高校の時の物理に出てくる。パスカルの原理=「密閉容器中の流体は、その容器の形に関係なく、ある一点に受けた単位面積当りの圧力をそのままの強さで、流体の他のすべての部分に伝える。」という、例のヤツである。
そう言えば、天気予報の気圧で、何とかヘクトパスカルというのも良く聞く・・・。
そのパスカルが書いた「パンセ」について、NHKの「100分 de 名著」という番組で紹介していた。この番組は、自分のキライなバラエティーっぽいのだが、まあ許すとしよう。
この番組は確か小旅行で、広島のホテルに泊まった時に、たまたまブッダの「真理のことば」を見たのがキッカケ。名前だけしか知らない非常に難解な“いわゆる名著”を、素人にも分かり易く解説している。
先日のパスカルの「パンセ」第1回で次のような言葉が出て来た。この言葉はなかなか意味深だ・・・。
「私たちがどんな状態にいても、自然は私たちを不幸にするものである。
私たちの願望が、幸福な状態というものを、私たちの心に描き出してみせるからだ。」(「パンセ」断章109より)
つまり、「私たちが幸せに着いたと思うと、私たちの願望は既にそこから離れた少し先に、よりパーフェクトな幸せを作り出してしまうので、私たちはいつでも不幸である」という事だという。
これは、我々の日常生活の色々な場面に通じる・・・。
そうだ、いつもカミさんが言っている*****というカミさんの願望に通じる・・・と思って、昨夜その言葉を“引っさげて”居間に降りていってカミさんに言ってみた。すると「イマイチだね・・」という。なかなか自分の思う通りに相手の心を動かす事は出来ない・・・
この言葉は確かに目新しい考え方ではない。仏教で言うところの「足るを知る」(ここ)と同じ。
洋の東西を問わず、人間の原理は同じようだ。
こんな番組を見るのも、最近良く書く「せっかくこの世に生を受けたのだから、せめて***位は見てから死にたいもの・・」というスタンスの一環かも知れないな・・・。つまり、こんな番組を見ただけで、自分も名著をチョコッと覗いた気分になる・・・。実にお手軽・・。
そういえば、昔、「あらすじで読む日本の名著」という本が流行った。自分も、題名しか知らない名著の、サワリだけでもチョコッと覗いて見たい・・・ということで読んだもの。
自分もこれから、たぶんリタイア後の膨大な時間が生じるはずである。その時間を遣って、どんな本でも読めるではないか・・・と、一方の自分が言う。でも目がかすんで・・・・と、もう一方の自分が言い訳を言う。
相変わらず直ぐに“逃げ”を考える軟弱な自分ではある。
●メモ:カウント~310万
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