ザ・ピーナッツ伊藤エミさん死去(71歳)~「モスラの歌」
今朝の新聞に、ザ・ピーナッツの姉・伊藤エミさんが死去したという報が載っていた。71歳だったという。
「1960年から70年代にかけて活躍し、ヒット曲「恋のバカンス」「恋のフーガ」などで知られる双子姉妹デュオ「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミ(本名・沢田日出代)さんが、今月15日に亡くなっていたことが27日、分かった。71歳だった。関係者によると、最近は病気療養中だったという。死因は不明。葬儀はすでに近親者のみで執り行ったとしている。
そっくりな笑顔で昭和の一時代を彩った、二輪花の、一輪が静かに散った。関係者によると、かねて病気療養中だったエミさんは病魔に打ち勝つことはできず、静かに息を引き取ったという。
一卵性双生児の姉・エミさんと、妹・ユミ(本名・月子)は幼少時代から合唱団に所属。17歳のとき、名古屋市のナイトクラブで歌っているところを、渡辺プロダクションの渡邊晋社長(当時)に才能を見いだされた。英才教育を受けて、ザ・ピーナッツを結成。1959年4月に「可愛い花」でレコードデビューを果たした。
たぐいまれな歌唱力と双子ならではの美しいハーモニーで、「恋のバカンス」や「恋のフーガ」など大ヒット曲を連発し、シングル・アルバムを合わせ、1750万枚を売り上げた。NHK紅白歌合戦にもデビューイヤーの59年から16年連続で出場。音楽バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」のメーン司会を務め、コントもこなすなど人気を博した。61年には2人そろって映画「モスラ」に出演し、「モスラ~や、モスラ~や」で知られる劇中歌も担当した。
73年に一度は引退を決意するも、日本歌謡大賞特別賞を受賞したことから一時引退を撤回、75年4月に芸能界を去った。このときエミさんは、ザ・ピーナッツの「東京の女」の作曲を手掛けた歌手・沢田研二(64)と交際しており、75年の引退直後に結婚した。子宝にも恵まれ男児を出産したが、87年に離婚。その後も芸能界に復帰することはなかった。
脚光を浴び続けた16年間の芸能生活では、後輩の園まり(68)や小柳ルミ子(59)にドレスをプレゼントするなど、仕事仲間の面倒見が良かったエミさん。引退後は人前に出ることを極力避けて、“一般人”として暮らしていた。
それでも芸能界でお世話になった恩人が亡くなった際には、告別式とは別に人目につかないタイミングで弔問し、義理を忘れることはなかった。表舞台から姿を消してからは、ファンの前に再び登場することもなく、そのままひっそりと天国へと旅だった。(2012年6月28日)」(ここより)
ザ・ピーナッツは、自分の音楽人生(!?)の中でも、“非常に良く”聞いた歌手のひとり。ちょうどレコードがモノラルからステレオに変わる時代で、ステレオ録音の初期の頃、二人が左右に分かれて録音された歌は、何ともステレオを意識した録音で懐かしい。
前に「心の窓にともし灯を」の記事を書いた(ここ)。自分がこの歌を初めて“録音”したのが1964年(昭和39年)なので、もう半世紀も聞いている歌手、という事になる。それに引退が1975年だというので、もう引退から32年も経っている・・・。早いものだ。
今日は、上の記事にも出てくる「モスラの歌」を聞いてみよう。これは1961年に公開された映画「モスラ」の劇中歌で、この音源はたぶん擬似ステレオである。
<ザ・ピーナッツの「モスラの歌」>
「モスラの歌」
作詞:由起こうじ
作曲:古関裕而
モスラヤ モスラ
ドゥンガン カサクヤン
インドゥムゥ
ルスト ウィラードア
ハンバ ハンバムヤン
ランダ バンウンラダン
トゥンジュカンラー
カサクヤーンム
この歌詞は、架空の言葉だと思ったら、何とインドネシア語だという。そしてその意味は、下記のようだという
モスラよ 永遠の生命 モスラよ
悲しき下僕の祈りに応えて
今こそ 蘇れ
モスラよ 力強き生命を得て
我らを守れ 平和を守れ
平和こそは 永遠に続く
繁栄の道である
そして、改めてビックリしたのが、作曲が古関裕而だということ。ナルホド・・・・
ともあれ、とっくに引退されたとはいえ、時代に大きな影響を与えたこれらの人たちの逝去の報に、つい時代の流れを意識してしまう。
こんな歌でも聞きながら、伊藤エミさんの冥福を祈ることにしよう。
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コメント
ラジオからは歌が流れて来るので、
歌手として、いつも活躍しておられるような感じでした。
71才、ご病気でしたのね。
ザ・ピーナッツ「二人の高原」が好きです。
【エムズの片割れより】
「二人の高原」という歌は知らなかったので、Youtubeで初めて聞きました。
投稿: なち | 2012年6月29日 (金) 05:27
ありがとうございます
これでこの唄立派に歌えまs
投稿: stan | 2013年6月12日 (水) 17:24
え!!あのモスラの歌の歌詞はインドネシア語だったのですか。子供の頃によく口ずさんでいましたが、てっきり架空の言語だと思っていました。いやあ、驚きました。しかも、堂々たる内容の歌詞なのですね。
あらためて伊藤エミさんのご冥福をお祈りしつつ、ザ・ピーナッツを懐かしみたいと思います。素晴らしい歌声に感謝しつつ・・・ありがとうございました。
【エムズの片割れより】
自分もてっきり架空語だと思っていました。
投稿: NAOKI | 2014年2月 8日 (土) 21:16
昨晩、テレビで映画シンゴジラを見ましたが、内容は?かな。 現在の日本の政治をパロディーにした内容でしたね。 福島の原発をゴジラに見立てたなかなかシリアスな筋立てでしたは有りましたが、如何せん最初から最後まで出演者が目まぐるしく変わり、会話のスピードが早すぎてついていけません。 映画で大事な感情移入も出来ずに終了。完全に消化不良でした。 昔の怪獣映画は単純明快のお子様ランチでしたが、その中でも子供の頃に見たモスラとラドンが記憶に残っています。特に劇中で南の島の精霊役を演じていたザ・ピーナッツを見た時は正直びっくりしました。何であのザ・ピーナッツが怪獣映画なんかに出演しているんだってね。ザ・ピーナッツのファンだっただけにショックでした。
私もこの歌詞がインドネシア語だった事、そして小関裕而氏の作曲だったとは知りませんでした。 最近は、かつて一世を風靡した俳優さんや歌手の方の訃報に接するたび切なくなります。 改めて伊藤エミさんのご冥福をお祈りします。合掌!
【エムズの片割れより】
シンゴジラは確かにテンポが速いので、理解が難しいのですが、自分は気に入りました。
それに比べて、昔のモスラなどは、“平和”でしたね。
投稿: borokuso | 2017年11月13日 (月) 21:52