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2012年5月12日 (土)

「新渡戸稲造の人生訓」

先日の日経新聞夕刊「あすへの話題」に、旧5千円札の新渡戸稲造の話が載っていた。曰く・・

新渡戸稲造の人生訓
       三井住友信託銀行相談役 高橋 温
新渡戸稲造(にとべいなぞう)博士は岩手県人の誇りである。欧米に日本の精神文化を知らしめた「武士道」ほか多数の著作、青雲の志を顕(あらわ)した「われ太平洋の橋とならん」の言葉、国際連盟事務次長としての国際平和への貢献など、その輝かしい経歴は広く知られている。
 その博士は、人の幸、不幸はその人の心の内にある、と終生言い続けた。博士も順風満帆な人生ではなかったのである。
 札幌農学校教授に任命された翌明治25年に長男を得るが、わずか8日間の命という 悲運に見舞われた。アメリカ人の万里夫人の一時帰国なども重なり、研究家内川永一朗氏によれば、「教室の黒板に字も書けないほどの重い神経症にかかり」、明治30年、職を辞して群馬県伊香保、アメリカ、モントレーで約5年間の療養生活を送った。
しかし、ここからが「転んでもただでは起きぬ」博士の真骨頂である。療養中に日本初の農学博士授与につながる「農業本論」、そして「武士道」を出版。更に後、大正3年に第一高等学校校長を辞して帰郷中、宮古でバスの転落事故に遭遇、重傷を負うが、この入院中にも「一日一言」の想をものしている。
 博士が、たいていの人は必ず逆境に陥る、しかも不意に起こる、と言ったのは自らの体験に他ならない。その人生訓は、私なりの理解として、次のように要約できる。
 境遇の順逆は心がけ一つでいかようにでもなる。逆境にあっても心がけ一つで一条の光明が発見できる。人生の進歩は境遇に対峙して初めて起こるものである。
 東日本大震災は、私たち一人ひとりに様々な境遇をもたらしたが、今年生誕150年を迎え、わが国の歴史に残る巨人の洞察に、今なお学ぶべきことは多い。」(2012/05/08付「日経新聞」夕刊p1より)

お札でお馴染みの新渡戸稲造・・。と言っても自分はほとんど知らない人・・・
120512mitobe しかしこの記事の話は、なぜか身近に感じる。新渡戸稲造は1862年生まれというから、上の子どもを亡くしたのが明治25年(1892年)なので30歳のとき。“重い神経症”で療養生活に入ったのが、明治30年というから35歳の時だ。それから71歳で亡くなるまでの業績は記事にある通り。

「博士は、人の幸、不幸はその人の心の内にある、と終生言い続けた」と言う。そして「たいていの人は必ず逆境に陥る、しかも不意に起こる」とも・・。

子どもの死などは、まさに突然・・・。でもその時に、それをどう捉えるかは“人の心の内にある”という・・・・
つまり、当blogがよく「言った者勝ち」と書いているが(ここ)、それと同じか・・・?

稲造が罹ったという神経症が現代で言う何の病気かは、情報が無い。しかし子どもを亡く120512inazonitobe1890 して、奥さんがアメリカに帰ってしまった、という状況を考えると、今で言ううつ病か??
うつ病は、世の中で多い病気の割に、治癒率があまり良くないとも聞く。
しかし、そんな人にとっても、こんな話題はありがたい。新渡戸稲造ともあろう人でも、若い時に5年もの“戦線離脱”をしたことがあったのだ。

長い人生で、5年などあっと言う間。そう捉えて、逆境の時も、その時が静かに通り過ぎるのを待つ・・・、ということも大切かもね。(身近な病人を思い浮かべ、ついそう思う。しかし、後年復活しないと、笑い話にもならないけど・・・)

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