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2012年5月 8日 (火)

イタリアの労働環境~女性悩ます「白紙の辞表」

フランスの大統領選挙で、政権交代が実現したのに引き続き、ギリシャの総選挙でも連立与党が敗れ、ユーロ圏の先々がまたもや不透明になってきた。
当blogでも、前に「イタリアに出来るなら」(ここ)という記事を書いたが、先日の朝日新聞の「ザ・コラム」にイタリア女性の仕事の実態が紹介されていた。例のごとく文章が長いので恐縮だが、なかなか勉強になるので読んでみよう。曰く・・・

イタリアの労働環境 女性悩ます「白紙の辞表」
       有田哲文(編集委員)
 伊達(だて)男のイメージが強いイタリアで、女性の働く環境がひどい状態にあることは案外知られていない。
 メルセデスさん(28)は、北部の都市モデナにあるバール(喫茶店兼軽食堂)で働いていた。見習だったが、昨年11月に、3年契約の採用が決まった。店主から何枚かの書類にサインを求められた。お客にコーヒーをつくつていたために、よく読まずに署名したのが失敗だった。あとで気づくと、おかしな書類が1枚入っていた。日付だけが空白のままの辞表だった。
 悪名高い「白紙の辞表」だ。雇い主に不都合なことが起きたときに、勝手に日付を入れて辞めさせる。「不都合なこと」とは、つまり、妊娠。男性が書かされることもあるが、狙われるのは圧倒的に女性だ。
 採用の日に辞表だなんて――。気が動転したメルセデスさんに、店主は言った。「気にしないで。普通のことだから。悪いようにはしないから」
 しかし、まもなく、その辞表は使われた。妊娠ではなく、交通事故にあった直後だった。けがで長く休まれると困ると考えた店主が日付を入れたと聞かされた。「言葉を失いました。信じていたのに」という彼女はいまも、仕事を探す身だ。

 イタリア国家統計局によると、働いた経験を持つ女性の8.7%が、妊娠を理由に解雇ないし辞職を強いられたという。白紙の辞表もかなり使われたと見られている。違法だが、証拠があがりにくいこともあり、あとを絶たない。
 イタリアは、日本に負けず劣らずの少子高齢化の国だ。本来なら、女性の社会参加で働く人の数を増やそう、そして同時に子どもを産み育てやすいような環境をつくろう、という議論が盛り上がってしかるべきだが、起きているのは逆のことだ。女性の就業率は46%にとどまり、欧州でも最低レベルだ。
 なぜか。女性の労働環境に詳しいトリノ大学経済学部のダニエラ・デルボッカ教授にたずねると、「女性は家にいて、家族の世話をするもの」という考え方がイタリア社会に根強いことが、大きく影響しているという。「いまは男性より女性のほうが教育水準が高いのに。人材をむだにしている」
 大家族を切り盛りする陽気なイタリア女性というイメージは、そうした社会通念と裏腹なのかもしれない。
 そんな風潮に甘えて、国も保育所を増やすなどの子育て支援をほとんどしてこなかった。
 実は5年ほど前に、この手の辞表をやめさせるために解雇の手続きを厳しくする法律ができた。このまま姿を消していくかと思われたが、1年ももたなかった。返り咲いたばかりのベルルスコーニ首相(当時)率いる政権が「企業にわずらわしい手続きを強いる」と法律を廃止してしまったのだ。プレーボーイとして知られた彼は、後に買春スキャンダルにまみれ、行きづまる。

 昨年秋に経済危機が起きてから、イタリアを何度か訪れた。そこで感じたのは、政治がぴたりと止まっている、ということだ。打つべき手は分かっているのに、政権がリーダーシップを発揮できない。
 危機で退いたベルルスコーニ氏に代わって政権に就いたモンティ首相はいま、その穴を埋めようともがき始めた。
 こんどこそ、白紙の辞表の悪習も一掃されるのだろうか。
 モンティ氏を応援している、というセレナさん(34)にローマで会った。
 彼女も、かつて白紙の辞表を書くよう求められたことがある。契約社員から正社員になる条件だったが、拒んだら契約を打ち切られた。再就職を目指して別の企業の面接を受けたら「子どもを産む予定はあるか」と聞かれ、将来はありうると答えたら採用されなかった。
 セレナさんは結局、友人の男性と小さな会社をおこした。経営者になった彼女の口から出たのは、意外な言葉だ。「たしかに、あんなことはひきょうです。でも、今になって、なぜ雇い主が辞表を書かせようとしたのか、よく分かるんです」
 イタリアでは、厳しい規制のために従業員に問題があっても解雇はきわめて難しい。だが、それでは経営が成り立たない。いざとなればどんな理由でも使える「白紙の辞表」は、硬直した制度の抜け道になっていた。
 労働市場改革に取り組むモンティ政権が、この悪循環を断ち切ることができるのか。そして、女性が働く環境を整えられるのか。
 男女がどこまで平等に社会に参加しているか。世界の経営者や識者らでつくる世界経済フォーラムが「男女格差指数」として毎年、国を順位付けしている。昨年は135力国中、イタリアが74位。日本はその下の98位だった。」(2012/04/29付「朝日新聞」p8より)

この最後の2行が、何とも重たい。“「男女格差指数」・・・昨年は135力国中、イタリアが74位。日本はその下の98位だった。”
つまり、こんなイタリアを嘆いたとしても、日本はもっと下位だと言うのである。

女性の労働力をどう活かすか・・。その考え方は、同じヨーロッパでも、国によって大きく違うらしい。前に何度も書いているように、北欧は女性も男性と同等の労働力。しかも、解雇の制限も緩い。その代わり、再教育の仕組みが整っている。
北欧のように、資源は人、と捉えている国は、かえって分かり易い。皆でたんと働いて、皆でハッピーになる・・・。なるほど・・・

それにしても、“「女性は家にいて、家族の世話をするもの」という考え方がイタリア社会に根強い”という指摘は、あらゆる国、あらゆる人種に言えることかも知れない。アフリカの奥深い集落でも、男は狩りに、女は家を守って子育て・・・
よって前にも書いた、女性も必要不可欠な労働力、と位置付ける北欧・デンマークの例(ここ)は、国を挙げて、従来の掟を修正したのかも知れない・・・

日本の場合は、今日の国会の一体改革の議論を見ても、何とも動く様子がない。よって、北欧のように、ダイナミックに国が変わる、ということなど想像も出来ないが、「人の振り見て我が振り直せ」とも言う。このイタリアの現状を参考に、GNP第3位にして男女格差98位の“大国”日本でも、何か動けることがないか、考えるキッカケにならないだろうか・・・

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