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2012年4月21日 (土)

「荒城の月」の原曲集

なぜか「荒城の月」が気になる・・・。当サイトで「荒城の月」を取り上げるのは3度目。今日は、その原曲についての話である。
現在流布されている「荒城の月」が、原曲(明治34年)ではなく1917年(大正6年)の山田耕筰の編曲によるのもだと知ったのは、前に「「荒城の月」の研究?」(ここ)という記事を書いたとき。

先日、立川澄人の独唱を聴いた時、原曲で歌っていることに気付き、自分の持っている音源21種をチェックしてみた。すると、前に紹介した米良美一だけでなく、立川澄人や鮫島有美子、島田祐子も原曲で歌っていることが分かった。今日はその紹介である。
まあ、原曲が好きか、山田耕筰編曲版が好きか(?)なのだが、どうも腑に落ちない。つまり、クラシックの世界では、作曲家がその曲をどのような想いで作曲したのかを演奏家が追求する。つまり原曲を非常に尊重する。それなのに、なぜ滝廉太郎の荒城の月は、原曲よりも山田耕筰の編曲版が世の中に定着することになったのだろう・・・。

山田耕筰編曲の大きな違いは2つ。
1)「花の宴」の「え」のシャープ記号が省かれており、「え」が原曲より半音低い。
2)「千代の松が枝」の「ちよのまつがえ」が「ちーよのまつがえ」拍子を変えた。
立川澄人がその両方を歌っているので聞き比べてみよう。

<立川澄人の「荒城の月」~原曲>

<立川澄人の「荒城の月」~山田耕筰編曲>


「荒城の月」
1.春高楼の花の宴 巡る盃 影さして
    千代の松が枝 分け出でし 昔の光今いづこ
2.秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
    植うる剣に照り沿ひし 昔の光今いづこ
3.今荒城の夜半の月 変わらぬ光誰がためぞ
    垣に残るはただ葛 松に歌ふはただ嵐
4.天上影は変はらねど 栄枯は移る世の姿
    映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月

これは好みだが、自分はどうも原曲の方が好きだ。「はなのえん」の「の」と「え」が原曲通り半音しか下がらない方が、何か哀愁を漂わせる気がする。

原曲を歌った他の歌手も聞いてみよう。
このうち、鮫島有美子と米良美一は、山田耕筰のピアノ伴奏を使用している。

<鮫島有美子の「荒城の月」>

<島田祐子の「荒城の月」>

そして前に紹介した米良美一。

<米良美一の「荒城の月」>

(2012/05/05追)

さだまさしが、ユニークな歌い方をしている。「はなの“え”ん」を原曲通り半音高く歌い、「千代の松が枝」は山田耕筰編曲の「ちーよのまつがえ」と歌っている。
<さだまさしの「荒城の月」>

ふと思い立って、昔の映画「わが愛の譜 滝廉太郎物語」見てしまった。
つい「荒城の月」を気にする。すると、ドイツ留学の送別演奏会で「荒城の月」の独唱の場面があったが、伴奏こそ耕筰編曲版ではなかったが、旋律は耕筰編曲版だった。時代考証的にヘンだが、まあ重箱の隅を突っついても仕方がない。

この映画のラストは、ピアノ曲「憾(うらみ)」。前にも取り上げたが(ここ)、死の4ヶ月の遺作だというこの曲。映画では全曲の演奏は無かったが、この曲は無念の気持ちがひしひしと伝わってくる名曲だ。

最後に、「荒城の月」のちょっと変わった歌い方を聞いてみよう。藤原義江が昭和12年に録音したもの。誰の歌い方にもない“小節が回っている”ような歌い方で、面白い。

<藤原義江の「荒城の月」~昭和12年>

(関連記事)

「荒城の月」の研究?
東京レディース・シンガーズと池田直樹の「荒城の月」

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コメント

1回コメントさせて頂きましたが、
自己紹介もせず大変失礼をしました。
森山良子さんの「ふたつの手の想い出」から
こちらを知りました。
また、ピンクフロイドもお好きとのことで
ますます嬉しくなりました。

さて、私も大好きな「荒城の月」ですが、
単純に日本音階と思っていました。
こちらで聴き比べて大変勉強になりました。

【エムズの片割れより】
あまり気にしている人は少ないですが、一曲の歌も、奥が深い・・・

投稿: モクレン | 2012年4月22日 (日) 20:33

立川澄人さんの [荒城の月]なつかしく聴きました。
20代の頃、NHKテレビ昼休み番組で、爽やかな歌声思い出されます。旺文社のオレンジ色の歌集で
雪の白樺なーみき、夕陽がはえる !
とよく歌っていた僕も、来年は 古希でーす。
ベートーベンの歳を、一回りも多く 生きてしまった!  

【エムズの片割れより】
“旺文社のオレンジ色の歌集”、良く知っています。たぶん我が家のどこかにまだあるかも・・。
唱歌や叙情歌などが載っていました。でも、今頃そんな話が出来るとは・・・

投稿: naritetu | 2012年4月27日 (金) 00:14

 初めまして、廉太郎さんの事を調べていたら貴ページに辿りつきました。現在、廉太郎さんが留学しておられたライプツィヒ在住です。毎年命日には志半ばで倒れた先達を思いデンクマルにお参りをしています。ドイツ人はそんなことを知る由もなく通り過ぎて行きます。

私のホームページには音大の友達に弾いてもらった”憾み”があげてあります。
http://music.geocities.jp/regens_dorf/rentarou.htm
と書いた手前確認したら自前のサーバーが落ちていました。
音楽データは自サーバー上においてあります。近々帰国するので、サーバーをメンテします。
記事は読めるので気長にお待ち下さい。

また、ブログにはこんな記事も書きました。よろしければご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/qoo177cm/e/4266cf70a8e6b86f182744adf8bef3b5
賛美歌から始まって、メンデルスゾーン編曲版もYoutubeで聴けます。
流石に賛美歌の方はお勧め出来るような演奏はありませんが、楽譜で雰囲気だけでもお楽しみください。
廉太郎さんが如何に貪欲に集中して勉強していたかが解ります。

【エムズの片割れより】
“廉太郎さん”と書かれているので、誰のことだろうと思ってしまいました。滝さんね・・・
しかしライプツィッヒからとは、何と・・・。地球の裏側でも、このサイトが読めるんですね~~。ビックリ・・・
ライプツィッヒと来たら、ゲバントハウス・・・。子どもの頃から名前だけは良く知っています。でも実際にどこにあるかは???
そこにお住まいですか・・・。いやはや・・
日本は衆院選で大騒ぎ中。今日(12/7)の夕方は、宮城県沖が震源地で震度5とかで、渡辺くんの政見放送が吹っ飛んでいました。
震度5でも、TVはそのことを3時間も・・・同じ事ばかり・・・。あまりに地震に対して感度過剰なので嫌気が差します。

投稿: Regensdorf | 2012年12月 7日 (金) 01:08

荒城の月は最も好きな曲ですが、知れば知るほど興味は尽きません(それほど知ったわけではありませんが)。
「エムズの片割れ」さんの記事の中で、山田耕筰の編曲との大きな違いにロ短調➡二短調のことが書かれていませんね。一つの音の♯が落されたことも大きなことですが、曲全体が2度(3度?)も上がったことも見落とせないと思います。そのことで言うならば、立川澄人の山田耕筰は原曲と同じロ短調のままに聞こえますので山田耕筰編曲との説明はどうかと思うのですが如何でしょうか。
逆に、鮫島有美子は二短調で歌っているようなので、原曲だとする説明はどうなのでしょうか。私もあまり自信はないのですが少し気になったもので・・・・。

【エムズの片割れより】
全体の音程の上下については気にしていませんでした。
歌い手によって、その人の声域に合わせて転調しているのが普通のようでしたので・・・
しかし、聞いただけで、ロ短調と分かるなど、絶対音感をお持ちなのでしょうか?
恐れ入りました!?

投稿: 周坊 | 2016年11月 6日 (日) 21:53

私の話は絶対音感などという高級な話ではありません。
ただ立川澄人の二つの歌がどちらも同じkeyであることは分かりますので、出だしの音(ハルコウロウノのハ)がF#であることをキーボードで探り当てて、これは滝廉太郎のロ短調と推測しただけです。同じように鮫島有美子の出だしはAと判断しこれは山田耕筰の二短調と思ったのです。もし間違っていたらどなたか指摘して下さるだろうという横着な話で恥ずかしい限りです。
私が言いたいのは、山田耕筰が編曲に際して音の一部を勝手に変えたことで非難されていますが、滝廉太郎の素晴らしい原石を磨き上げて日本を代表する歌曲に仕立てた山田耕筰の手腕も見逃せないように思うということです。

【エムズの片割れより】
確かに、この「荒城の月」はまさに“原石”で、磨き方で大きく化けますよね。山田耕筰がその代表でしょうが、自分は平井康三郎の編曲(2012年1月 3日の記事)や、上海交響楽団(2008年5月16日の記事)の編曲も好きです。

投稿: 周坊 | 2016年11月 9日 (水) 20:14

音楽の話ではなく、「荒城の月」の荒城とはどこか、どこの城がモデルなのかという話です。NHK名曲アルバムにも、当然といえば当然ですが、「荒城の月」が収められいますが、映像として採用されたのが会津若松の鶴ヶ城です。映像と一緒にながれる字幕には、「(土井晩翠が)学生のころ会津で目にした荒れた城、白虎隊の悲話、その無常観が詞に刻まれる」とあります。ただし、名曲アルバムの映像にある鶴ヶ城は「荒れた城」でなく、すっかり改装され、夜空に美しくライトアップされた鶴ヶ城です。土井晩翠が27歳のころ中学唱歌の作詞を依頼され、それに滝廉太郎が曲をつけて出来上がったのがこの「荒城の月」らしいのですが、「荒城」とはどこかということについては諸説があるようです。これについて「日本の唱歌(上)」(金田一春彦・安西愛子編、講談社文庫)に面白い話が載っています。「作詞の土井晩翠は「荒城」のモデルは、仙台の青葉城、あるいは会津若松の鶴ヶ城だったと言い、滝廉太郎は郷里の大分県竹田の岡城だったと言い、それで今では、仙台と会津若松と竹田の三か所に記念碑が立っている」との由。なお、NHK名曲アルバムでのこの曲の編曲はニウ・ナオミ氏です。

【エムズの片割れより】
自分は大分県竹田派!?
昔、入社早々の1974年頃だったか、新製品のPRのために、中国・九州を会社のセールスカーで回ったことがあります。
その時に、通りかかった竹田の古城を訪ね、石垣に登って「ここが滝廉太郎が作曲の時にイメージしたところ」と勝手に思ったことを思い出しました。
楽譜を見ると実に単純な二部形式の曲ですが、こんなにも国民に愛される歌も珍しいですね。

投稿: KeiichiKoda | 2022年10月16日 (日) 14:43

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