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2012年4月12日 (木)

「慢心の米国で 受験英語ですが パードン?」

先日の朝日新聞「ザ・コラム」に「慢心の米国で 受験英語ですが パードン?」という記事があった。愉快と言っては失礼だが・・・。曰く・・

慢心の米国で 受験英語ですが パードン?
       山中季広(東京・社会部長)
 先月末、3年ぶりにニューヨークから帰国した。時差に苦しみつつもホッと安堵したのは、英語から解放されたからだ。仕事はもちろん、歯科治療から速度違反まで何でも英語の日々は、正直しんどかった。
 何しろ私の英語は悲しいまでの共通一次イングリッシュである。共通一次というのはセンター試験の前身で、英語ではひたすら文法や読解だけが問われた。その結果、聞き取り不可、しゃべり不可、読解だけそこそこという大学生が量産された。
 そんな英語力のまま就職した私か、初めて米国を訪れたのは30歳の夏。道を尋ねられず、昼食の注文もできなかった。20年近く前のことだ。赤面の失敗を重ね、辛うじて取材だけはこなせるようになったものの、いまだに小中学生に話しかけて返ってくるのは「パードン?」である。
 長く悩んだ分、英語に苦労のないアメリカ人から「英語くらいできて当然だろ」という顔をされると無性に腹が立つ。
 たとえば国連本部内で、フランス人記者がフランス大使に向かってフランス語で質問すると、米記者から「英語で話して」と声が飛ぶ。「ここにいる全記者が英語での質疑を望んでいる」。そんな英語至上主義が年々あからさまになってきた。
・・・・・・・・・・・
 モルモン教団の運営するこの大学からは毎年大勢が布教のため日本へ送られる。教授も長野五輪の際に滞日したほか、日本からの留学生とも接して日本人の英語の癖に通じている。「目立つのは、自分は英語が話せないという思い込み。実は結構できるのに、会う人会う人みな英語に驚くほどのコンプレツクスをお持ちです。英語の公用語化を議論する前に、苦手意識をやわらげた方がよいと思います」
 言われるまでもなく、私たちの英語苦手意識はかなり根深い。しかも津々浦々まで浸透している。理由のひとつは、社会全体が英語力を問いすぎることではないだろうか。中1(今は小5!)から高校まで毎週のように試され、大学入試でも英語はまず避けて通れない。就職後も、TOEIC試験を無理強いされたり、ユニクロや楽天では英語が公用語とされたり、試練が続く。ここまで延々痛めつけられれば、老若男女あげて苦手意識に染まるのも当然だろう。
 さて、日本が行きすぎた英語劣等感の国だとしたら、最近の米国は、英語慢心の国と言うべきかもしれない。元ハーバード大学長で米財務長官も務めたローレンス・サマーズ氏(57)はその代表格だ。最近もこんな提唱をした。
 「英語はいまや世界言語となった。アジアでの商談もアフリカでの治療も中東での和平協議も、みな英語でこと足りる。米大学はこの先、もう手間のかかる外国語教育に励む必要がなくなるだろう」
 何という尊大な言語観だろう。英語を他の国々に押しつけて平然としている。軍事でも通貨でも凋落著しい米国なのに、こと英語に限ってはずいぶんな威張り方だ。ローマ帝国の最盛期でも、ここまで傲然(ごうぜん)とラテン語を誇った人物がいただろうか。
 こういう方には、ぜひどこかまったく英語の通じない国で、3年ほど七転八倒してみていただきたいものである。」(2012/04/08付「朝日新聞」p11より)

実は英語について、自分には論じる資格がまったくない。大きな声では言えないが、「パードンって何?」とNetで調べてしまった。すると「え?今何て言ったの?」だってさ・・・。(このひと言で自分の英語力がバレてしまうが・・・)

自分の人生で、ラッキーな事は何だった?と問われたら、迷うことなく自分は、「英語がしゃべれなくても何とか定年までサラリーマンが勤まったこと」と答えるだろう。当サイトに何度か書いている通り、自分の天敵は「英語」なのだ・・・。

今思うと、結果として自分は「英語」から逃げていた。それでも何とか乗り越えられてきたのは“ラッキーだった”と言うほか無い・・・。
「語学」は努力だと思う。学歴も何も関係無い。前に「「引きこもり留学」で英語の先生になった菊池健彦さん」(ここ)という記事を書いたが、要は努力あるのみ・・・

現役時代、高卒のKさんという人がいた。英語と全く関係のない仕事だったが、50歳前のある時に、海外の大プロジェクトの営業担当として、3年ほど東京に転勤になった。客先はすべて外人。単身赴任だった彼は、勉強の結果、一人で外人の前でプレゼンが出来るまでに英会話が上達したという。
準現役のとき、部下にTさんというやはり高卒の人がいた。この人も、英語には全く縁がなかったが、若い時にアメリカに3年ほどサービスマンとして駐在した。本人曰く「赤ん坊と同じ」ように現地で見よう見まねでぶっつけ本番で英語を話し、連れて行った子どもも含めて英会話が身に付いたという。その仕事を離れて英語と縁がなくなって20年近く経っても、TOEICは700点ほど。

要は努力。だが、自分はハッキリ言って努力がキライ・・・(トホホ・・・)
今の新入社員は「英語がキライです」ナンテ言おうものならそもそも入社出来ない。
つくづく自分は良い時代にサラリーマン時代を過ごせたと、ラッキーな人生に感謝・・・!?

最後に視点を変えてみよう。
歴史に“もし”は無いと言うが、もし江戸時代に、幕府が鎖国などせず、大英国帝国でなくて大徳川幕府帝国(?)が世界制覇をしていたら、今頃日本語が世界語になっていて、自分も海外旅行で何の苦労もなかっただろうに・・・(フン!アホらし・・・・)

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コメント

2ヶ国語話せる人はバイリンガル。
3ヶ国語話せる人はトリリンガル。
では、1ヶ国語しか話せない人は?
エッ、モノリンガルですか?
いいえ。アメリカンです。
こんな冗談でも言って、皮肉って溜飲を下げるしかありませんね。アメリカ人は世界中の人が英語を話せる、いや、話すべきだと思い込んでいるらしいですから。
在中国のある公使の奥様は、英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、中国語、日本語、まだ他にもおできになるかもしれませんが、いずれの国の言葉にも堪能なマルチリンガルの素敵な方です。1外国語にも苦しんでいる人が多いのに、世の中には信じられないような方がいらっしゃるもんですね。

【エムズの片割れより】
アメリカでは、外国語教育はどうしているんでしょう・・・?あまり盛んではない??
先日の新聞に、新興国では、自国の教科書が十分でないので、英語の教科書を強制している、とありました。
英語を強制していない国は、自国語での教育に自信がある?・・・とすると、自国語に誇りを持っているフランスなどでは、英語教育はどうなんでしょうね?

投稿: 河南 勝 | 2012年4月15日 (日) 01:39

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