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2012年3月17日 (土)

「当たらぬも八卦」

先日、日経新聞の「プロムナード」というコーナーで、面白い記事を見つけた。曰く・・・

当たらぬも八卦    栗田有起
 若いころ、一時期、占いにとても興味があった。
 当たると評判の占い師に会いに行き、何度か未来をみてもらった。占星術師にホロスコープを分析してもらったこともあるし、前世や守護霊なるものをしめされたこともある。
 ひとにみてもらうだけでは飽きたらず、みずから手相の本を読んでみたり、タロット・カードをならべたり、妖精からのメッセージに耳をかたむけたこともあった。
 将来、どんな人生を生きていくのかわからなくて、わからないのは当然なのだけれども、若いせいかそのことに不安を抱いていた。仕事に悩みがあったり、恋愛や人間関係がうまくいかなかったせいもあった。不安を解消するだけではなく、占いの言葉に、おとぎ話を聞くようなおもしろみも感じていた。
 人間が不安を抱く生きものであるかぎり、占いのたぐいは今後もなくならないだろう。占い師は、人類最古の職業のひとつかもしれないと思う。
 ただ、私にかぎっていえば、占い師のいったことは、今のところほぼすべて外れている。
 私は当時つきあっていたひとと結婚しなかったし、イタリア人の弁護士と運命的な出会いも果たしていない。音楽業界で生計を立ててもいないし、男の子どもも産んでいない。もちろん、今後どうなるかはわからないけれども。外れたからといって、彼らの能力を否定するつもりはない。
 もしかしたら、占ったその時点では、百パーセント確実だったのかもしれないのだ。しかし人生は刻一刻と変わってゆく。占われた次の瞬間にも、運命は変化をとげるのである。したがって運命の、ある瞬間だけを取りあげてみても、あんまり意味はないのかもしれない。
 ある友人は、長いあいだ不妊に悩んでいた。ひとづてに、専業ではないもののよく当たる占い師がいるというので紹介してもらったところ、子どもができないのは家系の問題だから、今の夫との間に子は授からない、どうしても子どもがほしいのなら、彼と別れることだ、そういわれたらしい。彼女は、夫と離婚するつもりはまったくなかった。
 「すごくがっかりしたけど、不思議と気持ちが楽になったの。子どもができないのは私のせいじやない、だったら、もう自分を責めるのは止めようと思えたから」
 ちなみに鑑定料金は三時間で二千円。食事はご馳走してもらったらしい。
 今でも子どもはあきらめてないよ。そういう彼女の表情は晴ればれと明るかった。その後しばらくして、彼女は夫の子を妊娠し、出産した。占いは、めでたくも外れたわけだ。
 占いの言葉が、彼女の妊娠に何か影響をあたえたかどうかは、わからない。大事なのは、彼女自身が、気持ちの変化を望んだということではないかと思う。
 そして、そこで何を聞かされても、自分の人生を自分の手で切りひらこうという決意は変わらなかった。その決意こそが、彼女の運命を動かしたにちがいない。それがなければ、占いのたぐいは、いつまでたっても絵に描いた餅にすぎないだろう。
 占いの言葉を、物語としてとらえるならば、生きる活力になりうると思う。あくまでも、フィクションの効用のひとつとして。(作家)」(2012/03/10付「日経新聞」p4より)

言われてみれば、確かに「占い師は、人類最古の職業のひとつかもしれない」。卑弥呼も占い師だったというし、戦国時代は、占いによって開戦の日を決めたという。
ひるがえって、現代人は占いをどう“活用”しているか?
新興宗教に陥っている人は別にして、先が見えない人が占いを頼っているのかも知れない。先が見えている人は、他のものを頼る必要が無いので・・・

考えてみると、自分も若い頃、当時はやっていた星占いなるものに凝ったことがある。ちょうど学生時代から新入社員の頃か・・。毎年、生まれた星座ごとの星占いの小冊子が売り出され、自分の星座のものを買っては“今年は・・・?”と楽しんだもの。もちろん当たる事は無かったが・・・・
サラリーマン現役時代は、もちろんそんな事とは無縁の男・・・・。

でも、いつになっても神頼みだけは欠かせない。相手が神さまであろうが、仏さまであろうがお構いなし。自信のない事で頼る相手は、いわゆる「神さま」しかいない。

そして、この記事で、「もしかしたら、占ったその時点では、百パーセント確実だったのかもしれないのだ。しかし人生は刻一刻と変わってゆく。占われた次の瞬間にも、運命は変化をとげるのである。したがって運命の、ある瞬間だけを取りあげてみても、あんまり意味はないのかもしれない。」というくだりが面白い。
ナールほど・・・。物は考えよう。仏陀が言うように、確かに全ての物事は、刻一刻と変化している。だからあまりこだわっても仕方がない。このことは、まあ頭では分かっている事だが・・・

占いも、神頼みも、要は自分の心の持ちよう・・・。先の記事のように、盲信するかどうかは別にして、それで少しでも心が安らかになるキッカケになるのであれば、それも有用・・・。
でも、少なくても現在の我が家はこう思っている。“神頼みは当たるぞ!”・・・。なぜなら、“あの息子”が結婚したのだから・・・。大きな声では言えないが、これこそ“スゴイ”こと・・
当分の間は、神さまを信じる(現金な)我が家ではある。

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コメント

占いですか!
若い頃に一度か二度か見てもらったような気がします。
そんなに当たらないものですかね~?
たいがい、相手の反応を見て誘導尋問みたいに当たり外れのないことを言いそうですが・・・。

私は占い師でなくとも悩みのある人から「そうや!そうなんや。分かる~?」なんて言ってもらったことがありますね。

しかし、上の事例はいやに大胆に無責任な占いをやっていますね。
そんなに断言したら客が来なくなるのじゃーないですか(笑)

いやいや神様、仏様、稲尾様は御利益あるでしょう。
いや現代は「マー君様」でしたっけ(汗)

息子さんのことよかったですね!
我が家は一人っ子でもう片付きましたが、六人の子を育てて、末っ子の私が就職、結婚、子供を持った時の親父の気持ちが最近分かって来た気がしています。

【エムズの片割れより】
そうなんです。子どもとは、自分のやってきた事の鏡。自分が親にしてきた事を、子どもから同じようにされた時は、ナールほど・・と。だから、息子にも、子どもを持って、人間を深く理解して欲しいと思っています。

投稿: 小父さん | 2012年3月17日 (土) 22:24

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