「老いること」の利点・・・
毎月送られてくる雑誌「大法輪」。今月号の特集は「『老い』と『死』の生き方」。ちょっとドキッとするテーマ。その中で、面白い記事を見つけた。曰く・・・
「『老いること』の利点、そして我が死
元代々木医院副院長 精神科医 中澤正夫
◆はじめに
私は七十五歳、臨床医としては現役であるが、管理や経営からは引退という気楽な立場である。私は今一番幸せな時期かもしれない。「思ったこと、感じたこと」を誰はばかることなくいえるからである。もう地位も月給も上からないから気兼ねなく直言できる。老いて一番「うれしい」ことである。老いて高まる能力を生かせているからである。だがわたしと同じ立場にすべての人が立てるわけではない。この能力を誰でも持っているにもかかわらず……である。まず老いて高まる「能力」から述べる。
◆老いて熟成する能力とは
(1)絵を読み取る力:混沌とした状態の中から隠されている「絵・本質」を読み取る力
(2)潮目を読む力:運動でも商売でも物事には潮時が有る。進むか、退くかの判断力
(3)人を繋げる力:人の財産はなんと言っても人脈、それを作り保持する力
(4)捨てる力:不要な物や人間関係を整理し捨てていく力
(5)自分と祈り合う力:頑固な自分をうまく騙し、まあまあと折り合いをつける力
すべて、それまでの人生の試行錯誤の積み重ねの中から、経験則として析出してくる能力である。記憶・計算や整理・分析はコンピューター任せのこの時代、職場づくり、人間関係に必須な能力、本当の「人間力」である。定年とは、この力がついた人を駆逐する仕組みである。もったいない事である。
では老人達がこの力を使えるか?というとそうではない。それを生かす場面・機会がない。近隣はその社会的機能を喪失し、老人に役割を期待する活動は激減している。会社人間だったので、新たな近隣形成をする力もノウハウも足らない。第一、老人に何かを期待する風潮がない。使わなければこれらの結晶能力は速やかに減少する。老人の方にもハンデがある。この能力は「脳が極度に衰えれば」無くなっていくからである。使えているのは自営業・中小企業主、や政治家くらいなものであろう。
近隣・集落が機能していた頃、どこでも頼りになる「隠居」がいた。10年ほど前、「自分は隠居になれるだろうか?」「隠居ぐらしの条件」とはなにか、考えたことがある。四つある。①死の(心の)準備が出来ていること、②まとまった金がいる(「死に金」よりも「老い金」)、③自分が生きていることを期待している人がいる、④ボケていない、である。②と③で多くの人が隠居ぐらしは無理なのである。①については人様々のようである。・・・・」(雑誌「大法輪」2012年3月号p90より)
老人のことを、別名「ベテラン」という(?)。しかしそれはある専門領域を持っている人のこと。いったんリタイアして家庭に戻る(入る)と、多くの老人はベテラン領域の専門性を活かすことが出来ず、結局“濡れ落ち葉”・・・・!?(←これ、自分のこと)
でもこの記事のように「老いて熟成する能力」と評価されると、何か嬉しい。ここに書いてある5つの項目は、どれも納得する。つまりこれらの項目は、誰でも若い頃に比べると、確実にベテラン化しているはず・・・。結局は“余裕”の問題かも・・。それは“もう地位も月給も上からない”という、ある意味開き直りから来ているようだ。
今自分がいる会社で振り返ってみると、自分のような“ベテラン”は、現役のラインの中での居場所が難しい。出過ぎても煙たがられるし、引っ込み過ぎると無用の長物。そのバランスこそ、「老いて熟成する能力」で乗り越えるアイテムなのだが・・・・
もう3月・・。多くの企業で、組織や人事の内示の時期・・・。そんな風物詩を、“現役さんは大変だね~”と、超然と(=他人事として!?)眺める“ベテラン”なのである。
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コメント
私もリタイアして6月で5年経ちます。
この2年間は高齢者大学を中心に時間を過ごしましたが、さて来年度は何をしようかと思案しているところです。
「大法輪」って目を通したことないですが、含蓄がありますね。今の自分をずばりと言い当てられた感じです。
老いて熟成する能力では(1)と(4)
隠居ぐらしの条件では③と④が特に感じるところがあります。
まあ、退職前から何気なくはじめたブログも健康の源な気もしております。
現役中は仕事以外の活動にも力をそそいでいましたが、それも辞めた今、私の“ベテラン”がなくなったことにも気づきました(笑)。
【エムズの片割れより】
大法輪はもちろん本屋で売っていますが、マーナ-な雑誌のようです。
この記事は、女性には不人気なようで、カミさんから「男の論理」、と切り棄てられてしまいました。
投稿: 小父さん | 2012年3月 6日 (火) 22:20