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2012年3月15日 (木)

「日弁連会長選―利益団体でいいのか」

今朝の新聞に、日弁連の会長が決選投票で決まらなかった、と報道されていた。
日弁連会長選、再投票でも決まらず 初の再選挙へ
 日本弁護士連合会(会員約3万2千人)は14日、宇都宮健児会長(65)の任期満了(3月末)に伴う次期会長選挙の再投票を実施した。史上初の再選を目指す宇都宮氏と、元日弁連副会長で東京弁護士会所属の山岸憲司氏(64)の決選投票となったが、両氏とも当選条件を満たせず、候補者公募からやり直す「再選挙」が決まった。再選挙は初めて。
 法曹人口を巡る議論や裁判員裁判への対応、東日本大震災の被災者への法的支援など、日弁連が直面する課題は少なくないが、かじ取りを担う会長が決まらない異例の事態になっている。
 日弁連の会長は会員弁護士の投票で選ばれる。当選には総得票が最多になることに加え、全国52の弁護士会の3分の1超(18会以上)でも最多票を獲得することが必要。4人が立候補した2月の1度目の選挙では条件を満たす候補がおらず、上位の山岸氏と宇都宮氏が再投票に進んだ。
 14日の再投票では、総得票が山岸氏8558票、宇都宮氏7486票、弁護士会が宇都宮氏37会、山岸氏14会(同点1会)。総得票は山岸氏が上回るものの、弁護士会の支持は宇都宮氏が上という1度目と同様の結果となり、決着がつかなかった。投票率は50.8%で、2月の62.3%から低下した。
 日弁連の会則では、再投票でも当選者が決まらない場合は、候補者公募から仕切り直す「再選挙」になる。再選挙は28日に公示、4月2日に立候補が締め切られ、投開票は4月27日。新会長が選出されるまでは宇都宮氏が会長職にとどまる。」(2012/03/15付「日経新聞」より)

最初の2月10日の投票でも、宇都宮氏が37会、山岸氏12会だったので、今回の再投票でも状況は変わっていない。つまり、何度行っても結果は同じで、今後の堂々巡りが予想される。
多くの地方弁護士会から押される宇都宮氏と、大派閥・東京をバックとした山岸氏の戦いをどう見るか・・・。簡単に言うと、単なる派閥争い・・・・?
それに“投票率5割”をどう捉えるか・・・。現場の弁護士にとって、日弁連会長はそれほどに遠い存在?・・・

少し古い記事だが、朝日新聞の社説に日弁連選挙についての論があった。
「日弁連会長選―利益団体でいいのか
 むこう2年間の日本弁護士連合会のかじ取り役を決める会長選挙は、当選者が決まらなかった。元事務総長の山岸憲司氏と現会長の宇都宮健児氏との間で近く再投票が行われる。
 ここまでの論戦を見て改めて感じるのは、弁護士がどんどん内向きになっていることだ。
 仕事がないのに数だけ増えている。競争が厳しく収入も減り気味で、あこがれの職業でなくなりつつある。会内のそんな声を反映し、両氏とも年2千人の司法試験合格者を1500人以下に減らすよう訴えている。
 はたして多くの国民は、これをどう聞くだろう。
 私たちも無理な増員を進める必要はないと唱えてきた。だが本当に弁護士は社会にあふれているのか。人々の法的ニーズは満たされているのか。
 たとえば原発事故の賠償が進まない。原因は様々だが、被災者が弁護士の助けを受けられないまま申請してくるため書類不備がめだち、和解手続きが滞っている現実があると聞く。
 日本企業への信頼を失わせたオリンパスの役員に、法律家は一人もいなかった▽国境をこえたトラブルの防止や解決を任せられる弁護士がきわめて少ない▽いわゆる弁護士過疎地で、やる気のある若手が仕事を始めたら、介護や生活保護をはじめとして人権にかかわる多くの問題が掘りおこされた――。
 ほかにも、実態と弁護士業界内の「世論」とのギャップを示す話はたくさんある。
 山岸氏は法律家が取り組むべき課題を選挙公報に並べ、宇都宮氏も「膨大な数の人々が権利保護から取り残されている」と書く。その声なき声に縮み志向でどう立ちむかうのだろう。
 事務所で相談者が来るのを待ち、安くない報酬をもらい、法廷に出す文書を作るのが主な仕事で、あいまに人権活動も手がける。そんな昔ながらの弁護士像はもはや通用しない。
 法科大学院のありようを見直したり、必要な法律や制度を整えたりするのはもちろんだが、同時に弁護士が意識を改め、仕事に向き合う姿勢を見直していかなければならない。
 残念ながらこの2年間、日弁連のなかでそうした問題意識は十分な深まりを見せず、はた目には既得権益の擁護としか見えぬ主張を繰り返してきた。
 弁護士、そして弁護士会は、民間の存在ながら司法権の行使に深くかかわる。強い自治権をもち、自ら行動を律することが国民から期待されている。目を大きく開き、世の流れをしっかり見すえてほしい。 」(2012/02/26付「朝日新聞」社説より)

この社説には、なるほど・・と思う。
法曹界ほど、世間の流れに敏感にならなければいけない世界はない。しかし現在はそれに逆行・・? 検察は単なる可視化ですら、おののいている。よほど、他人に見られたくない調べ方をしているのか・・・。裁判官もそのミッション故、世間から疎いことが指摘されて久しい。前にNHKで「ジャッジ~島の裁判官 奮闘記~」というドラマを放送していたが、その職業がら、近所づきあいも制限されるという。
そして一般人に最も身近な存在であるべき弁護士。普通の人では、余程のことが無い限り、お世話になる事がない。いやお世話になりたくない・・・。なぜ?・・・

前に給料不払い問題で、ある弁護士に「先方に直接行って頼んでくれ」と言ったことがあった。すると「弁護士は、事務所に呼び付けることはあっても、自分から先方に出向くことはない」と言われてしまった。それが弁護士世界の“常識”・・・。つまり、サービス業であるにも拘わらず・・・だ。それは何故か? 希少価値故? だから、弁護士の数を増やして、一般大衆化させる。それによって、弁護士“サービス”を人々の身近に・・・。それが今回の司法制度改革の理念だったのでは!?

しかしこの社説ではないが、やはり弁護士志願者は、特権階級としての職業像から距離を置くことは出来なかったのかも? 合格者数が増えるので自分も合格し易くなる。でも弁護士としての受益は、従来通りを期待・・・。だから「何か期待と違うので(儲からないので)、これ以上弁護士の数を増やすのは止めようよ・・。(自分はもう弁護士になってしまったので、いくら減らしても、もう影響ない・・)」・・??なんて想像すると、何か寂しい・・・。

先の社説のタイトル「利益団体でいいのか」に代表されるように、世間の弁護士“業界”への視線が厳しくなっている。何故か?最初に思い浮かぶのが、弁護士業界の金銭感覚の大衆からの乖離。我々が1万円と思っている感覚が、弁護士業界では10万円・・・。そして“先生”として君臨していることでの、世間感覚からのズレ・・・

これは“夢”の話だが、弁護士会のホームページで、所属弁護士全員の「手弁当活動」の実績を公表すると面白い。お金をもらって活動するのは商売。それ以外の、(安い国選弁護のような)いかに手弁当で世の中の人に奉仕するかが弁護士の価値。そう評価して各弁護士の“ボランティア度”を公表する・・・。そんな評価に変わって行けば、数を増やして一般人に身近な法曹を、という当初の理念に戻るかも・・・
現状では、身近で何か事件が起きても、何とか弁護士には頼まないで解決したい・・、が今の自分の心情である。

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コメント

知人の弁護士さんは別として仕事の上で接したことはなかったですね。
今後も多分お世話になりそうにない気がします。

ところが、アメリカのドラマを観ているとグレゴリー・ペックの『アラバマ物語』であれハリソン・フォード の嫁になったキャリスタ・フロックハート主演の『アリー my ラブ』であれ、とても市民の近くに弁護士が存在するように感じます。
たぶん、州法の元か何かで司法試験も日本より簡単に合格できるのじゃーないかと思っていました。
では、日本もアメリカ並みに弁護士を増やすのかと考えていたらそうでもないのですか!?

そもそも「日弁連」という固有名詞は聞きかじったことはあっても、どうも無縁な存在として今日まで来たようです。

【エムズの片割れより】
普通の人は、ほとんど弁護士さんのお世話になる事は無いでしょう。それだけ、平和な生活の証拠・・・・。
弁護士業務はケンカの代行。関わらなくて済むのなら、それに越したことはありませんね。

投稿: 小父さん | 2012年3月15日 (木) 23:19

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