グレープとバンバンの「縁切寺」
40年も昔のこと、独身の頃、鎌倉に良く行った。北鎌倉で降りて、お寺を巡りながら鎌倉駅まで。もちろん当時は、お寺についての知識は皆無。その寺が何の宗派か、どんな歴史があるかなども、もちろん知らず・・・
この歌にある縁切寺である東慶寺にも何度も行った。しかし結婚を機に、本当に行かなくなった。(別に縁切寺に因縁があったわけでは無かったが・・・)
我が家は色々と縁があった鎌倉だが、結婚してから行ったのは2回位か・・・。
この、さだまさしの「縁切寺」は、1976年1月にグレープがリリースした最後の楽曲だという。その後、バンバンが1976年8月にカバーした。
<グレープの「縁切寺」>
<バンバンの「縁切寺」>
「縁切寺」
作詞/作曲:さだまさし
今日鎌倉へ行って来ました
二人で初めて歩いた町へ
今日のあの町は人影少なく
想い出に浸るには十分過ぎて
源氏山から北鎌倉へ
あの日とおなじ道程で
たどりついたのは 縁切寺ちょうどこの寺の山門前で
きみは突然に泣き出して
お願いここだけは 止してあなたとの
糸がもし切れたなら 生きてゆけない
あの日誰かに 頼んで撮った
一枚切りの一緒の写真
納めに来ました 縁切寺君は今頃 幸せでしょうか
一度だけ町で 見かけたけれど
紫陽花までは まだ間があるから
こっそりと君の名を 呼ばせてください
人の縁とは 不思議なもので
そんな君から 別れの言葉
あれから三年 縁切寺
しかしこの歌詞は何とも寂しい。さだまさし23歳のときの歌。しかし哲学者・さだまさしの歌詞も、初期のこの頃の歌は分かり易い。
しかし「人の縁とは 不思議なもので」というのは、最近自分もつくづくそう思う。
Wikiによると、「さだは解散コンサートにて解散の理由を「精霊流し、無縁坂、縁切寺ときたらあとは墓場しかない」と述べている。」とある。
これは笑い話だが、グレープ時代のさだまさしの歌声は、その後の少し慣れた歌声に比べると自分は好き。
今日から3月。会社では人事異動のシーズン。どこかで誰かが転勤になり、人と人との縁の輪が広がっていく。会社の人の縁は、普通仕事の関係が途切れると、終わってしまう。しかし、会社での縁が終わった後でも、続く縁もある。現役時代はまったく気にしなかったが、現役を卒業して初めてそれぞれの縁の深さを実感する。
縁とは、人知の及ばない不思議なものであると同時に、人にとって最も大切なものでは無かろうか・・・。
(5月連休に、もし旅行の計画が立たなかったら、鎌倉にでも行ってみるか・・・。もうここまで来れば、縁切寺も怖くないので・・・!?)
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コメント
素敵なコラムと歌を楽しませていただきました。
年末でしたか映画『二百三高地』を観ていたら
『防人の詩』が流れて、その詩に歌に驚きましたね。
たぶん、紅白くらいで以前聞いたことがあるんだと思いましたが、さだまさしの天分の才能にはじめて触れた思いでした。
私も彼の若くてか細い声が好きですね。
大御所・さだまさしの弁や歌声はなんとなく敬遠してしまいます。
(さて、今日は送信できるでしょうか?先日の党首討論の時はだめでした)
【エムズの片割れより】
さだまさしの「防人の詩」は昔良く聞きました。そして昨年末放送された映画「二百三高地」で、自分もその歌のオリジナルを聞きました。名曲は残りますね。
*コメント入力は、ご指摘で「認証画面」を外してみました。前に外国からの迷惑コメントが多くて、認証を入れましたが・・・。
投稿: 小父さん | 2012年3月 2日 (金) 18:07
このコースは鎌倉へ行くとよく歩きます。
ただし、逆コースですが。
歌われているのは秋か冬でしょうね。
春だと山門の梅が、夏だと山道が暑すぎてこの歌の雰囲気に合わないような気がしますから。
でも、3番の歌詞を見ると・・・。
じゃあ、初夏?
などと、いろいろ考えてしまいます。
歌詞って難しいですね。
【エムズの片割れより】
歌詞の「紫陽花までは まだ間があるから」からすると、アジサイの季節5月~7月の前となるので、春から初夏?
散歩のシーズンとすると、やはり春か秋でしょうね。
投稿: 通行人 | 2012年3月 3日 (土) 11:44