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2012年3月 3日 (土)

おばあちゃん子~「私の履歴書 樋口武男」より

今月の日経新聞「私の履歴書」は大和ハウスエ業会長 樋口武男氏だ。もちろん自分はこの人を知らない。でも昨日の記事は面白かった。曰く・・・

私の履歴書 樋口武男
・・・・・・
「武男、武男」とかわいがってくれたのは一緒に暮らしていた祖母のシモである。1878年生まれで気骨あふれる明治の女。猫かわいがりなどしない。しつけの厳しさは尋常ではなかった。
 4歳のある朝、おねしょをした。布団をくるくると丸めて隠し、そのまま近所へ川遊びに出かけた。近所のお兄ちゃんたちと一緒になって小川を2ヵ所せき止め、たまった水をかき出して中に残ったザリガニや小魚をとるのだ。
 間もなく血相を変えた祖母が追っかけてきた。家に連れ帰り、私を納屋の柱に荒縄でぐるぐる巻きに縛った。朝ご飯も食べずに家を飛び出しているから腹がすく。かわいそうに思った母が昼過ぎに握り飯を持ってきてくれた。それが祖母にばれた。「甘やかしたらろくな子にならん」と言って追い返してしまった。
 あたりは段々暗くなる。人の気配はせず、聞こえるのは納屋の隣で飼っているニワトリ20羽の鳴き声と羽音だけ。心細いことこの上ない。泣きに泣いて涙も枯れたのを見計らって祖母が現れた。「分かったか、うそとごまかしは絶対にあかんぞ」。こんこんと説教され、ようやく縄をほどいてもらった。
 「他人様に迷惑をかけたらあかん」と繰り返し言われた。ケンカに負けて帰ると竹の棒でたたかれた。こちらが小学生、相手が中学生であっても関係なし。「トミ(富太郎=父)はケンカで負けたことないで」と言ってもう一度行かされ、私か逃げ出さないよう後ろで仁王立ちしてにらんでいる。再戦では殴られようがどうされようが相手の腕にかみついて離さない。向こうが泣き出すまでかみ続けた。
 泣き声を聞きつけて相手の母親が出てくると「子供のケンカに親が出るな」と一喝。「あんたも出てるやないの」と向こうが言うと、「親とちゃう、ばあちゃんや」と言い返した。あんなに気の強い人間には会ったことがない。
 祖母の教えは3つある。
 1、うそとごまかしは絶対に許さない
 2、人に迷惑をかけるな
 3、闘ったら必ず勝て
 世間に「おばあちゃん子は三文安い」などと言わせぬように、祖母がたたき込んだ3ヵ条はそのままビジネス訓として今の私を律している。(大和ハウスエ業会長)」(2012/03/02付「日経新聞」p40「私の履歴書」より)

おばあちゃんは、普通は優しい存在。最近、“まさに初めて”夫婦そろって見ているNHKの連ドラ「カーネーション」でもそうだ。麻生祐未が演じるおばあちゃんの小原千代が、何とも好き・・。気品があって、優しくて・・・。しかしこの麻生祐未、カミさんからTBSの「JIN-仁-」(ここ)の厳しいお母さん役と同じ人・・・と聞いて、「そうだ、あの厳しい母親・・・」と思い出した。
役者は、同じような立場でも、どうにでも演技出来る。スゴイ・・
それなのに、今日の放送(127回)で、主役の尾野真千子さんも麻生祐未さんも、出演が終わってしまった。残念!

おっと話がずれた。自分も少しの間、祖母と一緒に暮らしたことがあるが、あまり仲が良くはなかった。だから祖母の影響はほとんどない。
しかし、この記事のおばあちゃんの存在感はどうだろう。明治の女、という一言では言えない。結局、自信の表れ? 自信があれば強くも言える。また信念があれば、キツイ教育も出来る。(もっとも、あまり自信があり過ぎると、子供が萎縮してしまう。だから、厳しい祖母と優しい母、のような、厳しさと優しさの分担が重要なのは言うまでもない)

「三つ子の魂百まで」とは良く言う。この信念の躾けが、子供に大きな影響を与える。しかも、先の筆者の祖母は、「3つの教え」と、実に分かり易い。
ひるがえって、自分の子供への教育方針はどうだったか? これ・・という言葉が浮かんでこない。つまり“何となく”育てた・・・?
光市母子殺害事件(ここ)のように、重大事件を起こす人は、子ども時代の育成環境に色々な問題がある場合が多いという。家庭内暴力や虐待、離婚など・・・。
すべては平穏で円満な家庭から健全な子どもが育つ。これから子どもを育てる若い人には、こんなおばあちゃんの存在は期待出来ないものの、厳しさと優しさのバランスが取れた子育てを期待したいものだ。

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コメント

昨日は失礼致しました。

私の履歴書 樋口武男の第1回目は出先で読んで、つづきを読みたいなと思っていました。

実は私も明治生まれの婆さん子で育ったんですが、ずいぶん得した部分と、お袋には甘えずじまいで申し訳なかったな感じる部分があります。

私はまだ孫がいないもので分からないのですが、祖母や祖父というものは孫を可愛がるだけで終わりそうな気がするんですが、時々、孫も躾けるという昔の人を時々耳にしますね。

これだったら樋口さんの母親の立場がなさそうな気もしますが、こうやって考えると私の祖母もお袋の立場を横取りしていたのかななんて考えます。

傑出した鬼のような経営者もこのおばあちゃんから生まれてきたんですかね。
続きも読みたくなりました!
ネットには載せてくれませんよね。

【エムズの片割れより】
氏は“傑出した鬼のような経営者”なのですね。日経は、いつも駅のホームのゴミ箱に入れてしまうので、続きはありません。また気になる言葉があったら・・・
普通は、優しいおばあちゃんと、厳しい母親、という組み合わせ!?

投稿: 小父さん | 2012年3月 3日 (土) 21:26

私の祖母は明治2年生まれでした。子供たちが教科書でしか知らない「佐賀の乱」を実体験で知っていると言ってました。考えれば祖母たちの幼児期はちょんまげと洋装が同居した時代なのです。父は日露戦争当時に少年期を過ごしています。長姉は小学生の時の2.26事件をよく記憶しているそうです。これらはすべて私にとっては歴史上の事件です。
身近な人の口から直接聞かされた話はこころの底に残ります。
そう言う私も真珠湾攻撃とその日の大本営発表の文言ははっきり記憶の底にあります。孫世代から見ると日米戦などはとっくの昔の出来事でしょう。あたかも私たちが黒船来航を単なる歴史の一こまとつい思ってしまうのといっしょでしょう。
あまり関係のないコメントになりましたが、ついつい祖母の記憶から思いついたことを書き連ねました。

【エムズの片割れより】
NHKが戦争体験インタビューを記録していますが、太平洋戦争ですら、もうすぐ風化・・。
先の震災も、そのうち風化!? でも原発事故だけは風化しそうに無い・・・。
昔、死んだ親父が「戦争の事を思えば、どんな事もささいな事」と言っていたのを思い出します。
自分の、あまり強烈な事件の記憶がない・・・というのは、非常にありがたい事ですね。

投稿: 佐賀生まれの子供でした | 2012年3月 4日 (日) 12:09

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