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2012年3月22日 (木)

NHK第6回こころのエッセー賞「父の帳面」

先日、NHKラジオ深夜便の「第6回こころのエッセー賞」が発表され、その朗読の番組があった(2012/03/08放送)。今日は、その中で72歳の方が書いた「父の帳面」を紹介しよう。
昭和24年、結核のために父親が亡くなり、残された15歳の姉と、10歳で小学校5年の自分。15歳の姉は、病床の父の下の世話もした。残された3冊の帳面。「出納帳」、「献立記録」、そして「日常のこと」・・・・・

<第6回こころのエッセー賞「父の帳面」>

「日常のこと」は、「丁寧に」「静かに」「ゆっくり」がキーワードだった。

「・・・静かに事をはこべば物を壊さぬ。まずい出来でも、丁寧に処してあれば人はそこを見る。父は私に教育を授ける事も、躾(しつ)ける事も出来なかった。この子を育てぬまま死ぬ。帳面を残す事が精一杯の力の限りであったのであろう。お父さん、丁寧に、静かに、ゆっくりが全てに通じました。・・・」

小さい子を残して死ぬ親の心は、言葉に出来ない。特に当時の死病、結核では、さぞ無念だったであろう。母親もいない状態で、せめて残す事が出来たのがノート。そこに書かれていたことを、子どもは忠実に守って育って行った・・・。

ふと、「命連綿」をいう歌を思い出した。手仕事屋きち兵衛さんの歌である(ここ)。
「・・・生きていれば 何とかなる 何とかなるまで 生きていればいい・・・・・
あなたがいて 私がいて 出逢い 愛し合い 生命がつながる 明日の家族が生まれる 明日の生命が生まれる・・」
ところで、命が連綿と受け継がれて行く中で、親は子どもに対して、どこまで関わるのだろう? 就職して経済的に自立するまで? 結婚するまで? 子育てが終わるまで?・・・・
もちろん、そんな事は人それぞれ・・・。
でも、こんなエッセーを聞きながら、今置かれている自分たちの人生が、どれほど恵まれているかを改めて実感するこの頃である。ありがたい事である。

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛の「命連綿(いのちれんめん)」

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コメント

感動的です。

たまたま昨夜読んだ、一番新しい直木賞作品
『蜩ノ記』(ひぐらしのき)葉室麟 著にも通ずるところが有ります。
いや、むしろ簡潔にエッセンスがまとめられています。

>今置かれている自分たちの人生が、どれほど恵まれているかを改めて実感するこの頃である

このフレーズは私が、1900年生まれの親父に対していつも思っていることでもあります。
何か申し訳ないような、感謝の念がよく浮かびます。
先日書きました長兄への想いも似た感情を持っています。

【エムズの片割れより】
「足るを知る」ことの難しさ・・ですね。

投稿: 小父さん | 2012年3月22日 (木) 23:05

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