「私の履歴書~樋口武男氏」~ALS弟の過酷な最期に今も自責
最近になく面白い日経新聞の「私の履歴書~樋口武男氏」。先日の記事に、こんな一文があった。
「・・・3歳年下の弟、進のことにも触れておきたい。身長も肩幅も私より大きく、高校ではラグビー部に入っていた。典型的なやんちゃ坊主だった。通学時に阪神電車の車両連結部分で他校生ともめたことがある。2人は途中の駅で電車を降りた。相手はボクシング部員だった。立ったままでは不利になると考え、タックルして担ぎ上げ、そのまま駅前の広場にある防火水槽に押し込んで大騒ぎになった。相手がけがをしたために母は学校に呼び出された。
同じようなことが何回もあり、怒った父が勘当した。調理師になり大阪・鶴橋で飲食店を開業してようやく勘当は解けた。その後、東京・蒲田に移り、新たに飲食店を構えた。大変なこともあったが、すべて自力で乗り越えた。「兄貴、困ったことがあったら何でも相談してくれ」と言った。
その元気いっぱいの弟がALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気にかかった。全身の筋肉が衰えていき、言葉もしゃべれなくなる難病だ。1869年にフランスで最初の患者が報告された。新型万能細胞(iPS細胞)の応用も研究されているが、現在もまだ治療法が確立されていない。米大リーグでベーブ・ルースとともにヤンキースの黄金期を支えた鉄人ルー・ゲーリッグがかかったことから米国では「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ばれている。
自宅へ見舞いに行くと、首からゴムひもで腕をつるし、たばこを吸っていた。「まだ死にたくない。もう一度元気になりたい」と言った。入退院を繰り返した。蒲田の店で私が背中を押しながら階段を上っている途中で突然、弟の呼吸が止まった。一緒にいた家族が救急車を呼んだ。救急隊員が心臓マッサージをして一命をとりとめた。そこから1年は地獄だった。意識ははっきりしているのに体はどんどん動かなくなっていく。最後のころは声帯が麻庫し、目で文字盤を追いながら「早く死にたい」と意思表示した。本当に残酷な病気だ。
弟は1991年4月に49歳で亡くなった。あの時、救急車に乗せたのが正しかったのか、私は今も悩んでいる。(大和ハウスエ業会長)」(2012/03/17付「日経新聞」「私の履歴書」より)
このALSという病気のことは、当サイトでも何度か取り上げた。「NHK「こころの時代~難病ALSと闘う日々」を聞く」(ここ)、「NHKスペシャル「命をめぐる対話~暗闇の世界で生きられますか」を観て」(ここ)、「映画「潜水服は蝶の夢を見る」を見て」(ここ)。
人間は必ず死ぬ。しかし何が原因で死ぬかは、自死以外は自分では選べない。誰もが思う通り、痛い、苦しい・・はイヤ。でもALSのような病気はそれ以上にイヤ・・・
でもそれは勝手に自分たちが思うだけ・・・・。何で死ぬかは、神のみぞ知る!?
しかしこの記事の「あの時、救急車に乗せたのが正しかったのか、私は今も悩んでいる。」という一文が重い。
誰かが、何かの番組で言っていた。「倒れたら、救急車を呼ぶのを数分待て!」と。これは植物人間で生き残ることを避けるための知恵。
最近カミさんと話しているが、「いずれお互いが倒れたとき、ホントウに数分待つか?」という議論が難問。本当に軽くて、元の生活に元気で戻れるなら直ぐに救急車を呼んで欲しいし、もし植物人間になるなら、そのまま逝かせて欲しい・・・。しかし“その時”は、パニクってそんな判断はたぶん出来ないだろう・・・。
まだ先さ・・とタカをくくっている現在だが、確実にその時は近付いてくる。でもこの難問、結論を出すのは、もう少し先でもいいよね・・・・(家訓:臭いものには蓋・・・)
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コメント
私の父は、母との二人暮らしをしていて朝起きてきて、食卓についた途端に、う~っと唸りながら倒れて79歳で亡くなりました。
ちょうど子供たちの家、広島、関西、東京を旅行してまもなくの出来事だったのでみんな驚いたものです。
家内が、葬式が終わってしばらくして「理想的な死に方や」と表現したので激怒したものです。
今でも家内のその言葉には許し難いものもあるのですが、反面、親父みたいに死ねないかなと
最近ぼ~っと感じています。
>・・・正しかったのか、私は今も悩んでいる
尊厳死にも関連するようなテーマですね。
下のコメント「同じ音源から」と書きましたのはレコード会社が保有している音という意味です。
【エムズの片割れより】
ウチの親父も、マージャンをしながら脳溢血で亡くなりました。
どちらも、まさに「理想的な死に方」だと思います。
投稿: 小父さん | 2012年3月28日 (水) 00:18
認知症の父は胃瘻でベットに寝たきりになりました。
1年後、意識混濁のまま誰にも看取られず、
看護婦さんが気づいた時には亡くなっていました。
今でも胃瘻の手術は必要だったのか?と思う時があります。
上の方のコメントを読んで、、、
これこそ理想的な死に方だと思いました。
【エムズの片割れより】
結局、生と死の境はどこか? とにかく心臓が動いていれば「生」なのか・・という議論。
自分は、自分の意志が無くなった時点で、「死」だと思うので、胃ろうはしないことにしています。
動物は食べられなくなった時点で死。それが自然の摂理のような気がします。
投稿: モクレン | 2012年3月28日 (水) 20:06