「キレたらおしまい」の哲学
先日の朝日新聞「はたらく気持ち」という記事に、こんな話があった。軽い話だが、さもありなんと思った。曰く・・・
「“キレたらおしまい”の哲学 田中和彦
東京都内のタクシー運転手Nさん(60)は、30枚の千円札と2枚の5千円札を必ずそろえてから車に乗る。これくらい自前で準備しておけば、続けて1万円札を出されてもなんとか対処できるからだ。
先日も同僚が、朝から立て続けの万札攻撃に出くわし、釣りに困った話を聞いた。
駅から若い女性客を乗せ、ワンメーター先のビルの玄関に車をつけた後のことだという。「細かいお金はお持ちじゃないですか?」と尋ねても、「早くして!」と取り付く島もない。「すみません。朝から大きなお札が続いて・・・」とわび、クレジットカードや電子マネーでも大丈夫だと伝えたが、「早く! 遅刻しちゃうよ」。
「じゃあ、コンビニで両替してきますから」と言った途端、いかにも最近の若者らしい口調で、「ありえない!」。ついにキレた同僚は、「もういいよ」と自腹を決め込んだ。すると、その女性は平然と降りながら、「それでもプロなわけ?」という捨てゼリフを残したというのだ。
以前なら、「万札でお釣りありますか?」と、客の方があらかじめ確認して乗ってくれたが、最近の若者にそんなマナーは期待できない。
怒り冷めやらぬ同僚を、「この仕事はキレたらおしまい」といさめたNさん。運転手に転身して10年、がつては医薬品の営業マンだった。
相手のわがままをひたすら聞くのが仕事だった。プライドを捨て、どんな状況にも絶対に耐えてみせると事前に腹をくくれば、意外にキレないで済むことは、この時の経験で学んだ。
そのかいあって、運転手になってからもキレたことはない。ただ1度だけ、キレる寸前まで行ったことはある。
深夜に銀座でクラブのママとその常連客らしき男性を乗せた時のことだ。まず女性から行き先を告げられ、走っていると、「いつもと道順が違う」と責められた。
ひたすら謝ったが、ののしりは30分もやまず、たまりかねたNさんが「今回は、料金は頂きません」と言うと、「お金の問題じゃないのよ」と、火に油を注ぐ結果になった。女性が降りるまで攻撃は続き、「ありがとうございました」の声が震えた。
そのまま残った男性客を運んでいると、「運転手さん、よく耐えたね。あんたすごいよ」と声をかけられた。「今日は客が俺一人。閑古鳥が鳴いて、八つ当たりだよ」と。その男性は何も言えずにすまなかったと、チップを弾んでくれた。
「キレたらおしまい」の哲学が、さらに強固になる経験だったのは言うまでもない。」(2012/02/18付「朝日新聞」b9より)
客商売では、相手を怒らせたら負け。でも考えようによっては、それは一瞬の出来事。幾ら失敗しても、二度と会う事はないかも・・・。それに比べて多くの会社や組織では、周囲の人間関係は長く続く。それだけに、“「キレたらおしまい」の哲学”の重要度は増す。
我々の身近でも、友人と一度ケンカをしたら、次に会ったときに何か気まずく、なかなか元に戻らないことは良く経験すること。それが“キレる”という過激な現象だったら尚更・・・・。たぶん二度と元には戻らない。
若い人は良くキレるという。しかし年配者はそうそうキレない。それが年の功・・・。もし年配者でキレる人が居たら、それこそ周囲から、その人間性をも疑われてしまう。そして、一気にその人への評価が変わってしまう。感情の爆発は、それほど人展関係を冷やす危険性をはらむ。
逆に、上の記事に「運転手さん、よく耐えたね。あんたすごいよ」とあるように、我慢ができる人間への評価は高い。人間的な深みを感じるから・・・。
こんな記事を読みながら、この話は、どんな場面でも、そしてどんな年齢の人でも、常に心しておかなければいけない事だな、と思った。
感情のコントロール・・・。“人間”、つまり人の間で生きて行くための、重たい課題である。
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