光市母子殺害事件、最高裁の上告棄却(死刑)判決に思う
今日の午後3時、最高裁は光市母子殺害事件の裁判で、元少年の上告を棄却する判決を言い渡し、元少年の死刑が確定した。
最高裁が無期の高裁判決を差し戻して、高裁が出した死刑判決だったので、先の死刑判決が覆ることは無いだろう、との思いが強かったが、つい午後3時にNetで探ってしまった。NHK NEWS WEBを見ていたら、15:03に速報「光市母子殺害事件 死刑確定へ 元少年の上告を棄却(15:03)」というテロップが流れ、「らじる☆らじる」のラジオ第一では、15:04に放送中のニュースに割り込んで、上告棄却のニュースが流れた。加えて、これから更生する可能性が無くなったことから実名報道に切り替える、と言っていた。なお、Yahooの速報は15:08だった。
自分がこの事件を最初に強く受け止めたのが、2008年4月22日の死刑判決の時だった(ここ)。
その後、NHKの「ザ・ベストテレビ2008」で見た東海テレビの「光と影 ~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」(これ)や、門田隆将著「なぜ君は絶望と闘えたのか」を読んで(ここ)、死刑制度や弁護士の役割などについて、色々と考えてしまった。
また現役弁護士さんとも議論してしまった。
自分はこの事件に対して、死刑は当然、と考える。それに今回の最高裁判決は、かつて最高裁が無期の高裁判決を破棄して差し戻した経緯から、高裁の死刑判決が覆るはずはないと思い込んでいた。しかし結果は、4人の裁判官の内、3人の多数意見だという。つまり高裁の死刑判決が覆る可能性もゼロではなかったのだ・・・。
毎日新聞によると、
「◇裁判官1人、差し戻し求める異例の反対意見
第1小法廷の横田尤孝裁判官は広島高検検事長として事件に関与したとして審理を回避したため、裁判官4人のうち3人の多数意見。宮川光治裁判官(弁護士出身)は再度の審理差し戻しを求める反対意見を述べた。死刑判断に反対意見が付くのは、無人電車が暴走・脱線し6人が死亡した「三鷹事件」の大法廷判決(55年6月)以来とみられる。
宮川裁判官は「精神的成熟度が18歳を相当程度下回っている場合は死刑回避の事情があるとみるのが相当で、審理を尽くす必要がある」と主張。これに対し金築裁判長は補足意見で「精神的成熟度を判断する客観的基準があるだろうか」と疑問を呈した。【石川淳一】
▽最高検の岩橋義明公判部長の話 少年時の犯行とはいえ社会に大きな衝撃を与えた凶悪な事件であり、死刑判決が是認された最高裁判決は妥当なものと考える。
▽元少年の弁護団の声明 反対意見があるにもかかわらず死刑を言い渡すのは、死刑は全員一致でなければならないとする最高裁の不文律を変更するもので強く非難されなければならない。誤った判決を正すため今後とも最善を尽くす。・・・」(ここより)
この記事を読んで、いかに自分が感情で判断しているかが露呈してしまった・・・。
死刑は、確かに冤罪の時は取り返しが付かない。でも、複数人殺さなければ死刑にならない、というのは何か解せない。永山基準などで4人殺さなければ死刑にならない、というのもヘン・・・。もし自分の家族が理不尽にも殺されたら、それが例え一人であっても、自分は犯人に死刑を望むような気がする。でもこれはまさに感情の問題・・・。
法廷は、法廷に出て来た証拠だけを相手に、法に対してどうかを判断する所だという。そこに感情は不要。でも自分は未熟ゆえ、感情に左右されてしまう。(裁判員に選ばれなく良かった・・・)
まったく視点を変えてみる。仏教ではこう教える。
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む。これは永遠の真理である。」 (「ダンマパダ」-5 中村元訳)(ここ)
この議論は、あまりに理想の議論。到底素人の自分には付いて行けない・・・
それにしても、被害者の夫であり父親である本村さんにとって、この13年は長かっただろうと思う。今日の判決で心機一転、新たな人生を生きてほしいと思うが、それは他人の余計なお世話・・・・。
しかし今日の判決は、本村さんが(NHKの7時のニュースで放送されていた)記者会見で言っていたこの言葉が全て・・・。
「死刑判決に勝者はなく、犯罪が起こった時点で、皆、敗者です。自分の人生を絶たれてしまうような被害者がいなくなることを切に願います」(ここより)。
何よりも、事件を発生させないようにするために、世の中はどう動くべきなのだろう・・・。
(2012/02/21追)
今日の朝日新聞にこんな記述があった。新しい人生を生きる本村さんだ。
「・・・・ただ、事件から10年となる09年ごろから本村さんは講演や取材の対応を控えるようになった。長年の精神的な疲労が蓄積されていたという。「もう一度、人並みの人生を歩みたい」。この年、支えてくれた同僚の女性と再婚した。
「まずは自分と家族が幸せになること。事件のことだけ引きずって生きるのではなく、前を向いて、笑って、自分の生活、人生をしっかり歩いていくことが大事だと思う」。この日の会見で、本村さんはそう話した。・・・」(2012/02/21付「朝日新聞」p39より)
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「光市母子殺害事件」~門田隆将著「なぜ君は絶望と闘えたのか」を読んで
光市母子殺害事件の死刑判決に思う
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コメント
本当に不幸なことですね。
犯人の少年は、どんな環境で育ったのだろうか、そう思いました。
自分のような、ろくでなしが子供を作ったら、その子がどんな人間に育つか責任が持てないから、子供は作らないと言った作家が昔いたことを思い出しました。
その作家は、作家としては国から認められたようですが、世間的には、親の財産で色恋狂いという、ろくでなしだったようです。そして、本当に子供は作らなかったようです。
釈迦は、子供を嫌悪し、王子として仕方なく結婚して作った子供に、厄介者という意味の名前を付けた、という解釈があるようです。子供を持つことによる苦しみを嫌悪した、ということのようです。まあ、それも世間的には普通じゃないですね。
【エムズの片割れより】
先日、NHKラジオ深夜便で、高橋恵子さんの放送があって、孫が生まれたときのことを、“神が与えてくれた宝”というような表現をしていました。
子供の捉え方も色々ですね。でも自分は「宝」だと“思いたい”・・・
投稿: たかはし | 2012年2月21日 (火) 03:23