「社外役員の独立性とはなにか」~人事は好き嫌い?
今朝の日経新聞のコラム「大機小機」は社外役員についての話。曰く・・・
「社外役員の独立性とはなにか
現在進行中の会社法の見直しの中で、社外取締役選任の義務付けが議論されている。昨年9月に発覚した大王製紙元会長の不正行為の際には、大王製紙に社外取締役がいなかったことから、「それ見たことか。義務付けは必要だ」という声が聞こえてきた。
ところが、その後に不正行為が明らかになったオリンパスでは、社外監査役2人に加え社外取締役が3人もいたから「社外取締役がいたって同じじゃないか。義務付けは不要だ」との声も聞こえてきた。最近は、「重要なのは社外取締役の有無ではなく、その独立性だ」という声も有力だ。
取締役や監査役の独立性とは、経営トップに臆せず、役員としての義務を遂行する意思力である。かかる意思力があれば、社内役員でも独立性に不足はない。事実、オリンパスで不正の調査を始めた元社長は、同社グループ勤続数十年の「社内取締役」だった。しかし、役員候補者の内なる意思力はチェックのしようがない。ではどうするか。
独立性を担保する要素を考え、それを有する候補者を独立性ありと推定する方法があり得る。外部から分かりやすい要素は経済力と社会的名声だろう。経営トップの不興を買って再任されなくても生活に困らず、不正を見逃せば失うものが大きいということだ。しかし、例えば「金融資産1億円以上」などという社外役員の条件は社会的に許容されないだろうし、名声を条件とするのはもっと難しい。
結局のところ、「独立性」を法文化するには、「会社からの独立性」を「会社との関係の薄さ」に置き換えて、会社との関係が濃い人を排除する形で定義せざるを得ないようだ。しかし、実態としては、会社との関係が薄い役員=独立性が高い役員というわけではなく、この方法による独立性の追求には限度があることは認識しておきたい。
オリンパスの5人の社外役員に支払われた2011年3月期の報酬は平均1320万円だった。多くの人にとって社外役員の地位は魅力的だ。候補のときは「会社との関係が薄い人」だったとしても、社外役員就任と同時にその地位に依存し独立性を失ってしまう人もいるだろう。
「独立性」の追求が候補者の選択肢を狭め、経営トップにものを言える社外役員を排除する結果になっては元も子もない。独立性重視に異論はないが、形式要件には柔軟性が必要だろう。(腹鼓)」(2012/01/28付「日経新聞」「大機小機」より)
この論は、詰まるところ「取締役であれ、監査役であれ、法人トップに対して、そのトップを含む経営幹部の不正行為などに、物申す事が出来る人は誰か?」である。まさに「経済力と社会的名声」がある人を選任できればよいが、無数にある会社で、それが出来るのはごく少数。ほとんどの会社は、トップから選任されている以上、また給料を貰っている立場から、まず物申す人を選任することは不可能であろう。
昔、現役時代、自分は「1円たりとも金を貰った以上、それはビジネスであり、全ての責任が生じる。しかし0円ならボランティア。その差は計り知れない・・・」とよく部下に言った。それほど有料か無料かの差は大きい。よって、自分の“月に100万円”の報酬を決める権限のある人に、異論を唱える事が出来る人は、まさにいつクビになっても良い、と思っている人に限られる。つまり、そもそも今の制度自身が実効性を無視したものでは?
同じ今朝の日経新聞に、オリンパスの内部通報制度の記事があった。曰く・・・
「オリンパスに人権侵害で警告 内部通報で東京弁護士会
社内のコンプライアンス(法令順守)窓口に上司の行為を通報したため配置転換などの報復を受けたとして、オリンパス社員、浜田正晴さん(51)が東京弁護士会に人権救済を申し立てたことを受け、同弁護土合は27日、「重大な人権侵害に当たる」として同社に警告したと発表した。
同弁護士会は「通報の事実が上司に伝わったこと自体が重大な人権侵害に当たり、その後の配置転換や低い人事評価も不当だ」と指摘した。」(2012/01/28付「日経新聞」p39より)
この話もだいぶん前から報道されている。まさにバッカみたい話だが、世の中では意外と多く存在する話ではないか?
誰が考えても、この制度が有効なのは、通報先が社外の(秘匿義務のある)弁護士などの場合に限られる。経費などの関係で、よく総務部長などが通報先になる場合があるが、部長さんも人の子。相談した社長から「通報したのは誰だ?」と聞かれたとき、通報者の秘密を守る事は難しい。
よって、通報する人は、「言えば全部バレル」事を前提に通報する事になり、だれも言わない。つまりは、社内通報制度など、形だけで全く機能しない。
考えようによっては、先のオリンパスの通報は、ある意味、上司に対する“クーデター”。よってクーデターをされた人が、それを知った以上、それを引き起こした人間を死刑にするのは当然。クーデターを起こされた人が「オレが悪かった」と言うことは、まずあり得ない。
「人事は好き嫌い」。これは自分の40年余のサラリーマン生活で得た悟り(?)。もちろん“業績向上のための・・”と、表面では言う。しかし、所詮人間は感情の動物。幾ら“純粋に判断して・・・”と自分に誓ってみても、結局は自分の好き嫌いが判断を曇らせる。これは極端な言い方ではあるものの、リタイア間近になった自分を振り返り、つくづくそう思う・・・。
社外取締役の話に戻るが、結局は「外部からの牽制機能を必要としない人間をトップに“選任”する」しか方法がないように思うが・・・。しかし人事は好き嫌い・・・、か・・・・。
つまり解は無い・・・と言うことかも。
●メモ:カウント~255万
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