「ごみ収集にもチップ」@ブリュッセル
他愛のない話題だが、年末の朝日新聞「世界を歩いて~特派員メモ2011下」にこんな話があった。
「@ブリュッセル ごみ収集にもチップ
クリスマスも近くなった頃、自宅の呼び鈴が鳴った。ドアの前の見知らぬ男の手には、市の粗大ごみ収集のパンフレットがある。「粗大ごみはありませんよ」と言ったが、帰ってくれない。
男は、懐から数枚のお札を取り出して見せた。「いつもこの地域のごみを運んでいるお礼にチップを」ということらしい。面倒なので5ユーロ(約500円)札を手渡した。
翌日、別の男が同じパンフレットを持って訪ねてきた。「きのう払った」と言うと、「そいつは白い袋(可燃ごみ)で、俺は青色(リサイクルごみ)と黄色(紙ごみ)の担当だ」。あきれたが、そこまでして欲しいならどうぞと、また5ユーロ札を手渡した。
地元の人に聞くと、この時期の恒例で、いつも払うのだという。「払わなかったとき、うちのごみだけ集めてもらえなかったことがある。そのうち消防士も来るよ」
寄付が社会に根付く証しなのだろう。だが、行政サービスにまで、当然とばかりにチップを求められるのは、どうも釈然としない。消費税を21%も取っているのだから、その範囲でやってくれないか。とはいえ、チップをけちって万一の救急や火事で手抜きをされてはかなわない。消防士が来たら、いくら払おうか思案中だ。(野島淳)」(2011/12/30付「朝日新聞」p9より)
日本人にとって、チップの風習はどうも馴染めない。海外に行って、まずガイドさんに聞くのが、チップは幾らくらい包めば良いのか・・・だ。自分が初めて海外出張をしたとき、海外出張のベテランに教わったのが「ベルボーイなどは、チップが前提で給料が決まっている」ということ。よって彼らにとっては、チップは決して付録ではなく、主要な収入なのだ。
だからと言って、チップ文化のない日本人は、いつまで経っても釈然としない・・。
建前的には、チップは“お礼”であり“感謝の印”。しかし現実は義務。上の記事のように、チップをケチってイジワルされるのも困るし・・・。
日本の場合は、“明快に”とばかりに、レストランなどで“サービス料10%”ナンテいうのもある。いつも“そんなにサービスされていないのに・・”とも思う。
もちろん「郷に入れば郷に従え」が原則だが、それにしても“日本は良い国”だ・・・・
ふと、タマに掛かってくるセールスの電話のことを思い出した。我が家は番号を電話帳に載せていないこともあって、セールスの電話は少ない。それでも自分は、“面倒!”とばかりに無愛想な対応をするのだが、よくカミさんに叱られる。
「相手も商売。もしそれが自分の子どもだったら・・・と思って、もう少し丁寧に対応したら?」という。確かに、カミさんはエライ。自分も、一瞬我慢して紳士的に対応すれば、例え断るにせよ、悪い余韻は残さない。しかし不愉快を撒き散らしながら対応すれば、相手も不愉快になるだけでなく、自分も不愉快。
これも“悟り”の話なのかも・・・
「損して得取れ」という諺もある。こんな話題を読みながら、「もし自分だったら・・・」とドキッとして、回りを見回しながら(自分の本性を気取られないように)読んだ記事ではあった。
*ついでにブリュッセルという場所。ベルギーはオランダ、ドイツ、フランス、ルクセンブルクに囲まれた国だが、彼(か)のルクセンブルクと同じように、自分にとっては印象が薄い。「ブリュッセルってどこにあるの?」と聞かれても???
こんな小国も含めて、一度世界旅行をしたら印象が強くなっただろうが、もうその元気もカネも無い・・・・。そのうちNHK「世界ふれあい街歩き」(ここ)で、擬似旅行でもしよう。
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