親戚付き合いに思う~ある寒中見舞いから
広辞苑で調べてみた。
「親戚=親族と縁類。親類。」「親類=血族および姻族の総称。親戚。親族。」「親族=〔法〕民法上、六親等内の血族、配偶者および三親等内の姻族をいう。」 そしてNetでは、「日本の民法は、6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族を「親族」として定める(民法第725条)」
法律で定めている親族の範囲は結構広い。(写真はクリックで拡大)
昔、まだ生きていた親父の記憶により、我が家の家系図を作った事がある。1992年頃のことだった(ここ)。もちろん、この法の定める範囲は、到底網羅出来ていない。つまりは、法の定める親戚は、範囲が広過ぎる・・・。
さて本題だが、昨日、ある親戚から一通の寒中見舞いのハガキが届いた。そこには印刷された字でこんな文面が書かれていた。
「寒中お見舞い申し上げます。
昨年孫が小学校に入学しました。
又昨年一月妻***が脳出血で倒れました。
第二の人生を明るくなるべく自由にシンプルに
生きていこうと二人で話し合いました。
盆、暮れの挨拶。我が家の新年の挨拶はこれを最後とさせていただきます。
よろしくお願いいたします。」
つまりは、今までの親戚付き合いを終了したい、ということらしい。それを読んだカミさんは、良く分かるという・・・・
この親戚は、自分の従姉妹。脳出血で倒れたのは、58才になる従姉妹なのである。ハガキには、その夫と孫の男の子の二人の写真が写っていた。もちろん病気の従姉妹は写っていない。
昨年は、我が**家はボロボロだった。義姉や伯母が亡くなったりして。(狭い意味での我が家は安泰だったが)それと同時に、ハガキをくれた従姉妹の家もボロボロ。昨年1月に倒れたとき、半年入院していたという。詳しくは分からないが、半年という入院期間からして、病状は相当に重いと思われる。よって、家庭でそのような重い事実を背負って、従来の親戚付き合いは無理、そこまで気が回らない・・・、と判断されたようだ。良く分かる。
ところで、親戚付き合いとは何か? この家との付き合いは、年賀状のやりとりと、法事で顔を合わせる以外は、接点はなかった。よって残るのは年賀状くらい・・・。(兄貴や亡くなった親父とは一緒にゴルフなどをしていたようだが・・・)
まさに時間は流れている。ふと思い出したことがある。2007年の元日に、家族4人で茨城の田舎に帰った。その帰り道、夜だったが千葉の香取神宮に寄ることになり、その車の中でのこと・・・。九州にいる下の息子が言った。「毎年、何かあるかも知れない、と言って家族全員で田舎に行くが、毎年も、何も無いではないか・・・」。それに自分が答えた。「毎年みんな一緒に写真を撮っているが、何も変化が無いのはありがたいこと・・・」
結局、4人で田舎に帰ったのはそれが最後になった。そして昨年、激変した。伯母を含めて10人で写真を撮ったうち、2人が亡くなり、2人が病気で倒れた。元気なのは我が家の4人と弟夫婦だけ。時間の流れは、平穏な生活を変えていく。
昨日のハガキはそれを如実に物語っている。
最初の話に戻るが、所詮親戚と言っても、お互いの付き合いの程度による。幾ら血縁が近くても、日頃没交渉では真の親戚関係とは言えないし、逆に血縁が遠くても、親しい付き合いもある。結局は、人と人との“縁”が全てなのだろう。
お互い、トシと共に減って行く色々な付き合い。今の人は、“親戚付き合いは煩わしい・・”という話も聞くが、結局最後に(死の直前まで)残るのは親族しかいない。確かに煩わしさもある。しかしそれを乗り越えた親しい親族は、何よりもありがたい事もある。
Rev UPした家系図を眺めながら、改めて親戚を見渡す年の初めである。
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コメント
こんにちは。
>結局最後に(死の直前まで)残るのは親族しかいない。確かに煩わしさもある。
>しかしそれを乗り越えた親しい親族は、何よりもありがたい事もある。
私ごとですみませんが、思いを書かせて下さい。
数年前、実父が肺癌を患い、手術を受けました。
その日、親戚や友人が集まってくれて、手術が終わるまで病院に
いてくれました。
平日でしたので、仕事を休んで来てくれた親戚に「恐縮です。」と
お礼を言うと、「親戚だから」と返してくれました。
私、昭和34年生まれですが、実家から離れて暮らしており、
日頃から、親戚づきあいをほとんどしておりません。
不幸が有ったり、法事で出かける程度でした。
「親戚だから」という言葉に、この年になってやっとその重さに気付かされました。
そして、私もそうあらねばと思ったことでした。
田舎の実家では、近所の方々から旬の野菜を頂き、
それを母は漬物にしてお返ししたり、
盆暮れの「仁義(父母はそう呼びます)」の品のやり取り、
日々のお裾分け等、昔のままです。
反面、マンション暮らしの私は、深夜まで仕事して、
お隣の「ご不幸」にも気付かない暮らしぶりです。
何かのきっかけで、実家に戻って暮らすことになっても、
父母の様な仁義お付き合いは、私にはできないだろうと
思います。お邪魔しました。
先般聞かせて頂いた、深夜便の「明日へのことば」のテーマ音楽、
奥行と柔らかい音でとても耳当たりが良く(表現が乏しいですが)、
全く違ったソースの音色でした。
【エムズの片割れより】
友人付き合いと、近所付き合い、そして親戚付き合い。それぞれ意味合いが違うのでしょうね。親戚付き合いは、血のつながり。それだけに選択の余地がない・・
自分も振り返ってみると、一番損得無しに話が出来るのは、叔父と叔母の二人しか居ない事に気付きました。“親戚のベース”の上で、どう付き合うかですね。決して親戚だからといって、一律ではありませんよね。
褒めて頂いたFM放送の音は、L-02Tという歴代最高と言われているFMチューナーの音です。
投稿: CITROEN GS | 2012年1月14日 (土) 19:54