「優しい心は貧乏神を福の神に変える」
今日は、ちょっとファンタスティックな世界に・・・・
雑誌「大法輪」の今月号(2012年1月号)に、こんな話が載っていた。曰く・・・
「優しい心は貧乏神を福の神に変える
このような七福神信仰に代表される「幸」「福」を求める信仰は、自分の幸せばかりを求めるのではなく、弱者(貧乏神)に対する心遣いを日本人の心の中に育むという面もあったのです。
東北地方には、次のようなお話が語り継がれています。
昔、ある村に働いても働いてもなかなか貧しさから抜け出せない男がいました。貧乏だけど真面目。それを見込んで村の人がお嫁さんを世話してくれました。家の中は急に明るくなり、男は毎日楽しく以前に増して働きました。
大みそか、天井裏で薄汚い爺さまがオイオイ泣いています。「お前は誰だ」。すると爺さまは、「私はこの家に住む貧乏神。夫婦でよく働くのでだんだん住みづらくなり、今夜この家を出なければならなくなった。明日には福の神が新しく就任する。わしゃ行くところがないのじゃ……」。夫婦はかわいそうになり、ここにいてもかまわないと言うと、貧乏神は今度はうれし泣きをしました。
やがてお寺の鐘がなり、新しい福の神がやってきました。「さあさあ、交代じゃ」。そう言うと貧乏神をつまみ上げ、外に出そうとします。貧乏神は力の限り抵抗し、見ていた夫婦は「貧乏神負けるな」と応援するものですから、福の神は驚いておたおた。とうとう夫婦は貧乏神と一緒になって福の神を追い出してしまいました。
夜が明け、お正月。少しのお餅とお酒で貧乏神も一緒に祝いました。その後、夫婦は金持ちにはなれませんでしたが、健康で明るく、じゅうぶん幸せな日々を過ごしました。つまり「幸」「福」は得たのです。貧乏神もあいかわらず天井裏に住んで二人を見守りました。
貧乏神さえ福の神にしてしまう素敵な夫婦です。思わず笑いたくなるお話ですね。
「笑う門には福来る」。明るい笑いの中に福の神、七福神はいるのですね。」(雑誌「大法輪」2012年1月号p32より)
この話は、若い人には理解出来ないかも・・? しかし我々シルバー世代になると、実に納得出来る話。
自分も現役時代は、あらゆる場面で上ばかり見ていた。収入も地位も、上限無く上を求めていた。しかし一歩、現役から退いてみると、その何と空虚なことか・・・
お金も、日常生活が困らなければ、それ以上はそれほど必要ではない。宝くじにでも当たったら、それこそ、かえって生活のペースが乱されるだけ!?(←もちろん負け惜しみも入っているが・・・・)
地位も、男の名誉欲以外、何者でもない。同期の連中も、定年を過ぎて全員が肩書きを失ってみると、何とその爽やかなことか・・・
そんな男が、後生大事に大切にしてきたものよりも、ずっと大切なことが他にあることを、この民話は教えてくれる。
つまり、この物語のように「その後、夫婦は金持ちにはなれませんでしたが、健康で明るく、じゅうぶん幸せな日々を過ごしました。つまり「幸」「福」は得たのです。」という、何事もない“普通の生活”が“まぶしい”。
この事は、先の震災や原発事故を思い浮かべても、納得できる。つまらない毎日の繰り返しが、何と幸せなことか・・・・
もちろん周囲に事件が起こらない生活など、有り得ないが、せめてそれを最小にする方法がもしあれば知りたいもの・・・。
そろそろ2011年も終わるが、“事件ばかりだった”今年を振り返り、平穏な生活がいかに大切なものか、身に沁みる年の瀬ではある。
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コメント
幸福の秘訣は何ですかと聞かれた老夫婦が、それは貧乏ということだね、と微笑して答えたのを以前にテレビで見たことがあります。そのときは涙が出ました。
投稿: たかはし | 2011年12月17日 (土) 07:21
年の瀬に本当に良いお話をいただきました。
読ませていただきながら、深く考えは及びませんが、訳も無く泪してしまいました。
今年一年ありがとうございました。
【エムズの片割れより】
トシとともに、自分も段々と欲が無くなっていくようで・・。でも悪くはないですよね。
投稿: 冬野 道 | 2011年12月17日 (土) 11:55