母は夜叉のごとき菩薩~さだまさしの話
今日、NHKラジオ深夜便の「母を語る~シンガーソングライター・作家 さだまさし」 (2011/12/20放送)を聞いていたら、さだまさしがこんな話をしていた。
「母は夜叉のごとき菩薩。母というものはあくまでも菩薩。どこまで行っても子供にとっては母は菩薩。ただし、子供を育てる母親は、菩薩だけではいられない。子供が間違っている時には、子供を叱りつける。これは子供のため。この子がバイオリンで身を立てるには、こんなところでつまずいているわけにはかない、という思いが母を鬼にする。まさに夜叉と菩薩が同居しているのが、本当の意味での母親だと思う。」
「夜叉の一面と菩薩の一面は紙一重。上手に叱るのは難しい。叱る人をどれほど愛しているかで浸み方が違う。愛されているという信頼があったから夜叉である母に対して愛情が揺るがなかった」
<「母を語る」より~さだまさし>
母親を菩薩にたとえるのは分かるとしても、夜叉にたとえるとは、少々物騒・・。でもこの話は良く分かる。しかし、夜叉になり得る母親は、今の世の中、どれくらい居るのだろう・・・。
子どもに対して、親が弱くなったと言われて久しい。そして少子高齢化が進む日本。それだけに子供は宝・・・
その子供に対して、この“さださん”の話を聞くまでもなく、母親の影響力は絶大。(だから(?)NHKに「母を語る」というコーナーはあっても、「父を語る」というコーナーはない??)
・・・という事は、子供⇒大人⇒人間社会は母親が作っている!? 社会は(人間を作る)母親次第??
確かに人間(形成)にとって、母親の存在の重みは父親の比ではない。それは認めざるを得ない。
こんな話を聞きながら、社会における母親の重み(子供に対する影響力を通して・・)を再認識しているこの頃である。
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コメント
このごろ、思うのですが、世に女性の優秀な人が非常に増えてきたとは思うのですが、まさに、21世紀は女性の世紀と思えるほどになってきたのですが、何故にその優秀な女性の母親が優秀な男子を育てられないと言う現実があります。優秀な女性は夜叉と菩薩の両面を持つ母親にはなれないのかな?と思ってしまいます。恐らく夜叉と菩薩の両面を持てる母親は単なる優秀ではない、もっと別な要素をもっているのでしょう。愛情と言う言葉だけでは表現できない自分の子供を自分の分身として感じられる感情なのでしょう。
【エムズの片割れより】
たぶんそうですね。
「優秀」という定義ですが、何をもって優秀と言うか・・・。学校の成績?ビジネスの才能?・・・
人間を作る(子供を育てる)女性の優秀さは、たぶん生物としての優秀さかも。それは、自分の子供を“人間として”見られる“客観的な愛情”・・かな?? 盲目的な自己本位な愛情では無くて・・・。
投稿: 中野勝 | 2011年12月30日 (金) 13:46