「定年後やる事がありません」と、細川護熙氏の話
だいぶん前の新聞記事だが、「悩みのるつぼ」という人生相談のコーナーに「定年後やる事がありません」という相談が載っていた。またまた長い話で恐縮だが、当サイトのコンセプトに直結(?)しているので、じっくりと読んでみよう。曰く・・
「定年後やる事がありません
~相談者 会社員 59歳
私は59歳の男性です。
来年の3月に定年を迎えます。いままで38年間、働いてきました。子供たちはみんな家を出て、いまは妻と2人で暮らしています。
私の悩みというのは、来年定年になったら、それから先の人生で、「何もすることがない」
ということです。
会社の先輩の中には、家庭菜園にいそしんだり、魚釣りを楽しんだりしている人もいますが、私にはそういう趣味はありません。
また、それ以前に、いくら好きなことであっても、3日も続ければ飽きてしまうのではないか、と思っています。
どうしたらいいか、書店で「定年後の生き方」といったハウツー本を数冊買って、読んでみましたが、あまり参考にはなりませんでした。
このままだと、定年後は無為徒食の日々を送り、いずれ死んでいくことになりそうです。そうなると、なにか結局、つまらない人生を送ってしまったようで悔いを残しそうです。
今のところ、生活費は退職金、預貯金、年金などでなんとかやっていけると思います。
「ぜいたくな悩み」と笑われるかもしれませんが、周りに同じような悩みを持っている人がたくさんおります。
平均寿命まで十数年もあります。どうかよいアドバイスをお願いいたします。」
「すること」より人間関係の問題
経済学者 金子勝
定年まであと半年。会社を辞めた後にすることが思いつかないという悩みは、日本のサラリーマンによくある悩みかもしれません。
少なくともひと頃前までは一つの会社に長く勤めるのが当たり前でした。そのために、会社での仕事が人生の大半を占め、仕事を通した人間関係以外になくなってしまいます。
井伏鱒二の「山椒魚」という小説があります。山椒魚は 「まる二年の間」自分が発育しているのを忘れていたために、彼の棲家である「岩屋」の外に出てみようとしても「頭が出口につかえて外に出ること」ができなくなり、悲しみに暮れます。
あなたも、会社で一生懸命働き、気づいたら外で何をしていいか分からず、会社という「岩屋」の外に出るに出られなくなっています。
話は続きます。山椒魚は、岩屋にまぎれこんできた一匹の蛙を閉じ込めてしまいます。互いに「お前は莫迦(ばか)だ」とののしり合う毎日。お互いに弱みを見せまいと「自分の歎息が相手に聞こえないように」注意します。ところが、二年もそうして過ごしているうちに、蛙は不注意にも歎息をもらしてしまいます。
山椒魚は「友情を瞳にこめて」蛙に「降りて来てもよろしい」と呼びかけますが、蛙は「空腹で動けない」「もう駄目なようだ」と言います。山椒魚は「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか?」と尋ねると、蛙は「今でもべつにお前のことをおこっていないんだ」と答えます。
山椒魚と蛙のように、互いにぶつかり合う人間関係が友情を生みます。あなたにとっての問題は、実は定年後に「することがない」ことにあるのではなく、会社を定年すると終わってしまう、表面的な人間関係しかないことにあるのではないでしょうか。
といって、会社以外でいきなり新しい人間関係を作れと言っても難しいでしょう。会社の同期や先輩、あるいは学校の同窓生でもいいですから、じっくりと話してみてはいかがでしょうか。
そこでは、もう会社も地位も関係ありません。同じような人生を歩んできた人間同士です。山椒魚が最後につぶやいたように「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか?」と問いかけてみるのです。同じ境遇にある人の人生と謙虚に向き合うことで、新たな人間関係の広がりや、することが見えてくるかもしれません。(2011/10/22付「朝日新聞」「悩みのるつぼ」より」
話は変わるが、先日、NHKラジオ深夜便で「天野祐吉の隠居大学」(2011/10/31)を聞いた。ゲストは、彼の細川護熙氏。
60歳還暦とともに政界を引退し、伊豆で陶芸家としての生活をしていることは有名。自分もテレビなどで何度か見た。その細川氏の話が面白かった。
「伊豆に引っ込んで、晴耕雨読を始めたが、白洲正子さんの娘婿の陶芸の展覧会の誘いがあり、それを見て、楽しそうなので始めた。それから陶芸家の所に1年半修行に入り、何とか出来るようになった。それが横に広がって油絵も・・・。そして書の展覧会、絵の展覧会も開催・・・。畑仕事も好き。
古いレコードも聴いている。昔のLPは味がある。音は柔らかいし、それを好んで聴いている。音楽会に行くよりも、ひとりでレコードを聴いている方がずっと良い。ロクロを回している時や絵を描いている時はCDだが、ひとりで静かに聴きたい時はレコードが良い。
食べる方は、原則一日2食。食べ過ぎが万病の元だと思っているので、腹6分目で2食にしている。自分で玄米のパンを作り、発芽玄米を炊き、自分でジャコとかナッツを入れた振りかけを作っている。その振りかけとおにぎりで事足りる。食事には気をつける方・・・
つまり陶芸家の他に、レコードオタクと健康オタク・・・・!?」
なるほど・・・・。確かにテレビではクワを持って畑を耕していたし、周りに人もいなかった・・。みな自分でやっているよう・・・
この話で分かったことは、何でも自分でやれば、定年後は“やることだらけ・・・”。結局、自分で何をするか・・・だ。
現役の時に、カミさんにやってもらっていた事をそのままにして、自分だけの時間を考えるから、することがないと言う。何でも自分でやってみれば、時間は不足することはあっても余ることはない。
(・・・おっと、ヤバイぞ。これではいつもカミさんに言われていること、そのものではないか・・・。100%それが出来ない自分・・・。言い訳をしておかなければ・・・・)
えーと、原理的には分かっていても、現実はそう甘くはないのであ~る。アタマで分かっている事が、何でも実行できたら、ギリシャ問題だって簡単に解決できる。
原理は原理。現実は現実なのさ・・・。(←言い訳の理屈が足りないな・・・・。後で書き加えます)
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コメント
ご無沙汰しました。私の場合は参考にならないかもしれません。定年後こそ、我が人生と思って、準備していましたが、60歳の定年を迎えてすぐに、心筋梗塞で再起不能と思いましたが、リハビリと心臓の手術で、回復して来ました。これに6年かかりました。来年から本格稼働したいと考えています。来年からの準備でわくわくしています。死ぬまで自由にやりたいことを3年間毎に区切って、テーマを設けて、計画的にやってみようと思っています。先ず来年は学生時代の気の合った友人達を誘って、井戸端会議ならぬ月一会議をやろうと企画しています。10人10色、いろいろな意見が聞ける事を楽しみにしています。地域で男性コーラスを立ち上げたいと思っています。15年続けてきた蛍の復元運動を更に拡大しようとしています。東日本の復興に何か役に立たないか、現地に行って考えてもみたいと思っています。そして、長年仏教の研究をしてきましたが、サンスクリットも何とか学びたい気持が強くなってきています。などなどまだやりたいことは山ほどありそうです。要するにやってみれば良いわけで、それからやめたくなればやめればよろしい。やる前からやめることを考える必要はありませんね。
【エムズの片割れより】
それだけやることがあれば、簡単には死にませんね。たぶん閻魔大王から追い返されるのでは?
やろうという意志が、健康を保つ秘訣かも・・。自分も何とか意欲的に生きるように見習います。
投稿: 中野 勝 | 2011年11月 6日 (日) 19:21