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2011年11月10日 (木)

「常に観察すべき五つの真理」(3/6)~「死」

前回(ここ)に引き続き、日本テーラワーダ仏教教会から出ている「常に観察すべき五つの真理」という冊子を読んで行こう。

常に観察すべき五つの真理
     アルボムッレ・スマナサーラ長老
・・・・

「私は死ぬものであり、死という性質を乗り越えていない。このことを女性も男性も在家も出家も常に観察すべきである。」

 「生きる」ということが病気と老いでできているなら、最終的には身体は壊れるに決まっています。それなのに、私たちは妄想の中で生きていますから、私たちの人生プログラムはいつでも「私は死なない」という前提でつくられているのです。
 たとえば、都会に住む40代から50代ぐらいの夫婦が、退職後は富士山が見える空気がきれいなところに土地を買い、家を建ててのんびり暮らそうと、今からいろんな計画を立てているとしましょう。一見「ちゃんと老後のことを考えて、しっかりしている」と見えるかもしれませんが、これは「私は死なない」という前提でたてられている無知な計画なのです。また、来年の夏は何をしようか、お正月はどこへ行こうかなどといった将来の計画はすべて、「私は死なない」という無知でつくられているのです。
 お分かりになりますか? 私たちの計画や企画、希望、願望のすべては、「私は死なない」という前提に基づいてできています。いかに私たちは嘘の世界で生きているかということがお分かりになるでしょう。
 そこで「死は私の本質である」と常に観察するようにしてください。この思考をしっかり心に入れておき、その路線で生きてみるのです。そうやっていると、心は落ち着いて穏やかになり、常に平静でいられるでしょう。」(日本テーラワーダ仏教教会「常に観察すべき五つの真理」より)

この指摘は、100%自分にあてはまる。残念ながら、まさに自分のことだ。
人生は有限である・・。その通り。よって日々充実した生活を送らねば・・・!? その通り。
しかしやはり「自分は死なない」という概念から脱することは難しい。世の中の人が全部死んだとしても、それでもなお“自分だけは生き残っている”ような気になってしまう・・・
これって独善?

今年は我が家にとってあまり良くない年・・。10年以上平穏だったのに、今年になってから近親者が亡くなったり、大きな病気を発病したり、良くないことが続いている。
ふと、今年亡くなった方は?・・・とWIKIの訃報コーナーを覗いてみると、たくさんの名前が並んでいる。その中から、自分が少しでも知っていて、顔が浮かぶ人をピックアップしてみると・・・

1月5日 - 山下敬二郎、1月14日 - 和田勉、1月14日 - 細川俊之、2月14日 - 和田寿郎、2月28日 - 与那嶺要、4月21日 - 田中好子、4月23日 - 大賀典雄、5月9日 - 岡田茂、5月16日 - 児玉清、5月18日 - 佐藤孝行、5月21日 - 長門裕之、6月23日 - ピーター・フォーク、7月12日 - 宮尾すすむ、7月26日 - 小松左京、8月5日 - 前田武彦、8月10日 - 日吉ミミ、8月15日 - 正力亨、8月16日 - 二葉あき子、8月21日 - 竹脇無我、9月21日 - 杉浦直樹、9月23日 - 五十嵐喜芳、9月24日 - 山内賢、10月5日 - スティーブ・ジョブズ、10月24日 - 北杜夫、11月7日 - 隆の里俊英・・・・

それにしてもNetで検索すると、知りたいことが何でも出てくる・・。いつも思うが、いやはや大変な世の中になったものだ。
でもこのWIKIの訃報のコーナーは、ほとんどが自分の知らない人ばかり・・・・。それだけ世界(現世)が広いという事であり、自分が疎いという事・・・。
つまり、こんなに知らない人が多いということは、自分は“もっと長生き”して、それらの知らない人の世界を知らねばならぬ・・!?
よって死んでいるヒマは無いのであ~る。つまり「自分だけは死なない」のは正しいのであ~る。(←これを「無明(=無知)」という・・。トホホ・・・)

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コメント

私達は誕生直後より死に向かって行進していますが、残念ながらその自覚がありません。死が不幸な事ならば人生の幸福とは何なのだろうか、と思うこの頃です。

【エムズの片割れより】
確かにそうですね。生まれた瞬間から、死という不幸を目指して歩み始める!?
でも死を「幸福な状態」と捉えることも出来ませんし・・・・。

投稿: メメント・モリ | 2011年11月10日 (木) 23:35

人は、生き残ろうという本能を、欲を持っている、ということですよね。

それは生き物に共通ですよね。

そして人間は、高度な知能を得て、自分がいつか死ぬ存在であることが自覚できるようになった。

そこで本能と知能の葛藤が生まれ、それが、人間特有の新たな苦しみとなった、ということだと思います。

その苦しみへの対処法として人は高度な知能を使って宗教というものを考案した、ということだと思います。

でも、その知能は、まだまだ不完全だから、いろいろと問題を引き起こすが、釈尊は、それを完全に解決したということだと思います。

でも、釈尊の手法は、極めて難しい、ということですよね。本能の力は強大ですよね。

私もテーラワーダを学んでいます。

初期経典を読むと、欲に束縛されて苦しんでいる心が解放されるような気分になります。

【エムズの片割れより】
ウーン・・・・・

投稿: たかはし | 2011年11月11日 (金) 07:11

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