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2011年11月 8日 (火)

「自分の“ものさし”」~「よっぽどの縁があってのあなたと私」(1/3)

雑誌「大法輪」の今月号(2011年12月号)に、「よっぽどの縁があってのあなたと私」という記事があった。なかなか面白いので、長文だが3回に亘って読んで行こう。

よっぽどの縁があってのあなたと私(1/3)
           奈良・薬師寺執事 大谷徹奘
■自分の「ものさし」
   どんなに愛している人であれ、
   血がつながっている家族であれ、
   共に同じ夢に向かって歩いている人であれ、
   人間は、それぞれが持っている価値観が異なる。
   だから人と人はぶつかることは避けられない。

 これが、私がながい間求めてきた、「人と人はどうしたらぶつからないのか」という問いに対する答えだった。
 薬師寺で、十七歳から修行をさせていただいて三十余年、自分自身も来年の正月で数え五十歳となる今、人間の幸せは間違いなく、家族や友人と楽しく食事をし、共に仲良く学び、共に仲良く仕事をすることだと確信している。そんなことは万人が知っていることであるが、それを実現している人は意外と少ないと思う。
 そこで、人間の価値観について少し考えてみたい。
 人間の価値観は、その人の経験によってその多くが形成されており、その経験の蓄積からその人の言葉や、行動が出てくるのだ。
 私は、その価値観を「ものさし」と呼んでいる。そのものさしを、「ものさし」という枠でくくれば、すべての人を一つの輪の中に入れる事が出来るのだが、よくよく見ると、そのものさしについている目盛りの幅は、その人の歩いて来た人生の道によって全員違うのだ。
 私達は自分のものさしが万能であると信じて、全てを決めるのであるが、そのものさし、実は他の人とは目盛りのつき方が違う。自分だけが他人と違うのではなく、全員が違う目盛りを持っているのだ。百人いれば百の目盛りが、千人いれば千の目盛りがある。まさに、目盛りの付き方は千差万別だ。その目盛りの幅が近い人とは仲良くなり、その目盛りの幅が極端に違う人とは不仲となる。
 私は三十代の頃、引きこもりをはじめとする、自分の殻の中に閉じこもっている子供達と数多く接してきた。その付き合いの中で、引きこもりには引きこもりの論理というものがあるということに気付いた。彼らはすぐに「オレを理解しないお前が悪い」と言うのである。そして、これをものさしに置き換えると、自分のものさしは正しいが、お前のものさしは間違っている、となる。そして、この自分のものさしだけを振り回した結果、彼らは孤立し、寂しい時を過ごさねばならなくなったのだ。
 読者の方も、ちょっと考えてみてほしい。四、五人のグループで、その中の一人がいつも自分の意見だけを強く主張し、その意見が通らねばゴネるという状態であったらどうであろう。大人だから一度や二度は我慢するだろうが、それが毎回となったらそうはいかない。たぶんその人に声をかけなくなるか、自分がそのグループから抜けるということになるのではないだろうか。私だったら、きっとそうするであろうし、これまでもそうして来た。
 でも何故に、私達は人のものさしを受け入れるのが“ヘタ”なのだろう。そのことを考えている内に一つの答えが出てきた。それは、私達が「自分のものさしは○、その他のものさしは×」というスタンスを無意識にとっているからではないのであろうか。自分自身の人生を振り返って見ても、まさに自分は常に○だが、相手は×であると決めつけて生きて来たような気がする。」(雑誌「大法輪」(2011年21月号p23より)

この「ものさし」と「目盛り」の話は、実に分かり易い。その通りだと思う。
自分は○、自分の意見に従わないのは×・・・。その通りだな・・・

時たま夢を見る。苦手な上司、苦手な同僚と一緒に仕事をする夢・・・。フト目覚めると、「ああ、苦手なあの人と、一緒の仕事でなくて良かった・・」とホッとしたりする。
「四苦八苦」(ここ)の“八苦”のひとつに「怨憎会苦(おんぞうえく)~うらみや憎しみをもった相手と付き合う苦しみ」がある。
ブッダの昔から、それは永遠の課題。しかし、特に現役サラリーマンは、それらの感情を押しつぶして社業に励む。その結果、うつ病を発したりもする。
その点、リタイアサラリーマンは素晴らしい。昔の社業での苦手な人と距離を置くことが出来るから・・・。それは、仕事の関係がもう無いので当たり前だ。よってそれによるストレスも無い・・・

でも、先の引きこもりの子供達の話ではないが、苦手な人ともキチンと付き合う。それが社会人であり、社会性というもの。それらは、一生の内で、誰もが必ず乗り越えてきた課題・・・。シルバー族の今の“ラッキー”は、自分の意志で、それらから距離を置けること。それはシルバー世代の特権であり、今までしてきたガマンのご褒美!?

しかしこのトシにもなると、“あいつは苦手なので近寄らない”という言葉・スタンスが、段々と自分という人間が狭くなって行くような気がして、何か心が重苦しい。
やはり人間の理想は、“相手の目盛りに合わせる”ことが出来る度量が必要かな・・・とも思うこの頃である。

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