大滝秀治のラジオドラマ『空也上人がいた』
先日、毎月送られてくる雑誌「大法輪」11月号を読んでいたら、こんな一文が目に止まった。
「介護施設の青年を想う
清水眞砂子(翻訳家・児童文学者)
小さな出来事が気になっている。二十六歳の介護士の青年が九十三歳の老人に六十度Cの湯をかけて火傷させ、十一日後死に至らしめた、と報じられた事件である。老人は排泄に難があり、その夜明け青年は老人を浴室に連れていって、からだを洗ってやろうとしたが、激しい抵抗にあい、事に至った、というのが新聞の報じるところである。夜間は二人勤務で、もうひとりの職員が声をかけたが、青年はひとりで大丈夫と言い、やがてこの事態に及んだという。新聞が伝えるように、たとえ高温の湯が意図してのものであれ、私にはこの青年がただただ痛ましい。もちろん許されるべきというのではない。が、その許されないことを人はやってしまう。もしも私かその場にいたら、汚物を洗い流してやろうとして頑なな拒否にあったら、私も同じことをしてしまったかもしれない。絶対しないとは言いきれない自分が確実にここにいる。だから他人事とは思えないのである。
山田太一の最新刊『空也上人がいた』(朝日新聞社出版)はこの青年と似た状況を生きる若者を主人公として登場させている。若者は特別養護老人ホームでヘルパーをしていたが、ある日車椅子を押していて、廊下でつまずき、はずみで乗っていた認知症の老女は椅子から転げ出てしまう。けがはなかったが、六日後に老女は亡くなる。周りに若者を責める人は誰もいない。ケア・マネージャーの女性も若者のしたことぐらい、「あっちこっちのホームでやたら起こってる」と言う。が、若者はあの時自分か「キレた」ことを内々自覚しており、自分が許せないまヽ、ホームを去る。彼は自分のしたことをなかったことにはできずにいるのだ。その青年の前にどんな人が現れ、彼をどう誘うか。気がつけばいつか同行二人、空也上人が傍らを歩いていてくれたという物語展開に、私はひとり静かに涙した。私にもそんな日がくるだろうか。いや、私より先にまずは事件の青年にその日の訪れんことを。」(雑誌「大法輪」2011年11月号p38より)
そう言えば、この『空也上人がいた』は、前にラジオドラマで聞いたな・・と思い出した。
そんな折、先日ニュースで、「2011年度の文化勲章、文化功労者が25日、発表され、俳優大滝秀治(86)が文化功労者に選ばれた。」と報じられていた。
まあそんなワケで、今日は、大滝秀治が主演したラジオドラマ・FMシアター『空也上人がいた』を聞いてみよう。
NHKののサイト(ここ)にはこうある。
“『空也上人がいた』(2011年9月3日(土曜日)22:00-22:50 NHK FM) あらすじ:登場人物は3人。ひとりは妻子のない一人暮らしの老人、81歳。ひとりは特別養護老人ホームをやめたばかりの青年、27歳。ひとりはケア・マネージャーの独身中年女性、46 歳。3人はそれぞれ秘密を持っていた。3人の感情が複雑に交差する。3人の人生に横たわる秘密は重く、ぬぐいきれない痛みを抱えている。ともに歩く空也上人とは?死屍累々の鳥辺山を歩いて誰彼へだてなく葬った空也上人は、善悪ではなく、誰もが持ってる生きていく悲しさ、死ぬことの平等さを分っている人だった。3人の一風変わった関係をめぐり、人生の耐え難い重みと救いを、鮮やかに赤裸々に描く。“
<FMシアター『空也上人がいた』>
このドラマに、表立っては空也上人は登場しない。このドラマを聞きながら、空也上人をどう感じるか・・・・だ。
話は変わるが、最近、家の事情で、病院や老人ホームを訪ねる機会が多い。そしてホームや病院で、たくさんの看護士・介護士さんが働いているのを目にする。その中で、何よりも昔に比べて男性の姿が多いのに気付く。
ウチのお袋も骨折でまだ入院中だが、看護士さんなど周囲の人の助けには、本当に頭が下がる。素人では到底出来ない看護、介護という仕事・・・・
しかし、“される側”の老人からは、なかなか感謝が“する側”に伝わってこない。そして・・・(このドラマ・・・)
自分も、いつ介護を“される側”になるか分からない。そして、本当に感謝を持って“される”かどうかも分からない。でも、こんなドラマの背景も、段々と“他人事とは思えない”、そして“無視できない”世代に突入したことだけは感じる秋の夜長ではある。
| 0
コメント