「死んだら終わり、ではない」~小児科医・細谷亮太氏の話
昨日の朝日新聞に、小児科医・細谷亮太氏の「死んだら終わり、ではない」という記事があった。またまた長い記事で誠に恐縮だが、読んでみたい。
「死んだら終わり、ではない
小児科医・細谷亮太
小児がんの専門医・細谷亮太(63)にとって、死はいつも身近な存在だった。
なぜ、この子が死ななければいけないのか。そう思ったことは数え切れない。だが、結局、その問いに答えが見つかることはない。人は死ぬ。その厳粛な事実を幼い子の死によって突きつけられるのは、耐え難かった。 無力感にうちひしがれ、「医師を辞めたい」という考えが頭をよぎった時、それを踏みとどまらせたのは、死んだ子やその家族からの「伝言」だった。
4年ほど前、医師になりたての頃にみとった女の子の母親から電話があった。細谷は、その子が息を引き取った時、泣いたまま病室の片隅で動けなかった。母親は、その姿を鮮明に覚えていたという。「他の先生が『ご愁傷様』と言って立ち去った後、先生はオロオロと立ち尽くしていましたね。私たちには、その姿が救いになったんです」
無力感に打ちのめされる細谷の姿が、絶望の淵にいる人たちには慰めとなることもあった。時を経て、その患者や家族たちに今度は、細谷自身が救われた。
一方、細谷は50代半ばごろから、自らがかかわった子の生死の区別が、自分の中であいまいになってくるのを感じていた。生き残った子はもちろん、この世にいないはずの子を思い出す時、今にも診察室のドアを開けて懐かしそうに入ってくる……そんな気がするようになった。
「人は死んだら終わりではない。誰かがその子と過ごした時間を覚えている限り、その子は死なないんだ、と。実感としてそう思えるようになった頃から、医師を辞めたいと考えなくなったような気がします」
細谷は、今年9月から病棟の主治医を外れた。副院長の業務の他は、外来と健診が主な仕事となった。
電子化された病院のカルテについていけなくなった、という。細谷は、パソコンは苦手で、電子メールもほとんどやらない。携帯電話も使いこなせない。「僕はアナログ人間だから、パソコンの画面を見ていても、患者さんの状態が分かっているという自信が持てなくなってきた。だから、外してもらったんです」と苦笑する。
<「治る時代」ゆえの苦悩>
医師になり、40年が経とうしている。不治の病だった小児がんも今や8割の子が治る時代になった。化学療法の飛躍的な進歩の中で、細谷はその先頭に立って奮闘してきた。学会の会長も務めたこともある。その細谷が、現在の先端医療への違和感も□にする。
「治る時代になって、残りの2割の子に、さらに新しい薬を試して激しい治療をするか、静かな時間を過ごしてもらうか、そのどちらが大事なのか。私には判断が難しくなってきたんです」
医師が「つらいですが、こういう治療もありますよ」と選択肢を示すと、家族は「少しでも可能性があるのであれば」とすがろうとする。
「確かに奇跡が起きるかもしれない。その治療を糸口に99%の人が治る時代がやがて来るかも知れない。でも、それを患者さんに強いるのは可哀想だな、と。そう感じるようになったからには、化学療法の最先端からは退いた方がよいだろうと思うんです」
細谷は10年以上前から毎年、がんの告知を受けた子を募ってキャンプを続けてきた。当時、告知を受ける子はごくわずかだった。マイノリティーであるその子や家族が孤立してしまわないようにと姶めたのがきっかけだった。今、子どもへの告知も珍しいことではなくなった。
そして、細谷は現在、新たなキャンプの設立に向けて活動している。
北海道滝川市で建設が進む「そらぷちキッズキャンプ」。すでにプレオープンし、来年から常設のキャンプとして、本格稼働させる予定だ。
「そらぷち」とは、アイヌ語で「滝下る川」の意味だ。がんの子たちだけでなく、神経疾患や染色体異常など重い病気を抱えた子が、細谷をはじめとする医師や看護師のバックアップ体制の下で、大自然にふれられるようにする。人工呼吸器をつけた子につきっきりの親に、レスパイト(休息)してもらうようなプログラムも用意する。そんな施設にしたい、という。
「治らない病気を抱えながら、その運命を引き受けて生きている人もいます。これからは、そういう人たちと過ごす時間を大事にしていきたい」
細谷は来年いっぱいで、聖跡加国際病院を定年退職する。「医者の仕事は、患者さんの苦しみをとってあげること」。無□だった父が残した言葉が、細谷の胸にはいつもある。=敬称略(立松真文)」(2011/10/15付「朝日新聞」b9より)
この手の記事には、つい目が行く。
「人は死んだら終わりではない。誰かがその子と過ごした時間を覚えている限り、その子は死なないんだ・・・」
というフレーズや、
「治る時代になって、(治らない)残りの2割の子に、さらに新しい薬を試して激しい治療をするか、静かな時間を過ごしてもらうか、そのどちらが大事なのか。・・・
医師が「つらいですが、こういう治療もありますよ」と選択肢を示すと、家族は「少しでも可能性があるのであれば」とすがろうとする。・・・・それを患者さんに強いるのは可哀想だな・・・」
というフレーズに、つい自分を当てはめて考えてしまう・・。
先日、肺がんが見つかった同僚(ここ)。通っている大学病院で「この抗がん剤を試してみたいので協力してくれないか」と頼まれ、了解したという。
自分だったらどう判断するか・・・。やはり、「少しでも可能性があるのであれば」とすがるのだろうか・・
前に書いた元外科医だった友人の言葉を、またまた思い出した。前に、同級生だった外科医から聞いていた話と同じだから・・・。今は連絡がつかなくなっていて残念だが、その友人が言っていた言葉は珠玉だ。少しだけ紹介しよう。
「・・体にメスを入れることは極力避ける。薬は長期に飲んではダメ。薬は対症療法。体質を変えて行かないといけない。・・ホルモン剤など絶対飲んではダメ。食事と運動。遺伝子組み替えは絶対に避ける。ハイテクなど要らない。副作用を出してはそれの薬を飲んでまた副作用。薬ばかり増える。西洋医学は行き詰まっている。新人の医師も、どの病気には何の薬と決まっているのでバカでも勤まる。今は医療は商売になっていて、訴訟防止に気が向いているだけ・・・」・・・(ここ)より
パソコンばかりに目が行って患者の顔を見ない“電子カルテに長けた”デジタル医師よりも、患者という人間に目が向いているアナログ医師の方が、よっぽど血が通っているような気がするが・・・。
いつも思うのは、“そのとき”が来たらどうする・・・?
また、こんな記事を読みながら“予習”をしている自分がいる。
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コメント
エムズの片割れ 様
自分の力ではどうすることもできない事がずいぶんあります どうしようもなく なんと悲しいとも思います 人は合理性をもとめます 本物に限りなく近い嘘の物デジタル これが人間がもとめた最終回答のような気がします 歪みも歪みもあるアナログのほうが癒されるような気がします
浦和のマン
【エムズの片割れより】
森羅万象、全ての現象はアナログ・・。
故に、デジタルよりもアナログの方が、自分にフィットしているような気がします。
つまり「100%」も「0%」も有り得ない・・・
投稿: 浦和のマン | 2011年10月18日 (火) 10:34
死をまじかに見る機会は、そんなにあるわけではありませんが、今年は葬儀は2回。近所で世話になった老人と94歳で亡くなった叔母の葬儀。この時に、死を見たわけです。近所の老人とは30年以上に付き合い。叔母とは生まれた時からの付き合い。従って私の一部になっている感じがします。私の脳細胞の一部はは彼と彼女によって作られているような気がします。
縁という言葉があります。縁を結んだ人とはその関係が途絶えたとしても、脳に記憶が残っているのです。しかもその影響が大きければ、記憶された情報は脳の関連分野とのネットワークで大きく全体ともかかわりますから影響はきちんと残っているのでしょうね。
【エムズの片割れより】
自分も今年は特別の年です。3月に94歳の伯母が、7月には何と66歳の義姉が亡くなりました。
今年は「死」が、今までになく身近に感じられました。しかし別れは、ツライですね。
投稿: 中野 勝 | 2011年10月20日 (木) 19:27
細谷先生は隣町の出身です。
現職中からご実家の医院で診察を続けておられます。執筆は山形新幹線の車内でと以前に読んだことがあります。少し、疑問に思ってたが今なら理解できます。掲載の記事を読んで腑に落ちる部分がありました。「パソコンガ苦手」の部分です。
「今の医師は患者を診ないでパソコンをみて話す」とよく言われるが彼は反対ですね。
私が子育ての世代だったらあるいは孫と同居だったら一度受診したいものだと思ってました。もう孫たちも小児科の年齢を超えました。
一度、細谷亮良の(俳人)名での講演を聞いtことがあります。素敵な方でした。
【エムズの片割れより】
身近に、良いお医者さんが居られるようで・・・
投稿: りんご | 2016年6月23日 (木) 19:33